側杖
タイトルは「そばづえ」と読みます。「側杖を食う」で「とばっちり」という意味になります。「ウミガメのスープ」テイストの話です。
※旅人→青年→旅人→……と視点が変わります。
偶然、その店で出会った。
最後一冊の求人情報誌に二つの手がほぼ同時に伸びた。
わずかな差で、こちらが先に手をかけている。
手を引っ込め、こちらを見上げる青年。
片手に派手な色のマフラーと帽子を持っている。
「どうぞ」
雑誌を譲ってくる青年の瞳に、釘付けになる。
黙っていると青年が首をかしげたため、あわてて返事をする。
「いや……、俺はちょっと見るだけだから。君が買っていいよ」
すると、青年は目を泳がせる。
「では、それを」
こちらに差し出される手。
「うん?」
「買ってきますね。ここでは、立ち読みは禁止ですので」
青年は店員の方をうかがった。
こちらも店内を見回し、苦笑する。
「ああ、そういうことね」
『立ち読み厳禁』のポスターが、そこら中に貼られていた。
青年に雑誌を渡す。
レジはだいぶ混んでいるようだ。
一人分の買い物に二人が並ぶのもなんだろう。
「店の外で待ってるよ」
――――
店を出たのでワークキャップをかぶり、マフラーを巻いた。
「お待たせしました」
「いや、そんな待ってないよ」
旅人の口から、息が白くもれた。
まるで待ち合わせをしていた恋人たちのような会話だ。
あらためて見ると彼の服装は、旅慣れているのか、想像していたものより身軽だった。
「そんなに固くならなくていいよ」
服装を観察していて黙っていたら、緊張していると捉えられたらしい。
「いいえこれは、昔からなので」
「そうなのか」
彼は不思議そうに、目を見開いた。
どうしてか、出会った時からの旅人の挙動が何となく気になる。
「あの……どこかでお会いしましたか?」
何となく、思っていたことを口にした。
問いかけた途端、辺りの空気がピンと張りつめた気がして、思わずそっと身構えた。
彼は口元をあいまいにゆるめた。
「そう、かな?」
旅人はそうは思っていないようである。
きっと彼へのデジャヴは、各地を転々とするため人に対することに慣れている旅人としての振る舞いのせいだろう。親しい友人と接しているような感覚に陥ってしまうのだ。
気のせいか、と胸を撫で下ろす。
「すみません変なことを訊いて」
「いや、こっちが馴れ馴れしくしすぎたな。君はとても話しやすいから」
彼はニコニコと口角を上げると、ふと、バツが悪そうにした。
「こんな出会いはめったにない。そこで、折り入って頼みがあるんだが」
「はい」
彼は一旦、唇を引き結ぶと、こちらをじっと見、再び開く。
「ずうずうしいと思うが、今夜だけでいいから君の家に泊めてもらえないか? ちょっと持ち合わせが、な……」
彼が求人情報誌に手をかけていたことを思い出した。
宿泊できる場所を探していたのだ。
(困っている人がいたら手を差し伸べろ、お前がされているように)
父によく言い聞かされた言葉が、頭に反芻する。
「家で良かったら。少し、離れてますけれど」
「本当か? ありがとう。いつもだったらこんなことはないんだがなあ」
「……一人暮らしなので、大したおもてなしはできないと思いますが」
「いいよいーよ」
彼が喜んでくれたようで良かった。
久しぶりに家にお客が来ることになった。
――――
青年の家は町はずれにあるらしい。
町から少し離れるだけで、景色はガラリと変わった。
立ち並ぶ、自身の背の三、四倍はあるだろう木々が、積雪に枝先をたゆませている。
雪の白と枯れ木の黒のコントラスト、その奥は鬱蒼とした森。
踏み入りでもしたら、迷って遭難しそうだ。
その傍の車道に挟まれた脇道を歩いているのだが、雪がたっぷりと積もっている。
町にも積もってはいただろうが、雑踏によりほとんどが灰色の水になっていた。
冷え切った空気のせいで、鼻の感覚が鈍い。
白い道を踏むたびに、ブーツの下でギュッと音が鳴っている。
青年の吐息が聞こえて、前を歩いている黒色のブーツを見た。
雪が付いているのがはっきり見える。
寒くはないのだろうか。
青年は薄着で、カラフルな色合いをしている。
それは、この殺風景な景色の中でよく目立つ、遭難対策のようなものか。
きびきびと歩く青年を見る限り、平気そうだ。
この寒さに慣れているに違いない。
「こっちです」と青年が前置きし、道を外れて森へ踏み入る。
声には出なかったが、正直驚いていた。
この森に踏み入る者がいたとは。
それから数分歩くと、雪が止み、ちょうど建物を見つけた。
「あれです」
青年の家らしい。
まるで隠れているような場所にある。
玄関口まで来ると、青年がブーツのつま先を地面に打ち付けながらズボンのポケットに手を差し入れ、カギを取り出す。
それを鍵穴に差し込んで回すと、錆びたドアノブをひねった。
「どうぞ」と言われたので、こちらも青年にならった後、おじゃまする。
部屋は広い、暖炉とテーブルと木製のベッドがある、それだけだ。
奥の方にキッチンが見える。風呂とトイレもあるだろう。
何というか、ガラガラだ。
「両親が大きな買い物をした時に、家具をほとんど売ってしまって」
こちらの気を察したのか、青年はそっけなくそう言う。
青年は荷物とコートを受け取ると、食事テーブルの椅子に導いてくれた。
椅子は一つだけだ。
「あ、椅子、倉庫にあるので、取ってきますね。……あ、まずお茶、お茶だ」
青年は慌てている。きっと久しぶりの来客なのだろう。
腰掛けていると、体が暖かくなる。
見ると、傾いたオレンジ色の夕日が体に当たっていた。
青年の家にカーテンはないようだ。
数分後、トレーを持った青年がテーブルに寄ってくる。
「どうぞ」と置かれたのは、先ほどの求人情報誌だ。
「ああ、どうも……」
つい、頭を下げてしまう。
青年も応えるように会釈をすると、カップを二つ置き、ポットからお茶を注ぐ。
「あっ、寒いですよね」
青年はポットを置き、暖炉へ向かった。
――――
椅子のほこりを払い、テーブルまで運ぶ。
彼が両手でティーカップを持っている。
まず、かじかんだ手を温めているのだろうか。
情報誌に手を付けた様子はない。
彼に、今までどんなところへ行ったのか、どんな人と出会ったのか、といろいろ訊きたい。
彼は快く答えてくれそうだ。
考えている内に、まず、その素性が気になってきた。
訊いてみるか。
「あの、旅人さんは、独身ですか」
すると、彼の表情が貼りついたようになる。
その質問に悪気はなかったが、どうやらまずいことを訊いたらしい。
どうしよう。
言葉に詰まっていると、彼が先に口を開いてしまった。
「……妻と、娘がいたが……どうしてだ?」
彼は妙に優しい笑顔を浮かべ、ゆっくりとそう言った。
直感で、空笑いだとわかった。
毒気に当てられて、少しばかり目を逸らすと、再び目を合わせる。
彼の目を細められているおかげで、瞳の奥が暗く見える。
「……ただ単に、素朴な疑問です」
「そっ、か」
それきり、話す言葉が見当たらず黙っていると、彼はふっと表情をゆるめた。
「訊きたいことはもう終わりか?」
「あっ……はい」
本意ではないが、終わりにした方が良さそうだった。
ふと、自分のティーカップが目に入る。
辛うじて湯気が上がっているが、早く飲まないと冷めてしまう。
――――
青年がカップの取っ手を摘まんだ。
きれいな指先だ。
しつけがなっている、と感心しながら、カップを置く。
「じゃ、こっちの番だ。えーっと……やっぱり気になるんだけどさ、一人暮らしって苦労しないの?」
我ながら、じれったい質問をした。
「そうですね。食料は畑があるので苦労はしませんが。欲しいものがあるときはアルバイトをしています。その時は少し大変かもしれません」
青年は簡潔に言うと、お茶を飲む。
「なるほど……」
的確な答えだ。
だが遠まわしに訊きすぎて、本当に知りたいことがわからなかった。
思い切って訊いてみよう。
「君はまだ若いだろう? 家族と一緒に暮らさないのか」
青年がカップに口をつけたまま固まる。
目の焦点が定まっていない。
(俺と同じか)
質問を取り消そうかと思った途端、急なまぶしさを感じ目を細めた。
陽が沈むのが速いこの季節、体を照らしていたオレンジ色がいつの間にか顔に伸びてきていたのだ。
青年の喉仏が上下したが、お茶を飲み下したのかはわからない。
カップがソーサーに置かれて、カタカタと音を立てる。
青年の右手がテーブルから浮き上がると、ゆっくりとそれを外側へ向けながら人差し指が持ち上がり、棚の上にある写真立てをぎこちなく指差した。
指先が震えている。
「あれは家族ですが」
既に察していたが、その口から遠まわしに、家族が全員亡くなった、という旨を伝えられた。
青年はふと自身の指した指先を見ると、すぐさま引っ込める。
「父が“隠し事やわがままは駄目だ”と。小さい頃は貧乏で何もできなかったので人に……おもに兄に、甘えてばかりだったんですが、今度は自分一人で、できることはなるべく自分でやるようにしているんです」
青年は話しながら右手をテーブルに置くと、上から左手で握った。
それにしても、やけに造形の整った手だ。
こんなに寒いところで、一人で炊事や洗濯をこなしているはずなのに、どうしてそんなにきれいな手でいられるのだろう。
見とれていると、すーっと、顔が冷える感覚がした。
辺りがうす暗くなっている。
陽が沈んだのだ。
まるで重苦しい空気を演出されているようではないか。
青年は何も言わないこちらを見て、「あっ」と呟いて立ち上がった。
「明かり、付けますね。気付かなくてすみませんでした」
「……ああ、こちらこそすまないな。つらいことを話させたようで」
「いいえ。……初対面の人にする話ではありませんでしたね」
「お互い、その通りだ」
暗黙の了解で、これ以上は言及しないことにしたが、さすがに気まずい。
人と出会って、これほど気まずいのは初めてだ。
――――
夕食をとる。
とりあえず、スープとパンと水を並べた形になった。
少ないだろう。
食事中は無言だった。
それは当然のことなのかもしれない。
だが、重苦しい空気のままなのは確かだ。これでは食事も不味い。
何か、声をかけた方が良いだろうか。
スープの中の玉ねぎをほぐしながら話題を考えるが、何を話せばいいのかわからない。
いやむしろ食事の邪魔かもしれない。
不安になり、混乱し、スプーンを持つ手が震えてくる。
悪い癖が。
「おいしいよ」
唐突に彼からそんな声がかけられた。
顔を上げる。
彼はこちらを見ている。
もしかして、気を遣わせたのか。
「……ありがとうございます」
笑顔を作りそう言うと、彼も笑みを浮かべる。
ぐちゃぐちゃになってしまった玉ねぎをすくい取り、口に含む。美味しいらしいが、よくわからない。
それでも腹の中を満たしていくと、張りつめた空気がゆるんでいくのを、何となく感じていた。
――――
風呂に入り、湯船に浸かって、体を芯から温める。
しばらくして部屋に戻ると、なぜか青年がオノを持っていた。
おそらく、まき割りのためのものだろう、が……。
「外に放置しておくと、何が起こるかわかりませんし危ないですからね。護身用にもなりますし」
こちらの視線に気付き、青年はそう言った。
オノは暖炉のそばに立てかけられた。
「……ああそういえば、俺は寝袋持ってるから、ベッドは君が寝ていいよ」
「えっ、いやそれは」
青年は戸惑っている。
たしかに、客人を床で寝させるのは、気分が悪いだろう。
しかし青年の部屋にベッドはひとつしかない。
その上、木製だから、寝返りを打つたびにうるさそうだ。
「じつを言うと、床の方が寝慣れてるんだ」
「……そうなんですか?」
「うん。だから、気い遣わなくていーよ」
青年を言いくるめ、風呂に入るように促す。
――――
彼は、もう寝る準備を始めているだろうか。
客人を差し置いて自分だけベッドで寝る羽目になったと父が知れば、叱られるだろうな。
生きていたら。
「旅人さんが良ければ、それでいいけど」
脱衣所で服を脱いだ後、自分の両手を視る。
爪の間から腕の付け根まで、傷がついていないか、違和感はないか。
ぼかしはしたが、初対面の人に秘密をぶちまけたのは初めてだ。
正直、あまり言いたくはなかったが、あとの祭りである。
「……ん? あれ」
そういえば、彼があまりにも気さくなものなので今の今まで忘れていたが、まだ互いに名前も知らない仲ではないか。
「いやでももうお休みになっているだろうから、明日だな」
気まずくなってしまったが、ぜひ彼のような人とは仲良くなりたい。
少なくとも、彼がここを出て行く時までには、挽回せねば。
――――
青年が寝静まった。
注意深く寝袋のファスナーを開け、そっと体を起こす。
窓から入る月光で、部屋が薄明るい。
暖かかった部屋の空気も冷えてしまい、自身の鼓動と熱が高まっていることを否が応でも感じた。
音を立てないように、慎重に立ち上がる。
ここまでなら、青年を起こしてしまったとしても、トイレを口実にしてしまえばいい。
暖炉の横に立てかけてあったまき割りオノを持って、青年のベッドに忍び寄る。
ここからは、どんな言い訳でも利かないだろう。
青年に落とされる己の影。
聴こえてくる無防備な寝息。
首まで被っている厚い毛布を、サッと引き剥がす。
そしてオノをすばやく、大きく、振りかぶる。
……何かが砕ける音が辺りに響き渡った……――――。
《解説》↓
事はさかのぼること十数年前。
青年が『少年』だった頃の話。彼は病に侵され、両腕を切断していた。入院費のために両親は共働きで、兄の付きっきりの世話を受けていた。しかし、兄が介護ストレスとノイローゼで発狂。オノで幼女を惨殺。刑務所へ。少年が退院するとすぐに一家は、世間の目を避けるため遠くへ引っ越した。
一方、妻を病で亡くしシングルファザーであった、後の『旅人』はたった一人の娘を殺されてしまい、『少年』の兄のことをとても恨んでいた。悲しみを紛らわすため、各地へ放浪。
数年後、成長して『青年』になった彼のために、両親は家具を売り払い、義手を購入した。本物の腕と差異ない高性能なものである。喜んでいた矢先、兄が獄死(自殺)。そのショックのためか、過労で体の弱っていた両親は急死。
さらに数年後、偶然、『青年』と『旅人』はとある店で出会う。青年を一目見て『殺人犯』だと勘違いした旅人は、湧き上がる殺意を抑えきれずに、青年の家まであがりこみ、殺害する。
ちなみに、青年と兄は双子だった。旅人が青年と殺人犯は別人だと気付くきっかけとして、「写真立て」があったが、彼は既に脳内で殺人の計画を立てていて見向きもしていなかった。
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