バカンス
RB-1グランプリの優勝によって新聞や雑誌などで取り上げられた田中電器店の宣伝効果は凄まじく、妖し乃商店街には大勢の人が訪れるようになった。
ほとんどはトウを一目見ようと田中電器店に向かうのだが、当然そこにはいないため、その日に店番をしている田中夫妻のどちらかに所在を尋ねるのだが、源八が管理しているため自分たちにはわからないと言って対応している。
じゃあその源八に会おうとするが、現在入院中のため会うことは出来ない。
別に面会謝絶というわけではないのだが、病院にまで単なる興味本位で押しかけるのは流石に一般人には気が引けるようだ。
だが一部のマスコミや研究者などはお構いなしとばかりに病院へと押しかけ、そういった手合いの対応には病院側も慣れておらず、身元の確認をしたうえで時間を決めての面会という、源八の負担にならないようにと配慮に苦心している。
大会に参加したおかげで俺の面も割れており、源八ほどではないが俺の所にも記者が訪ねてくることがあった。
俺自身は源八のサポートに付いていただけだと言っておいたおかげですぐに取材は終わったのだが、俺の家にはトウという今一番ホットな話題の種がいるため、おいそれと外に出すことが出来ないトウが少し可哀想になってきている。
本人は特に気にしてないようで、いつも通り家事に店の裏方仕事と、普段通りにこなしてくれているのだが、俺の気が済まないためなんとかしてやりたいと思い、佳乃に相談した。
「それならバカンスにでも行ったらどうかしら?私の親戚のおばあちゃんが少し前まで民宿をやってたんだけど、年齢もあって畳んじゃって暇になってるらしいのよ。大角君がその気なら暫く向こうに滞在してもいいんじゃない?連絡しておきましょうか?」
「バカンスかぁ…。確かに悪くないんですけど、その間、商店街の相談役が不在ってのは今の状況じゃまずくないですか?結構商店街自体に人が頻繁に来てますよ」
宣伝効果が利きすぎたのか、今じゃ商店街の訪問客・売り上げともに過去最高を叩き出すほどに賑わっているところで、仮にも自治会長補佐が能天気にバカンスに出かけていいものだろうか?いや、よくない。
「大丈夫じゃない?ここの人達って意外としっかりしてるし、大人だって大勢いるんだから、早々騒ぎを起こしたりしないわよ」
やーねぇ、と口元を隠して笑いながら言う佳乃だが、そもそも騒ぎを大きくする張本人の口からそんな言葉を言われても安心はできない。
そんな考えが顔に浮かんでしまったようで、少しムッとした顔をした佳乃が携帯を弄りだしてどこかへ連絡をし出した。
さっき言った親戚の所だろうか?
「あぁもしもし?白井です。そちらは磯部さんの携帯でよろしかったでしょうか?」
『よよ佳乃さん!?はいっ、あなたの忠実な僕、磯部英一ですっ!』
掛けた先は磯部衛のようだったが、あいついつの間に佳乃の僕になったんだ?
相変わらず電話口での声が大きい磯部衛のおかげで話の内容はこちらにも普通に伝わってくる。
どうやら俺の不在の間の商店街の窓口役を磯部衛に頼むようで、2つ返事で受けてもらえた。
磯部衛は商店街には住んでいないが、少し離れたマンションに住んでいるため、こうしてヘルプを頼んでも意外と融通が利く。
これで俺も安心して商店街を空けられるな。
「それじゃあお願いしますね。…はい大角君」
突然携帯を手渡されたが、一応磯部衛に俺からも礼を言っておくべきかと思い、携帯を耳に当てる。
「も―『それで、ですね?よかったら今度、しょしょ食事を一緒に!』…んじゃあまた例の蕎麦屋に行こうか」
もしもしと言おうとしたところで磯部衛には似つかわしくない小声で被せて来たのは食事の誘いの言葉だった。
恐らく佳乃に言った言葉だろうが、今は俺が聞いているのだからそれに答えてやるのが世の情け。
『…え?あれ?佳乃さんは?』
案の定、突然の通話相手の交代に一瞬息をのむ音が聞こえ、微かに震えの混じった声が返ってきた。
「隣にいる。今代わってもらったんだ。お礼に蕎麦でも奢って―」
『バカやろう!誰がテメェなんかと行くか!バーカバーカ!お前なんか休みを楽しんで来やがれ!うわぁーん!』
小学生か。
子供の様な捨て台詞を残して電話が切れたので佳乃に携帯を返還する。
「もういいの?」
「向こうから切れました。あと磯部衛が今度食事でもって」
このままでは流石に可哀想に思えたので、留守番をしてくれる恩もあるし、少しだけ恩返しをしておく。
「あらそう?まあいつになるかわからないけど、その内ねって伝えておいてくれる?」
再び電話を掛けるつもりはないようで、俺に伝言を託すあたりで脈は無いと思うが、がんばれ磯部衛。
そんなわけで早速家に帰り、トウにバカンスのことを伝えると、跳ねるようにして喜んでいた。
やはり気にはしていないとは言っても家から出ない生活というのは辛かったんだろうな。
向かう先は佳乃の親戚がいる中々の山奥のため、充分な準備をしておく。
旅行費用に関しては大会の賞金があるので問題ない。
これは源八と佳乃と俺、さらにはトウの4人で山分けとなる予定だったのだが、トウが受け取らなかったため、3人で分けることになった。
源八4割、俺と佳乃が3割ずつで分けたが、もしトウが何か入用になった時には源八が出すと言ってくれている。
今回は俺が費用の一切を持つつもりだ。
トウは行き先をネットの地図や航空写真などで眺めており、今から楽しみで仕方ないといった様子だ。
その様子を見ると俺までも嬉しくなり、年甲斐もなく当日が楽しみになってしまい、期待で眠れそうにない。
早朝の霧が立つ朝に出発を迎え、佳乃と磯部衛が見送りに来てくれた。
「じゃあ後のことは頼んだぞ。店の在庫に手を付けなきゃ好きにしてくれていいから。あ、でもあんまり散らかすなよ」
店のことは販売と注文の受付だけをしてくれるように頼んだ。
前にも何回か店を手伝ってくれたことがあるので、磯部衛も勝手はわかってる。
「わぁってるよ。いいからとっとと行け。そうすりゃ佳乃さんとの時間が増える」
自分の幸せには忠実な男だな、お前は。
苦笑気味に磯部衛から佳乃に視線を移すと、少し申し訳なさ気な彼女の顔が見える。
「てっきり佳乃さんも一緒に来てくれると思ったんですけど」
「ごめんねぇ、私も行けたらよかったんだけど、急にお客さんから着付け教室の依頼が来ちゃったのよ」
直前になって突然用事が出来てしまい、佳乃は同行できなくなってしまったのだ。
先方は俺だけでも歓迎してくれると言って貰えたのだが、それでもやはり佳乃にはついてきて欲しかった。
「大丈夫だって。大角の面倒は私がみるからさ」
俺の隣に立っているハナが胸を張ってそういうが、そもそもこいつの参加自体も直前のことだった。
「いや、なんでお前が当然のように着いてくんだよ?聞いてねーぞ」
既に旅行の準備は万端の様で、肩掛けのデカいバッグにはデフォルメされた骨のプリントがされており、相変わらずのハナのセンスには首をかしげざるを得ない。
「まあまあまあまあまあまあ」
まあが多い。
「大角君とトウ君だけじゃ寂しいと思って、何人かに一緒に行ってもらえるようにお願いしたんだけど、その中でハナちゃんだけが都合がついたの」
自分が同行できないのでと気を回してくれたのだから無碍にすることは出来ないが、ハナと一緒に出掛けるということにそこはかとない不安が沸くのは何故だろう。
佳乃たちに見送られ、今回の旅行の移動手段なっている電車に乗るため、最寄りの駅を目指して歩いて行く。
「しかし、今日はいつもと違う感じだな。流石に旅行にジャージでは行かないか」
隣を歩くハナの格好はいつものジャージ姿ではなく、薄緑色のニットの上着を羽織り、その下に桜の花のような淡いピンクのワンピースにカーキ色のレギンスを合わせて爽やかさを際立たせている。
行き先が山の中というのも考えてのことだろうか、靴が黄緑色のトレッキングシューズなのも上着との統一感が出ている。
正直ハナがこんなお洒落な恰好をするとは思わず、意外な面を見た気がして少し驚いている。
普段ガサツな態度が目立つが、やはりハナも女の子らしい所があるということか。
「あ、これ?なんか大角達と旅行に行くって言ったら母さんにお鶴さんの所に連れてかれて揃えさせられたんだよ。あたしは別にいつもの格好でいいって言ったんだけどさ、なんかすげー怖い顔で説教されちゃって…うぅっ」
そう言って自分の体を抱くようにして身震いをするハナの姿に一体何を言われたのか気になったが、その様子を見るとあまり思い出させないほうがよさそうだ。
しかし、お鶴さんのチョイスか。
確かにファッション系の仕事をしているだけあってハナの魅力を引き出させるコーディネートは流石の一言に尽きるな。
「でもハナはそういう格好も似合ってるな。爽やかな感じで可愛らしいぞ。いっそそんな感じの服を普段から選んでみたらどうだ?」
「ぅぇえ!?何言ってんだよ大角、あたしが可愛いって、そんな………本当に似合ってる?」
上目使いで俺を見る目は不安と期待に満ちており、普段のハナからは想像もできないくらいにか細い声で聞かれるとこっちまでなんだか照れくさくなってしまう。
「んん、ああ、まあ似合ってるぞ。うん」
「そっか…そっかそっかー!うぇへへへ」
普段とは違う点からの褒められ方に上機嫌になったハナはスキップで歩いていく。
けど、なんか最後の笑い方気持ち悪いな。
「なあ大角、なんかデカイリュック背負ってるけど、そんなに持ってく物があるのか?肉とか?」
「何で俺が肉を持っていく必要があるんだよ」
俺の背負っている荷物のデカさが気になるのか、隣を歩きながらリュックをポンポンと叩きながら聞いて来た。
「俺自身のは着替えと身の回りの物ぐらいだからあんまり多くない。荷物のスペースの殆どはこいつだ」
一応人の目に付かないように道の脇にリュックを下ろして中を少し開けてハナに見せると、荷物の正体に気付き、目を輝かせて名前を呼ぼうとした。
「あぁー!トんぶぷぅう!」
「デカい声出すな!今トウは有名になりすぎてんだから、どこで聞かれてもまずいんだって」
危うく叫び出しそうになったハナに間一髪で口を塞ぐのが間に合って、大声を上げないように注意をする。
リュックの中には体育座りをしたトウが入っていた。
今回のバカンスの主役であるトウを置いていくことは出来ないので、連れていく手段として俺がリュックに入れて背負うことにした。
荷物の中身がトウだとわかってはしゃぎだすハナに、トウもまた楽しいようで、先程からハナと通話アプリのメッセージ機能を使って話をしている。
リュックの中にはトウからの言葉を伝えるためにタブレットを一緒に入れてあるのでリュックから出ることなく話が出来る。
移動の間の会話相手も増え、一層楽しそうになった2人と共に駅を目指していく。
2度電車を乗り継いで降りた先は最低限の手入れだけで維持されているという人の息吹の薄れた無人駅だった。
辺りは田んぼと畑が8割、人家と道路が1割ずつという何とものどかな場所だ。
渡されている地図を頼りに車一台分しか通れそうにない道を行くこと30分。
空がすっかり赤く染まってしまった頃に、それらしき場所に辿り着いた。
自家栽培の野菜の畑を前庭替わりに、植物の蔓立てを生垣にともとれるような入り口だった。
入り口にあったポストの名前には『大嶽』と書かれており、確かに佳乃から聞いていた名前であったので、そのまま入っていく。
ちょっとしたスーパーマーケットの駐車場ぐらいはありそうな広さの敷地内に見えてきたのは何とも古めかしい日本家屋だった。
最近では見なくなった瓦屋根と漆喰の建物はともすれば旅館と言ってもいいほどの立派なもので、これで民宿と言える辺り金を持った人間の感覚は理解出来そうにない。
入り口は格子戸風のもので、一応金属とガラスで補強されていて、近代的な防犯設備を兼ね備えているようだ。
戸の横にあるインターホンを押して少し待ってみる。
中々出てこないため、戸に手をかけて引いてみるが鍵がかかっており開きそうにない。
「大角、なんか人の気配がしないよ?」
「みたいだな。留守か?でも佳乃さんから連絡がいってるはずなんだが」
仕方ないので佳乃に今の状況を書いたメールを送る。
返信を待つことになるのだが、佳乃は今日着付け教室を開いているはずなので、電話をするのが躊躇われたのでメールにした。
手持無沙汰な俺達は大嶽邸前で連絡待ちのに間を潰す。
「トマト」
「えぇ、またトかよ…。大角さっきからトばっかじゃん。えー…と、と、と、トナカイ!」
暇になったら定番のしりとりだが、それ以外にすることが無いので自然とこうなる。
リンゴン♪
『芋。』
トウは通話アプリのメッセージ機能を通しての参加となっている。
「モルモット」
「がー!またトじゃねーか!ずるいぞ大角!」
「ずるくねーよ。そう思うならお前もトで締めればいいだろ。あ、ちょっと待て、佳乃さんからだ」
ハナがトで始まる言葉が尽き始めた頃、佳乃から電話がかかってきた。
『メール見てから確認してみたんだけど、おばあちゃんったらぎっくり腰をやっちゃったらしくて、今病院にいるらしいのよ。近所に住んでた甥が車で運んだそうよ。』
「え、じゃあどうすんですか?俺達このままじゃ野宿ですよ」
『それは大丈夫。玄関の左手に虎の置物があるでしょう?その虎の喉の辺りに合鍵があるからそれを使って。』
確かに来た時から気になっていたのだが、玄関の左手には木で彫られた精巧な虎の像がある。
あまりにもリアルな出来で、作り物とはいえそんなものの口に手を突っ込む人間はまずいないだろう。
俺の携帯に一緒に耳を寄せていたハナが早速虎の口に手を突っ込んで探ると、すぐに見つかり、こちらに放り投げてきた。
「佳乃さん、ありました」
『そう、なら大丈夫ね。悪いんだけど、おばあちゃんが暫く入院するらしいから、あとは自分たちで何とかして欲しいの。家の中は好きに使っていいっていわれてるから。』
まあこの状況では仕方ないよな。
俺達もいい大人だし、自分のことは自分でできるから、これはこれで面白いバカンスになりそうな気がする。
「ええ、わかりました。こっちは3人もいますから、なんとでもなりますよ」
電話を終え、鍵の空いたドアをくぐって中に入ると、想像した通りの日本家屋といった感じで、玄関からして純和風という感じだ。
入ってすぐにまっすぐ伸びる廊下があり、廊下の両側に襖が立つ中で、かなり奥の突き当りに2階へと上がる階段が見えた。
民宿をやっていたということは多分2階が客間となっている作りなのだろう。
とりあえず2階の各自の部屋に荷物を置いてから1階の居間に集合となった。
適当に決めた部屋に入ったが、中は畳敷きの2間続きの造りとなっており、テーブルすらも置いていないため、本当に普段使われていない部屋なのだと推測できる。
それでも掃除はしっかりとしているようで、埃や汚れといったものが無いのは素直にすごいと思う。
確かおばあちゃん一人で暮らしているということだったが、この広い家を管理するのは中々骨が折れそうだ。
リュックから出したトウと一緒に居間へ行くと、既にハナが待っており、テレビを見ながらお茶を飲んでいるその姿は、人の家でここまで寛げるのはこいつの才能なんじゃないかと思えてくる。
「自分ちみたいに寛でるな」
「佳乃さんに好きに使っていいって言われたんだからいいじゃん」
対面に座った俺の分のお茶を淹れながらそう言うハナは何が楽しいのか笑顔満面だ。
暫くは3人で家事の分担とすることになるため、振り分けを相談した結果、俺が洗濯、ハナが掃除、トウが料理をそれぞれ担当することになった。
適材適所だと思う。
とりあえず今日は簡単な食事だけとって明日から各自が家事をこなし、空いた時間を使って何かするという、なんだか合宿のような感じになってしまった。
けど、これはこれで今ではなかなか味わえないことなので楽しみではある。
 




