勇者の訪れ
さっきまでは洋風の部屋だったはずが、唐突に岩肌剥き出しのゴツゴツとした壁に変わった。周りを見ればジメジメとした洞窟のような場所である。
和洋折衷という言葉があるが、この空間は折衷どころか殺生ものである。風情とか欠片もない。
「あちらが玄関になります」
「あちらって…うわっ、近代的なドアだ」
玄関へと辿り着くと、それまでの洞窟風味の世界観から、現代にありがちな若干モダンなドアが現れた。ここまで来ると、もはやアートなのかと思うくらいに新しい。
「なんでここだけ…」
「家の玄関はイコールその家の顔と言いますからね!」
「ドアだけこしらえてもさぁ?」
「さぁ! お迎えしますよ!」
話も聞かずスカサハさんはドアを開け放つ。すると、昨日と同じくゴスロリの格好をした女の子が立っていた。開くのを待ってたようで、ニコッと笑って入ってくる。
その普通の、極当たり前の所作に心が急激に萎えるような、この場で死にたくなるような感情に襲われ────
「ッッ!?」
「あれー? 意外だね、耐えるなんて」
「…っ! はーっ! はーっ! ふぅ……いっ、一体何をしたんですか…? 心臓が止まるかと思いましたよ」
「んー、普通の人間なら死んで当然なんだけどー……やっぱり君は特殊みたいだね」
「スカサハさん、この人社長を君って呼ぶんだけど」
「…………」
「スカサハさん?」
スカサハさんは脂汗をかいて口をパクパクと動かす。空気を求める魚のようで、少し滑稽だ。なまじ綺麗なだけあって笑えない。
「あの、スカサハさん? 遊んでるですか?」
「あー気にしないでー。その子のが普通の反応だからー」
「え? いや、こんな汗をかいて」
「ほんとに君人間ー? ボク、普通じゃありえないくらいの圧力かけてるんだけど」
「はぁ、と言われましても」
どこか体におかしい所かないか、適当に調べて見るが特におかしな所は見当たらない。いたって健康体である。すると女の子、いやニャルラトテップさんは肩を揺すって笑い出した。
「いやー、凄いね? ほんとに。人間じゃないよー君。ダンジョンマスターとか、気まぐれで寄ってみたけど案外楽しそうだなー」
「あの、スカサハさんがそろそろ顔青くなってるんですけど」
「あぁごめんごめん……はい、元通り」
フッと身体が軽くなる感覚が訪れ、それと同時に崩れ落ちるような音が後ろから立つ。見てみると、スカサハさんがコヒューコヒューと喉を鳴らして息をしていた。
「はっ……っっ! はっ……ありがとう……ござ、います……はぁーっ」
「そんな息絶えだえで…大丈夫ですか?」
「あんまり…大丈夫じゃないですね……はぁー…」
なんどか呼吸を繰り返し、持ち直すスカサハさん。しかして自分に影響は殆どなく、俺としてはスカサハさんが1人で芝居をしてるようにしか見えなかった。
「じゃー、ボクはどこで待機してたらいいかなー?」
「スカサハさん、どうします?」
「ボス部屋でいいと思います! それしかありません!」
「うわっ、急に元気に」
「そっかーりょーかい」
二つ返事で歩いていくニャルラトテップさん。ボス部屋というのがどこにあるか分かるんだろうか。
「あっ」
ニャルラトテップさんがこちらに振り向く。
「ボス部屋ってどこ?」
「ボス部屋ねー、はいはい。あそこですよあそこって知らねーのかよっ!!」
昭和よろしくノリツッコミをしてしまった。うん、これ違う。社長と社員の会話じゃない。
「アットホームって聞いたよー」
「親しき仲にも礼儀ありと言います」
「それねー」
指を突き出して同意するニャルラトテップさん。何も同意する要素が無かったと思うけれど、なんだか考えてることが読めない相手だ。
「おい、サトウ」
「ドラ子さん。どうしました?」
「敵襲じゃ。勇者御一行様の登場じゃぞ」
「ほんとに来るんですね…」
「あーじゃーボス部屋に行く前にボクが相手してくるよー」
「本当ですか!? やった! 佐藤さん! もう私達の勝ちですよ!」
「え? いやぁ、言うても勇者と名乗る以上、こんな女の子に負けるわけが無いじゃないですか、危ないですよニャルラトテップさん」
「佐藤さん、あれだけの威圧を見てまだ女の子と言うのですか……」
今まで見た目付きとは、ひと味違う目付きで俺を見るスカサハさん。この目は『こいつヤバいな』という目だ。
「そういやスカサハさん、勇者ってどこから来るんですか?」
「目の前の玄関からですね」
「え」
ドォォオォォオン!!!
凄まじい音がダンジョン中に響き渡る。砂煙が舞い上がり、あたりが塵で見えなくなった。
「ゴホッゴホッ…スカサハさん? 一体何が」
「おいサトウ! こっちじゃ!」
「ぐえっ」
首根っこを掴まれ、急激に後ろへと引っ張られる。突然のことに反応出来ず、首が閉まり呼吸が止まる。ぐえぇぇぇ。
「ちょっ! ぐっ、何がっ あっ死ぬ」
「ダンジョンマスターがやられてしまえばこのダンジョンは消滅し、中に居る我らも死んでしまうんじゃ! サトウが敵の前に顔を出すなんてこと、あってはならん!」
「分かったから首締めるのやめてぇっ!」
社長室に戻るまでの間、俺は人生で無呼吸で居る時間のベストレコードを大幅に更新したのだった。
社長室に戻ると、ドラ子さんがふぃーと息をついて額を擦る。どうやら危ないところだったらしい。
「さっきの砂埃はなんだったんです?」
「勇者かドアをこじ開けてきたのじゃ。当然、ぶち壊れる。あの場でやられなかったのはニャルラトテップ殿が壁を創り出したからじゃ。創造能力も持ってるとは、やはり怪物じゃの」
「よく分からないけど、ニャルラトテップさんは凄いんですね」
「あのドア、並の耐久度では無かった。低級の勇者に破られる程の代物じゃない」
なるほど、襲ってきた勇者たちはとても強いらしい。そういえばスカサハさんはどこに。
「ん? あぁ。おいてきてしもうた。いやまぁあやつの事だから生き残るじゃろうけど」
「適当ですね…あの、それで、どうなったんでしょう? ニャルラトテップさんたちは」
「見れば良いじゃろう? ほれ、デスクに置いてあるパソコンとやらを開いてみよ。このダンジョンの操作端末と言ったか。スカサハが言っておった」
「へぇ、便利なものですね」
相変わらずの折衷具合に笑えても来るが、そういうものと言われてしまえば、もはや納得するしかない。パソコンを開けば、先の玄関部分が映し出されていた。どうやら勝手に見たいところを映し出してくれるらしい。なにこれ便利。
しかし、写った玄関に人影はない。欠片も。人っ子一人居ない。いや、居たあとはある。あれは
……肉?
「いやーこの部屋探すのに時間かかったよねー、ただいまー」
「ニャルラトテップさん、おかえり。さっきの勇者さん達は?」
「んー? それ」
ニャルラトテップさんが指さしたのは、画面に映る肉片だった。
───あぁ、なるほど。
俺は一瞬で吐き気を催し、場所も問わず出した。
「おえぇえぇぇえ……」
「サトウ! 大丈夫か!?」
「あれー、ボクのアレに耐えてもこういうのはダメなのかー。不思議だねー人間ってー。だから面白いんだけどねー」
揺れる視界の端で、ケタケタと笑う少女。その様は無垢な幼子が笑っているのと変わらない笑顔だった。そして、それが1番不気味だった。
「ニャルラトテップさん、中々ヤバいですね」
「スカサハさん?」
「なんとか逃げ延びました。勇者というか、ニャルラトテップ様に殺されるところでした」
「あははー」
「いや笑ってるけども」
「ニャルラトテップ様が手を振りかざしただけで、そのあたりが圧縮されました。私も逃げるのに精一杯で、命からがら」
「味方に殺されるってどーよ」
俺は気持ち悪さを堪え、ニャルラトテップさんに警告する。ちょっと、度が過ぎる。
「あの、ニャルラトテップさん。この人、俺の秘書なんで。あんまり意地悪する様だと、クビにしますから」
「佐藤さん!? そんなことを言っては!!」
「あのね、スカサハさん。悪いことは悪いと叱る。当たり前のことが当たり前に出来なきゃ、世の中生きていけないから」
「はい?」
ポカーンと口を開けたままにするスカサハさん。ついでにニャルラトテップさんは笑っている。さっきのケタケタ笑いではなく、腹に手を抱えて、あはははと。
「いやーごめんごめん。分かったよ、ここではダンジョンマスターの指示に従うよー。よろしくね、マスターさん」
「はい、よろしくお願いします。ニャルラトテップさん」
俺は手を差し出し、ニコリと笑う。ニャルラトテップさんは首を傾げ、こちらを見る。
「これは?」
「? なんのことは無い、握手ですよ。これからのお互いの仲を約束するんです。これからは仲間ですよーって」
「どうすればいいのー?」
「手を繋げば良いんですよ。こうやって」
俺は両手を使い、右手と左手で握手をする。この歳になって握手の方法を教えるというのは新鮮で中々気恥しいが、これも社会人としてのたしなみである。
ほんの少しの肉体的接触だが、コミュニケーションにおいてこの接触はとても意義がある。敵意がないことを身体で感じられるからだ。
「なるほどー、じゃあーよろしくねー」
「はい、ニャルラトテップさん」
俺はニャルラトテップさんが差し出してくれた手を握り返し、軽く振る。そして、手が折れた。
「いってぇぇぇぇええ!?」
「佐藤さん!? あー……これイッちゃってますね。変に握手とかするから…ドラ子さん、救急箱持ってきてください」
「分かったのじゃ。あ、ニャルラトテップ殿。サトウは繊細じゃから気をつけてほしいのじゃ」
「扱いづらいよねー」
あははーと笑うニャルラトテップさん。俺はそれどころではない。どうにもならない痛みに堪え痛い。いや痛い。まって痛い。痛い痛い。ひぃぃ。
まさか入社直後、社長にされ、社員が出来、手を砕かれるとは思わないよね。人生、ここまで驚愕することなんか無いわ。うん。痛い。