表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/17

完全同調者ルナ

 ふりかえれば、ナナコが立っていた。

 ナナコは直立不動の姿勢で、ドア枠に収まっていた。

 まるで、一枚の肖像画をみているかのようだった。

 神楽は胸をなでおろしながら、

「ナナコさん、言われた通り、待機してくれなきゃ」

 と注意した

「すみません、なんだか心細くて」

 ナナコには、悪びれたようすがなかった。

 神楽はタメ息をつくと、入口に歩みよった。

「ナナコさん、一一時十七分って数字に、覚えはない?」

「一一時十七分、ですか……」

 ナナコは無表情なまま、しばらく口をつぐんだ。

 そして、答えを返した。

「思い出しました。あの書類を焼いた時刻です」

「論文を焼いた時刻? ……そんなに正確に覚えてるの?」

「はい、壁の時計で確認したはずです」

「……そう」

 これでは、手がかりにならなかった。

 書類を焼いた時刻が重要だとは、もっともらしくなかった。

 これもダミーの記憶だろうか。神楽はいったん、追及をやめた。

 腕時計を確認する。残り一五分を切っていた。

「そろそろ、仕上げないとマズいわね。記憶の照合を始めましょう。さっきの絵本を持って……」

「はい、持ってきました」

 ナナコの手中には、すでに本が収まっていた。

 神楽は、準備のよさに感謝した。そして、ポケットから論文をとりだした。

 彼女のカンでは、絵本が本物の記憶であり、論文が偽物の記憶だった。

 ナナコの成長具合から考えて、それが妥当だと判断したのだ。

 高校生くらいの外見の少女が、論文を書いたことはないだろう、と。

「この書類との本を、ゆっくりくっつけて」

 ナナコは、ふたつを慎重に接触させた──なにも起きなかった。

 神楽は眉間にしわをよせた。

(……両方、本物ってこと?)

 本物と偽物同士なら、偽物だけが消滅する。

 偽物と偽物同士なら、両方が消滅する。

 神楽は意表をつかれた。

「神楽さん、どうかしましたか?」

「……ナナコさん、前回手に入れたプレートを出してもらえる?」

 神楽の指示に、ナナコは身じろぎもしなかった。

「ナナコさん?」

「出すと言われても、方法が分かりません」

 なるほど、もっともな返事だった。

 まだ説明していなかった。

「夢現化とおなじ要領で、プレートの記憶を思い起こしてちょうだい。かたちをはっきり覚えてなくても、アンロックされた記憶の場合は、正確に再現されるから」

 ナナコは、左手のひらをうえに向けた。

 神楽は、

「さっきみたいに、両手でやって」

 と頼んだ。

 ナナコは、両手をお椀のように合わせた。

 すぐに影があらわれた。

 瞑想を始めてからたった五秒で、完璧なプレートが生まれた。

 名前もアルファベットで、きちんと記入されていた。

 神楽は賛嘆した。

「すごい」

「なにがですか?」

 ナナコは目をあけて、そうたずねた。

「泰人くんから聞いてたけど、夢現化がじょうずね」

 ナナコは、そうですか、と答えた。

 そんな会話のなかで、神楽の心に、ひとつの疑念がわいた。

 もしかすると、ナナコは能力者なのではないだろうか。

 あとで検証する必要がある、と思いながら、論文をかえした。

「それじゃ、記憶をチェックするわ。ふたつのキーアイテムを接触させて、両方本物なら、なにも起こらない。片方が偽物なら、そちらが消滅して、両方偽物なら、両方が消滅する。これは本人がやらないと危険だから、ナナコさんがやってちょうだい」

 ナナコは、論文とプレートを接触させかけた──が、その手をとめた。

「どうしたの?」

「思い出しました」

「思い出した? ……なにを?」

「私がだれなのかを」

 神楽は息がとまった。

 みっつの記憶がアンロックされて、すべてが回復したのだろうか。

 ナナコは、無表情なまま、

「まだお話しする時間はありますか?」

 とたずねた。

 神楽は、腕時計に視線を落とした。

「あと一〇分」

「そうですか……間に合いますね」

 ナナコは背筋を伸ばし、左手を背中にまわした。

 そして、ゆっくりと話を始めた。

「神楽さん、やはり私は、月の民なのです」

 ナナコの言葉に、神楽の困惑した。

 ふたりの視線が、奇妙な角度で交差した。

「私はもともと、月で生まれた高貴な身分の者です。しかし、禁忌を犯してしまって、地球へやって来たのです……どうしました? 質問は、話が終わってからにしてください。私は、月から追放されるとき、記憶を消されてしまいました。そんななか、神楽さん、あなたにお会いしたのですよ」

 神楽は混乱しながらも、事態を理解しようと努めていた。

 話のつじつまが、なにもかも合わなかった。

 ナナコの話には、手のひらに書かれていたメモが出てこなかった。

 そもそも、月に宇宙人など、住んでいないのだ。

 質問をしようと口を動かしてみたが、うまく言葉が出なかった。

 ナナコは、不気味な笑みを浮かべた。

「ウソだと思いますか?」

 神楽は、無言でうなずきかえした。

「そうです……すべてウソです」

 全身から力が抜けた。

 神楽は、肺にたまっていた空気をはきだした。

「ナナコさん、今はそんなことしてる場合じゃ……」

「いいえ、ウソも時には必要なのです。こうして……」

 ナナコは背中から、左手をもどした。

 彼女がにぎっている物体に、神楽は息をのんだ。

「複雑なものを夢現化するためには」

 神楽の眼前に、銃口が突きつけられた。

 あまりの急展開に、神楽は状況を把握することができなかった。

 頭が真っ白になる。

「神楽さん、あなたは人を信用し過ぎです」

 ナナコの声は、もはや彼女のそれではなかった。

 どこかで聞いたことのある、冷たい人を刺すような声だった。

 ナナコはじぶんのほほに右手をかけると、そのまま肌を引き裂いた。

 いや、肌ではない──精巧なマスクだった。

 その下から、カメラごしに見たことのある、中性的な少女の顔があらわれた。

 憧夢に侵入した黒服の少女、ルナだった。

「ど、夢現化ドリマライズ? どうして?」

 神楽は、かすれた声でたずねた。

「仕事で、とだけお答えしましょう」

 そんなことを訊いたわけではなかった。

 どうやって、という質問だった。

 夢のなかで物体を創造できるのは、本人だけのはずだったからだ。

 いずれにせよ、ルナからまともな返事は、返ってこなかったかもしれないが。

「ナ、ナナコさんは、どこ?」

「あちらの部屋にいます」

 そっけない口調のなかに、神楽はナナコの無事をみてとった。

 無論、それによって事態が好転するわけではなかった。

 神楽は、時間をかせぐことにした。

「その拳銃は、どこから出したの? 変装は、どうやって?」

 ルナは答えなかった。

 想像よりクレバーだな、と神楽は思った。

 ルナは銃口を向けたまま、右手をまえへ出した。

「論文を渡してください」

 この場に似合わない、ていねいな言い回しだった。

 神楽は、ルナの顔をにらみつけた。

「ことわる……と言ったら?」

「あなたをブロックアウトします」

 ルナは、引き金のゆびをしぼった。

 思い出のなかで致命的なダメージを受けると、同調に異常をきたし、強制的に覚醒してしまう。ルナが言うブロックアウトとは、それを意味する専門用語だった。

「へえ……だけどその衝撃で、この世界が破綻するかもしれないわよ?」

 神楽は、あくまでも強気に出た。

 これまでの潜入で致命傷を負ったことなど、一度もない。

 ただ、教科書の範囲で、どのようなことが起こりうるのかは、熟知していた。

 その副作用のひとつが、クライアントの記憶障害だ。

「あなたの目的がなにかは知らないけど、あの少女の精神に障害が残ると、困るんじゃない?」

 やみくもな推理ではなかった。

 ルナは、ナナコを傷つけていない。

 健康体のままで偽の記憶を植えつけないといけない、なんらかの事情があるのだ。

 神楽の屈しない態度にもかかわらず、ルナは能面を変えなかった。

「神楽さん、あなたよりも私のほうが、場慣れしているようです。カウンセラーが夢からはじき出されても、べつの潜入者が残っているかぎり、クライアントに影響はありません。おしゃべりはここまでにしましょう。五数えるまえに、論文を渡してください。言っておきますが、夢のなかで致命傷を負った場合、あなたの精神に異常をきたすかもしれません。一、二、三……」

 

 ビーッ! ビーッ! ビーッ!

 

 突然のサイレン。ルナは思わず、視線をそらした。

 神楽は、それを見逃さなかった。ルナの胸もとへタックルした。

 ふたりは床にたおれこみ、激しいもみあいになった。

 身長の高い神楽に、若干の分があった。

 拳銃を持ったルナの左手を押さえ込み、絵本へと手をのばした。

 逆転だ。

 そう考えた瞬間、ルナの手首は神楽のゆびをすり抜けた。

 銃口が、鼻先に突きつけられた。

「しまッ……!」

 その刹那、神楽の視界がフェードアウトした。

 

 ☽

    

 暗闇の向こうに、うっすらと七色の光がさした。

 神楽は、まぶたをあげた──自宅のマンションが、視界にひらけた。

「先輩、だいじょうぶですか?」

 泰人の声。

 みれば、泰人が心配そうな顔で、神楽の顔をのぞきこんでいた。

 じぶんは、なにをしていたのだろうか。

 そのことを思い出し、神楽は上半身を飛び上がらせた。

「ナナコさんは!?」

 ナナコは、神楽のななめ左に立っていた。

 彼女もまた、神楽を気づかっているようだった。

 神楽は大きく息をついて、今の状況を整理した。

「泰人、なにがあったの?」

「あ、いや、その……」

 泰人は、かなり言いにくそうな顔をしたあと、

「俺がスマホ切るの忘れちゃってて、それが鳴ったんです。そしたら、ナナコさんが起きちゃって……でも、先輩が目を覚まさないから、救急車を呼ぶところでした」

 神楽は一瞬、怒りかけた。

 潜入中のスマホオフは、彼女がさんざん注意していたことだからだ。

 けれども、今回ばかりはそれに助けられたかっこうだった。

 ルナに撃たれるよりも早く、ナナコが目を覚ましたのだろう。

 神楽はもういちどタメ息をつくと、ナナコに話しかけた。

「さっきのできごと、覚えてる?」

「はい」

 ナナコの話によると、うしろからいきなり押さえつけられて、さるぐつわを噛まされてしまったらしい。手足をしばられて、クローゼットのなかに押し込まれた、とのことだった。その手際のよさから、ルナはプロであると考えざるをえなかった。

 夢のできごとを共有していない泰人は、どういうことですか、とたずねた。

 神楽は、じぶんたちがおそわれた経緯を説明した。

「え、それっておかしくないですか? なんで夢現化ドリマライズできるんです?」

 神楽は、こめかみにゆびをそえながら、

「見当はついてる」

 と答えた。

「見当?」

完全同調者シンクロナイザーよ」

「しんくろないざあ?」

 泰人は、その言葉に聞きおぼえがないようだった。

「共眠者の能力が解明され始めたとき、アメリカの生理学者が、ひとつの仮説を立てたの。共眠者は、他人と脳波を同調させることで、記憶に干渉することができる。だけど、その同調には、個人差がある。平均的には、95%以上、98%未満。じゃあ、100%になったら?、というのが、その生理学者の疑問だった」

 泰人は、

「もしかして、夢現化ドリマライズができる……?」

 と気づいた。

「そう、100%の同調ができれば、他人の夢のなかでも、夢現化ドリマライズができる。これが結論だった。けど、あくまでも計算上は、ってことで、いちども実証されていないの。なぜなら、100%同調できる人間が、見当たらなかったから」

 泰人はその説明に、目をみひらいた。

「え、じゃあ……あのルナって子は、超レア個体、ってことですか?」

「その可能性があるわ。これは都市伝説に近いんだけど、完全同調者が見つからないのは、各国の諜報機関や軍が、あらかじめ見つけて囲ってるから、ってうわさもあるの」

「そ、そのシンクロナイザーが、なんで私の頭のなかにいたんですか?」

 ナナコは、ひどくおびえていた。ただでさえ、他人に記憶をまさぐられている恐怖があるのだ。それが得体の知れない犯罪者の手になるとすれば、なおさらであろう。神楽は、なるべくナナコが不安にならないように、ポジティブな方向から進めることにした。

「ルナは、ナナコさんの記憶の回収に、失敗してるわ。それに、みっつの記憶が全部本物だったっぽいから、カウンセリングは着実に進展してるといえる。三回目の潜入で、もっと……」

「もう一回入るんですか?」

 心配していたことが起こった──ナナコは、カウンセリングを拒否しかけている。

 それは、めずらしいことではなかった。

 思い出すのが怖くなった、というクライアントは、ときどきいるからだ。

 神楽はカウンセラーとして、ごまかさずに答えた。

「もういちどチャレンジするかどうかは、ナナコさん次第ね」

 一ヶ月ほどようすをみますか。そんな回答をするカウンセラーは多い。

 だが、神楽は、あいまいな可能性をのこすことを嫌った。

 あとは、ナナコの決心がつくかどうかだ。

 ナナコはしばらく逡巡したあと、ややうつむきかげんに、

「私……このまま記憶がもどらなくても、いいです……」

 と答えた。

 神楽は、失望を気取られないように、じぶんの表情を調整した。

「クライアントのあなたがそう言うなら、それでいいわ」

 神楽はなるべく、平静をよそおった。

 その拒絶の間接的な理由は、じぶんのミスだ。そのことにショックを感じないといえば、ウソになる。だが、クライアントのことはクライアントが決めるという神楽の信念に、揺らぎはなかった。だから、説得しようとも思わなかった。

 それに対して、納得のいかない人物がいた。

「ナナコさん、そんなのダメだよ!」

 泰人は、自制のきかない大声で、そうさけんだ。

「泰人、私たちの仕事は、クライアントが望む範囲で、記憶を再生することよ。ムリに真実を見つめさせることじゃない。人間には、忘れたほうがいいこともあるんだから、ここはナナコさんの……」

「ダメだよ! ナナコさんは、これからどうやって生きていくの? お父さんやお母さんも心配してるだろうし……それに……」

 思考がまとまらないのか、泰人はそこで口ごもった。

 クライアントのまえで、カウンセラー同士がもめてはいけない。

 マズいと感じながらも、神楽は泰人の論争を受けて立つ。

「それは、私たちでなきゃ解決できない問題じゃないの。むしろ、警察のしごと。ナナコさんだって、最初は警察へ行こうとしてたみたいだし……手に妙なことが書かれてたから、憧夢へ来ただけで……」

 神楽はふと、ナナコの左手を見た。インクで書かれていた文字は、あとかたもなく消えていた。雪のように白い肌が、窓からさしこむ日射しに、輝いているだけだった。

 神楽は、あの落書きについて、もういちど考えをめぐらせる。憧夢へ行け。あのメッセージは、ナナコ本人の筆跡だった。メッセージを書いたナナコと、それに従ったナナコ。どちらが真のクライアントなのか、神楽にはわからなくなった。

「ともかく、私たちの調査は、行きづま……」

 そのとき、泰人のポケットから、軽快なメロディーが流れた。

 顔をしかめる神楽のまえで、泰人はスマホをひっぱりだした。

「もしもし……はい……はい……え、あ、はい、わかりました」

 泰人は、神楽のほうへ顔をむけた。

「神楽先輩にですよ」

「私に……? だれから?」

「情報屋です。神楽先輩につながらないから、俺にかけてきたらしいです」

 今さらなんの用だろう。

 神楽はいぶかしがりながら、泰人のスマホをうけとった。

 画面には、たしかに情報屋の番号があった。

 神楽はかるく耳におしあてた。

「はい、もしもし? ……え? も、もういちど言ってちょうだい」

 神楽の声が高揚した。

 ただならぬ雰囲気に、泰人とナナコも、体をまえに乗り出した。

「月代かぐやが見つかった!?」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=106038493&size=88
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ