盲目的な愛と優しい記憶
ーーあぁ…愛狂しい。ーー
甘い、甘い。その声は心を絡めて離さない。
意識していないのに心が何度も、反芻する。
意思と反して心が弾む。
圧倒的な違和感。
見ず知らずの相手に抱く感情では無い。
それを強制されている事に吐き気を覚える。
「気持ち悪りぃんだよ!!誰だ、お前。」
何故かも分からず、
頭に浮かんだ二つの文字をそのまま口に出し、
動揺する心と跳ねる心臓を誤魔化した。
「ん?喋れる?」
あまりに自然に溶け込み、理解が遅れたが
目を開ける。見える。手もある、足もある。
「なんっ、だここ。家、か??」
辺りを見渡すと、
四方を壁に囲まれていた。
椅子のような物もあるし、
机の上には、コップも見て取れた。
異質なのがそれらにまとわりつく物で、
全てに黒い靄が絡み付いている。
「これ、テーブルか?」
零が目の前にあったテーブルに手を触れると、
その部分の靄が一瞬晴れ、木目が見て取れた。
しかし、周りに付いている靄があっという間に
覆い尽くし、見えなくなる。
ーー今はここがどこだとかは置いとこう。
「さっきまで見えない動かせないの無い無い尽くしだったのに、なんで…」
ふと、頭に湧き上がった疑問は、
帰ってきた返答によりはっきりした。
ーーあぁ、愛おしい。私の、レイ。ーー
「コイツ、か。」
ーーあぁ、やっときてくれた。ーー
目の前に女性の靄が、両手を広げて立っていた
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ーー私はずっと貴方を待っていました。待ち焦がれていました。愛に焦がれて愛に焼かれながらもずっとずっとずっとずっと。貴方と約束したこの家で只の片時も忘れずに待っていました。貴方に会いたかった。貴方の声が聞きたかった。あぁ、目の前に貴方が居る。貴方が貴方の意思で言葉を口にする。あぁ…愛狂しい。ーー
女性の靄は狂った様に愛を捲し立てる。
靄に隠れた長い髪を揺らしながら。
零は、その声に姿に、
思わず聞き入ってしまった。
その声は、自分も恋焦がれた…
「って、違う違う!!しっかりしろ!俺。」
頭を振って頭に湧き上がった答えを振り払う。
ーーここにいちゃあ。マズイ、か。
「なぁ、ここから出してくれないか?」
一縷の望みを賭けて靄に聞いた。
僅かな沈黙の後、靄は答えた。
ーーあぁ、私、何かしましたか?あぁ、謝ります。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ーー
「なんだ?コイツは。」
零は先程から感じている違和感の正体を掴んだ
感情がぐちゃぐちゃだ。
同じごめんなさいでも、喜怒哀楽が交互に
入れ替わりに顔を見せる。
普通に考えて普通じゃないし、気味が悪い。
しかし、そんな感情どころか、
恐怖さえ感じさせない。
それどころか幸福感さえ覚えるこの声は、
この姿は何なのか。
時間が経てば、この気持ちが偽物か本物か、
分からなくなってしまう。
「おい、お前の事誰だか俺は知らねえし、この家も気味が悪くて1秒でも居たくない。って事でここから、出してくれ。」
そうなってしまう前に、と素直な思いを
あえてトゲトゲとした言い方で言葉に出す。
ーーあぁ、本当にごめんなさい。でも、私は貴方を愛していますそれだけは、わかって。ーー
どれだけガードを貼っても、
すり抜けて耳に届く声。
耳を満たし、体を侵食して、感情を陵辱する。
甘い、甘いこの感情に浸ってしまえば…
ーーどれほど、幸せだろうか。
「わか、る訳ねぇだろ!!出せって言ってんだろ!!」
危ない所だった。感情を瞬時に爆発させる。
小さく、消えかかっていた正気の炎を
怒りの薪に焼べ、再燃させる。
ーーあぁ。なんて事。ーー
女性の靄が手で顔を抱え、
明らかに動揺した素ぶりを見せる。
ーーここだ。
「こんな得体の知れねぇ所で何をしろって言ってんだ?訳が分からねぇ。大体お前誰だよ。」
追撃をかけるように、先程の口調で畳み掛けると、靄は膝をつき、頭を抱える。
何を言えば、この靄が傷付くのか。
何故か今は分かる。
「俺、人の名前を覚えることだけは得意だけど、お前の事なんてこれっぽっちも覚えちゃいねぇ。」
人差し指と親指のスキマを極限まで縮め、
加えて目も細めて言った。
ーーあぁ…あぁ…ーー
頭を抱えて蹲り、
呻き声を挙げる黒い靄にトドメを加えるため、
零は、中指を立ててこう言った。
「お前なんか、愛してなんかいない。」
ーーあ。ーー
一際大きな声呻き声を上げ、動かなくなった。
まるで、時が止まったような感覚に襲われる。
「動かない、のか?」
それを振りほどき、
外に出ようと家の中を歩き回る。
家の中の物は女性の靄と同じ靄が覆い、詳細は
触れて靄をどかさないと分からない。
四方の壁を手当たり次第に触って、見つけた。
「ドア、か?外に繋がってると良いんだが。」
ドアノブを捻ると、カチャ。と音がする。
ーー待って。ーー
声が聞こえ、
意思に反してドアを引く手が止まる。
「なんだよ、まだ何かあんのかよ。」
零は振り返らずにそう言った。
振り返れば、戻れない気がした。
そうやって、ドアノブを引こうと……
ーー行かないで。ーー
悲しみを帯びた声が、零の手を完全に留めた。
途端、ふつふつと怒りが湧き上がる。
「おい、誰の声で喋ってやがる。」
ドアノブから手を離し、振り返る。
その声は、零が恋焦がれ、
零が殺した想い人の声。
ーー私の声。貴方が好きと言ってくれた私の声。ーー
「その声で、悠莉の声で喋るんじゃねぇ!!」
再度、感情が破裂。否、先程のとは比較にすらならないほど怒りが湧き上がる。
聞き間違いか。
いや、悠莉の声を聞き間違える事などない。
あってはならない。
自分が犯した罪を忘れてはならないのだから。
ーーあぁ、ごめんなさい。でも、知ってください。私が、貴方を愛している事を。ーー
「またそれかよ。いい加減にしろ!…?!」
ーー様子が、おかしい?
ーー愛しています。愛しています。愛しています。愛しています。愛しています。愛しています。愛しています。愛しています。愛しています。愛しています。愛しています。愛しています。ーー
手の伸ばし、狂った様に愛を叩きつける。
「なんっだ、これ…」
体から力が抜ける。立つ事もままならず、
地面に倒れこむ様に付す。
想い人の声を真似た所の話じゃ無い。
今まで、喜怒哀楽がバラバラだった彼女の
感情が一つになっている。
その甘美な響きは脳内に直接響き、零に耐え難い多幸感をもたらした。
ーー愛しています。愛しています。愛しています。愛しています。愛しています。愛しています。愛しています。愛しています。愛しています。愛しています。愛しています。愛しています。愛しています。愛しています。愛しています。愛しています。愛しています。愛しています。愛しています。愛しています。愛しています。愛しています。愛しています。愛しています。ーー
「やめろ!俺はお前みたいな女なんか愛して、ない!」
ーーそれは本心か?
目の前の膨大な幸せの塊に食らい付け、と
言わんばかりに自分の心が自分に問う。
女性の靄の声がだんだんと大きくなる。
辛うじて首を動かすと倒れこむ零の耳元で
囁き続けている。
「ッツ!!こっち見るな!バケモノ!!」
恐怖と、怒りが混じった声で怒鳴るが、
零の返答には一切の反応を見せず、
断続的に囁き続ける。
ーー愛しています。愛しています。愛しています。愛しています。愛しています。愛しています。愛しています。愛しています。愛しています。愛しています。愛しています。愛しています。ーー
3年間、
人との関わりを避け続けてきた自分の壁が、
たかが数十秒で崩れようとしている。
自分が、作り変えられてゆく。
喜が愛に変わり、哀が愛に変わる。
楽が愛に変わった。
もう、時間は無い。
「っはぁ…クソっ。神様め。負けてたまるか…
負けてやるかよぉぉお!」
負け犬の遠吠え。
これまでの17年間で数え切れない程吠え、
その度に文字通り、負け犬になって終わる。
その行為に、最後に残った
消えかけの怒を燃やし、叫ぶ。
最後の力を使い果した怒もついに、
「変わら、ねぇ?」
視線を上に上げると座り、黙り込む女性の靄。
すると、ウンともスンとも言わなかった体に
僅かながら、感覚が戻る。
何が起こったのかは知らない。
この機を逃すまい。と、零は壁に手をつき
立ち上がった。
ーー神様?ーー
短く、聞こえた。
「は?」
その声を最後にブチ。と音が聞こえ、
意識が暗転した。
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一人の幼馴染が、居た。
名を星宮悠莉。
遠い親戚で、なおかつ親同士が仲が良かった事もあり、物事ついた頃から隣に居た彼女。
贔屓目に見ても綺麗な人だった。
幼い時から大事に伸ばした黒髪は
艶やかで、一糸乱れず下へと整った髪には
天使の輪がはっきりと映る。
その愛らしい顔立は意識しなくとも
人に好印象を与え、心を掴んで離さない。
放つ声音は水のように滑らかで優しく、
誰もが思わず聞き入ってしまう。
誰もが憧れ、欲す美貌を彼女は
その身に宿していた。
彼女は運と様々な才に恵まれていた。
何をやっても一番。
勉強も運動も料理も人付き合いさえも何もかも
人より秀でていた。
じゃんけんだって一度も勝った事は無いし、
一緒に買ったアイスだって当たるのはいつも
彼女の方。
何をやっても完璧な悠莉と、
何をやっても結局、台無しにしてしまう零。
そんな真反対な二人だったが不思議と、
何故か、気が合った。
好きなアイスの味は同じ。
好きな映画も同じ。
苦手な教科だって同じ。
夜中にふと、小腹が空きコンビニへと行けば
彼女も同じくしていて、顔を赤くした彼女を
からかう事もしばしば。
そんな零が、想いを抱くのは
当然の事だった。
一番の思い出の場所は雨降る薄汚い路地裏。
零はこの日の為にお小遣いを貯め、
告白する為に悠莉を夕日の景色が綺麗な
神社に呼び出した。
一年で最も晴れの多い日を選び、
服を新調し。
その他諸々のゲリラにも対応出来るように
鞄に想定できる物は全て入れてきた。
何があっても良いように5分で着く道を
1時間前に家を出て神社の境内で待っていると、
昼間には暑苦しいくらい晴れていた
天気が急に崩れ、大雨が降りだした。
「約束まであと30分もあるじゃねぇか。」
一度深くため息をつき、切り替える。
「っと、いつもの事だ、いつもの事!このくらいのアクシデントは予想の範疇。この日に賭ける俺の気持ち、舐めんなよ神さま!!」
意気揚々と右ポケットからスマホを取り出す。
「マジ、かよ。」
電源ボタンを何度押そうが、長押ししようが、
ウンともスンとも言わない。
はぁ、とため息をつき、手提げバッグから持参していた折りたたみ傘を取り出し、広げる。
パキ、と嫌な音がして傘の骨が一気に折れ、
傘の役割を果たさなくなる。
「これは、流石にやりすぎじゃねぇ??でも…」
折りたたみ傘をその場に投げ捨て叫ぶ。
「こんなモンかよ!神さまぁ!!」
神社を降りしきる雨の中、やり切れなさを
全力疾走で解消しながら悠莉の家に駆け込む。
「クソっ。なんで今日に限って誰も居ねえんだ」
何度インターホンを押すが、応答は無い。
入れ違いになったのか。
「居ねえ、居ねえ、居ねえ、居ねえ。」
神社に戻り、自宅に戻り、コンビニに行き、
学校にも行った。
「どこだよ、悠莉。」
息も絶え絶え、一瞬フラついてしまった零は
隣をすれ違った人と肩をぶつけてしまう。
「痛ってえなぁ、何ぶつかってんだよオィ。」
帰ってきた声にストレスが溜まっていた
零は直上的に返す。
「なんだお前。痛えのはこっちだバカ。」
ーー最悪、だ。
「おーおー。威勢がいいじゃねぇかァ。」
目の前には肩をぶつけたヤンキーが一人。
その後ろにはあと2人、仲間がいた。
「ちょいと、ツラ貸せやァ。」
ヤンキーの親指が指した先は
路地裏へと続いていた。
「んで、A君とB君とC君が、何の用?俺忙しいんだけど。」
行き止まりでヤンキー3人と向き合った零は
腕を組みながらそう言った。
あと、即席で名前を付けた。
単純明快、ABCである。
「何の用もクソもねぇだろ。お前、喧嘩売ってんだろォ!!」
「お前に喧嘩なんか売った覚えねぇけど…やるしかねぇか。いいぜ。来いよ、相手してやる。」
右手をクイッとして相手を挑発すると、
ヤンキーの顔色から冷静が消え失せる。
「テメェ、殺す!」
半身になって重心を落として構える。
「こう言う奴はぁ!」
ヤンキーAは、短絡的な暴言の後、拳
を握りしめ、走り出す。
そして、零の手前まで来ると
思い切り地面を踏み切った。
「右ぃ!」
身を屈めたと同時に頭上を
ヤンキーの右の大振りが空を切る。
「なっ!!」
初撃を見破られたヤンキーは
わかりやすく動揺する。
「カウンターぁ!」
屈めた体を今度は前に加速させ、
肩から体当たりを入れる。
思わぬ反撃に、体制を崩されヤンキーは
地面に手をついた。
「お前らみたいなゲリラ不幸!俺は何回も味わってんだ!んな初歩的な攻撃効くかよ!!」
ヤンキーAを見下ろしながら啖呵を切り、
この隙を逃すまいと体制を立て直せていない
ヤンキーにA蹴りをお見舞いしようと距離を詰める。
「とりあえず、寝とけ!!」
目の前まで到達し、足を振り上げる。
ヤンキーAの顔にわかりやすく焦りが生まれる。
ーー勝った、
そう確信し、振り上げた足を振り下ろす。
しかし。
「調子に、乗ってんじゃねェ!」
背後から声が聞こえ、背中に衝撃を感じる。
くの字の逆に曲がったのではないかと思うほど
の蹴りを喰らい、派手にすっ転ぶ。
「おいおい、タイマンには手を出さないのがヤンキーの流儀って奴じゃねぇのかよ。」
背中をさすりながら体制を起こす。
先程まで傍観体制を取っていたBとCは
足を伸ばしたり、骨を鳴らしたりと、
すっかり臨戦体制に入っている。
「悪いけどそんな流儀、俺らは知らねぇなァ。」
「あらあら、兄ちゃん。やり過ぎだねェ。」
ここに、打ちのめしかけたヤンキーAが立ち上がって加勢。三対一の構図が出来上がる。
ーーカウンターは初見殺し特化で身構えてる奴らには当たったとしても耐えられる。しかも、三対一の勝率なんて、素人にはほぼゼロだ。
ーー早く悠莉を探しに行かなきゃならねぇし。
手を強く握った。
「今日だけは、負けてやるかよ!神さまぁ!」
そう吠えた後、
思いっきり勢いを付けて全力で走り出す。
「はッ、同じ手が二度も通じるかよォ」
ヤンキーが体を横に動かし、回避する。
「おおおお!どけぇ!」
回避した先に出来た道を全速力で駆け抜ける。ヤンキーAはそれに反応し、手を伸ばす。
「逃すかよォ!」
手が肩を掴み掛かろうとした瞬間、
「これでも、喰らえ!!」
「うわっ、いてぇ!このォ!」
先程、握り込んでおいた砂利を思いっきり
撒き散らす。
目に入ってくれたのか、追っ手は空を切る。
掴まらなかった事に僅かに安堵して、路地裏を
駆け抜けた。
「すまん!ちょっと急いでるもんで、勝ち抜けさせて貰うぜ!」
目を抑えながらも追ってくるヤンキー達に手を振り、前を向いた瞬間つるっと足が滑る。
前のめりに盛大にすっ転び、頭の上に宙に浮いたバナナの皮が乗る。
「痛え、それに、嘘だろ…。」
ーーバナナの皮って、本当に滑るのかよ…
「テメェよくもやってくれやがったなァ」
視線を上に上げると、目を擦り充血した目線を向けるヤンキー達が立っていた。
「ここは寛大な心で見逃すって手は?」
そう提案すると、ヤンキーAはふっと微笑んだ。
「ねぇな。」
そう言うと零の背中に踵が振り下ろされた。
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「おるっ、らぁ!」
一人に背中から手を拘束され、鳩尾を抉られる
腹の中に冷たい感覚が広がってゆく。
「かっ、はぁ…はぁ…」
「おいおい、どうしたよっ!さっきまでの威勢はどこに行ったんだ?」
ーーあぁ、結局ダメなのかよ。ちくしょう。
「三対一で、はぁ、勝って嬉しい、かよ。」
最後に残った意地でそう言い放つと、返事の
代わりに鋭い蹴りが腹部を襲った。
この後、
ヤンキー達の気がすむまで殴打は続いた。
この日の為に新調した服は見るも無残に
泥で汚れ、顔は殴打の痕で見るに堪えなくなった。
仰向けに倒れた零の顔に雨が降る。
拳で切れた顔に染みて痛い。
ーーあれだけ準備して、会うことも出来ねぇのか。
「クソがぁぁぁ!!」
やり切れない思いを口から吐き出す。
吐いても、吐いても、奥から無限に湧き出す
感情は解消されない。
「何もやらせやしないってか。」
口から弱々しい声が出る。
その拍子にこの日の為に準備してきた時間が
頭をよぎる。
「3ヶ月お小遣いをびた一文使わず貯めたのも!
一年で最も晴れが多い日を選んだのも!この日の為に新しく買った服も、少しでもマシな顔つきになる様に何ヶ月も前から。食生活から気をつけたのも!」
「全部、無駄だった。」
ーーちくしょう。
手で涙を涙を隠そうとするが、
降りしきる雨が、そうする必要すら無いと、
顔を濡らす。
負け犬を神が嘲笑う。
どう足掻こうと、無駄だなのだと。
「なんで、俺ばっか。」
心が折れる。
今までは不満や怒りを反骨心に変え、
なんとかやって来た。
ーーけど、もう。無理だ。
「零?」
たった一言、声が聞こえた。
雨の音が激しく響く中、
その声は一直線に耳に届く。
「零の声が聞こえたと思って来てみたら、酷いじゃない。どうしたの?その傷。」
瞳を開けると、目の前に顔が。
傘を差し、
座り込むようにした悠莉が写っていた。
ーーははっ、カッコ悪りぃ。
「最悪だな、こりゃあ。」
口から自然と言葉が出る。
一世一代の告白をしようと決めた相手に
見せられるような顔じゃない。
「なんでもねぇよ。」
そう言って立つが、
すぐにふらついて尻餅をついてしまう。
「零、大丈夫…」
「なんでもねぇって言ってんだろ!!」
感情が破裂した。
零に差し伸べられた手が止まり、
怒号に悠莉の目が見開かれる。
ーーあぁ、何やってんだ。俺、
「もう、放っといてくれ…」
悠莉の顔を見る事が出来ず、
俯きながら弱々しく言う。
数秒の沈黙の後、
遠ざかって行く足音が聞こえ、視線を上げる。
ぼんやりと、右側に屋根があるのを見つける。
ーーせめて、雨にだけは振られてやるかよ。
痛む身体を意地で動かし、辿り着く。
壁に体重を預け、そのまま下へずり落ちる。
目を閉じ、雨の音を聞く。
雨はより一層激しさを増す。
「うるせぇよ…」
雨の音も癇に障り、
零はポケットから音楽プレイヤーを取り出す。
画面は割れ、色も剥がれ、壊れかけ。
あちこちボロボロだが、まだ動く。
動いて貰わないと、困る。
プラグにイヤフォンを刺し、両耳を塞ぐ。
電源ボタンを入れ、
シャッフルモード以外いう事を聞かない
音楽プレイヤーの三角ボタンを押すと
音楽が流れ出す。
「なんで、今日に限ってこの曲なんだよ。」
悠莉が一番好きなアーティストの
一番好きな曲が流れ出した。
零は随分前から命令を拒否し続けるボタンを
一曲飛ばす為に連打するが、応答はない。
「罰ゲームかよ…」
やがてその気も失せ、
音楽プレイヤーを足に乗せ、
両手両足を投げ出した
何を考えるのも億劫になり、思考を放棄すると
眠気が襲ってくる。
それに一切逆らう事無く、身を委ねると
意識がすーっと遠のいて行った。
眠るのは怖いと思う。
だって、有る意識を一度手放すのだから。
戻ってこれる、
もう一度目覚められる保証などどこにもない。
しかし、寝なければ人間は活動する事すら
ままならない。
零は毎度毎度、
僅かな覚悟を決めて眠りにつくのだった。
只、今この瞬間だけはこの眠気に救いを求めて。
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「ーーん。」
意識の覚醒はいつも急だ。
なんの前触れもなく訪れる。
いつも今日も目覚められた事に感謝する。
しかし、今日ばかりはバツが悪い。
再度、眠ろうと覚醒したばかりの意識を
落ち着かせる。
が、違和感を感じ、頭が落ち着かない。
イヤフォンを外し、
その正体を追って、顔を触って確認する。
「絆創膏、か?」
顔の傷のある至る所に貼ってある絆創膏は
自分が付けたものではない。寝ぼけている内に、という線はあり得ないだろう。
「あ、やっと起きた。」
犯人が、口を開いた。
水のように優しく滑らかな声はどんなに雨の音がうるさくてもはっきりと耳に届く。
「大丈夫、?」
隣に腰掛けていた悠莉は首を傾げて言う。
瞬間、言葉を失う。数秒、見つめるようにして
停止していた零は、バツの悪さを思い出し、
逆の方向を向く。
「あ、この曲。私の好きな曲、」
と、そっぽを向いた零の足に置いてあった音楽プレイヤーを手に取った。
「あっ、おい!」
「ん。」
取り返そうと、こっちを向く零に膨れ顔の悠莉はイヤフォンの片耳を差し出してきた。
それを何も言わずに受け取り、
右耳に付ける。悠莉は左耳。
沈黙が続く。
それは一曲が終わるまで続き、
次の曲がシャッフルで選曲される。
ドラムの音が移行の僅かな空白を破り、
それを初めに、テンポの良い曲が流れだした。
そのタイミングで、
沈黙を破ったのは悠莉だった。
「おっ、センスいいじゃん。」
悠莉は物憂げに雨を眺めながらそう言った。
「そうだな、俺にしては大変珍しく俺の好きな曲が流れた。」
「大変珍しくって、零らしい。」
そう言ってクスクス笑う悠莉を見た。
世界の温度が一度上がる。
トーンが一段階明るくなった。
心に燻っていたものが優しく溶かされた。
零は顔の絆創膏に触り、言う。
「なんだ、悠莉。さっきは悪かったよ…」
バツの悪さと恥ずかしさが重なって直視出来ないが、斜め下を見ながら言う。
「ダメです。」
「え、」
思わぬ返事に顔を上げる。
目が合うと悠莉は微笑んだ。
「人に謝る時は人の目を見て謝るの。」
悠莉の口癖だ。
"人とごにょごにょ時は人の目を見てごにょ"
の謝る時バージョンだ。
ーーあーあ。俺、何してんだか。
胸を覆い尽くしていたモヤモヤは
完全に吹き飛んだ。
そして、零は悠莉に体ごと向かい、言った。
「ごめんなさい。」
悠莉の目を見て、顔を見て言った。
悠莉の頬が少し赤らみ、間が空く。
「はい。よくできました!もう、零はしょうがないから許してあげます。」
「あ、ありがとう。」
眩しすぎる笑顔を直視出来ず、下を向いて
お礼を言う。
「あ、またそらした。まぁでも今日は久々にお礼を聞けたから大目に見てあげます。」
両手を腰に当て、鼻を鳴らす。
「それと、絆創膏もありがとよ。」
もう一つ伝え忘れた事があったと、言葉にする
すると、悠莉は優しく微笑み、頷いた。
「もう、大丈夫みたいね。」
「ぁぁ、おかげさまで。」
ーー悠莉はいつも分かってくれる。
まるで心でも読めてるかのように。
「じゃあ、いつもの聞かせて?」
ーー全く、これだから困る。
あぁ、と続け、体に力を込めて立ち上がる。
「今日は色々やってくれやがってよ、正直心折れかけたぜ、全く…。でも!」
雨降りしきる空に叫ぶ。
「こんなもんかよ!神さまぁ!」
満身創痍、服も泥で汚れて誰がどう見ても敗者のそれだとしても、負け犬の遠吠えだとしても
それでも尚、叫ぶのだ。
負けてたまるか、と。
「うん。」
悠莉は、今日一番の笑顔で微笑んだ。
周辺はなんの変哲も無い普通の路地裏。
だが、彼女がいる事によって特別へと変わる。
体の体温が一気に振り切れる。
胸が激しく鼓動を刻み、顔が赤くなる。
しかし退く選択肢は、無い。
振り返り、彼女と向き合う。
「悠莉、好きだよ。」
顔はボッコボコ、服はボロボロ。
足はガクガク震えてるし、
顔面真っ赤で茹でダコ状態。
ちゃんと言えたのか心配になるくらい
体が言う事を聞いてくれない。
しかも、つい先ほど罵声を浴びせた人物に。
そんな、世界で一番場違いな告白を。
だが、
その気持ちだけは本物なのだと胸に誓いながら
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パシャっ。音がした。
その直後、訪れる爽快感に
手を引かれるようにして、目覚める。
「どゆこと?」
最初に出てきたのはシンプルな疑問。
当然だ。
最初にトラックに跳ねられて死に。
知らない場所で心当たりの無い愛を囁かれ、
今の目覚めに至る。
「まだ寝ぼけてるの?いい加減起きなきゃ。」
弾む、軽やかな声。その声はあの靄の声、いや
悠莉にどこか似ている物を感じた。
間髪入れずに声がした方向から、
迫ってくる物体に、条件反射で目を閉じると
パシャッとした音と共に、爽快感が来る。
水だ。水をかけられた。
「俺、生きてるのか。」
顔から滴る雫を手で広い、
それを視覚で認識する事で実感する。
「その言い方だと、死んだと思い込んでたようね…」
やっと、思考を向ける先が声へと向く。
「生きてるのに、死んでるって思い込むなんて、死んだ人にとっても失礼だとおもうの。」
そこには腰に手を当てた白の少女が居た。
やっと、転生しました!!