燃え立つ科学者
「熱い! 焼ける! 体が焼ける!」
ナナコは突然、暴れ始めた。
それを制止しようと、神楽は駆け寄った。
そのとたん、でたらめにふり回された手のひらが、神楽のほほをかすめた。
爪が皮膚を切った。うっすらと血が流れた。
神楽はナナコと距離をとって、彼女のうでを押さえようとした。これも失敗した。ナナコに突き飛ばされてしまったのだ。神楽は、絵本のそばに倒れ込んだ。すさまじい力だ。脳のリミッターが外れてしまっているのだろう。
このままでは、ナナコの身に危険がおよんでしまう。ヘタをすれば、強制覚醒が起こって、記憶障害が悪化するおそれもあった。
神楽は、三度目のトライをかけようとした。その瞬間、ナナコがさけんだ。
「だれか! だれか、この火を消して!」
神楽は動きをとめた。あたりを見回す。火事の気配は、どこにもなかった。
幻視だ。
神楽は花びんを手にとると、花をひきぬいた。
なかの水を、ナナコの顔にぶちまけた。
「ひゃッ!?」
ナナコは暴走をやめて、その場にへたり込んだ。
両手で顔をぬぐう。そこへ、神楽は話しかけた。
「だいじょうぶ? ケガは?」
ナナコはぼんやりと、神楽の顔を見あげた。
それから、まわりの状況を確認した。
「ここは……宇宙船のなかじゃ……」
「ここはナナコさんの夢のなかよ」
神楽はほほえむと、ナナコが立ち上がるのを手伝った。
ナナコは、今まで見ていた光景が忘れられないのか、おびえるような顔をしていた。火の手の痕跡をさがすように、部屋のすみずみに視線をむけた。
「おちついたようで、よかった」
「す、すみません……あ!」
ナナコは、ふいに声をあげた。
「どうしたの? なにか思い出した?」
「神楽さん、ほっぺたにキズが……」
「ああ、これ?」
神楽はひとさしゆびで、そっとキズをなでた。
ゆびをはなしてみると、小さな血のりがくっついていた。
「花びんを取りに行くとき、切ったのよ」
やさしいウソ。神楽の言葉に、ナナコは疑問を持たなかった。
ナナコは、両手をお椀のかたちにして、そっと目を閉じた。
ナナコの動作の意味を、神楽はすぐには理解できなかった。
なにかを夢現化しているようだが──神楽が見守っていると、ナナコの手のひらに、小さな紙切れが浮かんだ。それは、一枚の絆創膏だった。ナナコはテープをはいで、神楽のほほに貼った。
「あ、ありがとう」
まさか、カウンセラーのじぶんが介抱を受けるとは、神楽も予想していなかった。
ぽりぽりと頭をかいて、気まずそうに天井を見あげた。
「……ところで、なにか思い出した?」
神楽は、ナナコにそうたずねた。
口調も、もとの事務的なものにもどっていた。
「い、いえ、なにも……」
「なにも?」
これには、神楽のほうがおどろいた。あれだけの反応を見せて、なにも思い出せなかったというのだろうか。記憶の核心にふれたと考えていた神楽は、肩すかしをくらってしまった。
「じゃ、じゃあ、さっきのは? 私をからかったの?」
「え? ……い、いえ、そういうわけじゃないです。宇宙船のなかで火事が起きて、それがあまりにもリアルだったので……」
神楽は、ナナコの理由づけに困惑した。
不可解だ。それが、神楽の第一印象だった。
(……火事も偽の記憶ってこと?)
そううたがった理由は、きちんと存在した。ナナコの肌だ。もしナナコが現実世界で火事に巻き込まれていたなら、どこかに火傷のあとが残っているはずだった。いくら整形技術が発達したとはいえ、ナナコの透き通るような肌質までは、もどせるはずがなかった。
そう考えた神楽は、ひとまず、連想ゲームを終わらせにかかった。
「で、そのあとは、どうなるの?」
「そのあと?」
ナナコは首をかしげた。
連想ゲームをしていたことは、すっかり忘れてしまっているようだった。
「宇宙船のなかで火災が発生して、そのあとは?」
ナナコは、意外な答えを返してきた。
「そのあとはありません」
「……ない?」
「娘はそのまま死んでしまい、そこで物語は終わりです」
バッドエンドだけが残った。
この結末は、なにを暗示しているのだろうか。神楽は、解釈に苦心した。これまでのカウンセリング経験にてらして、一番むずかしいケースかもしれないほどだった。ふつうは、もっと簡単に解釈できることが多かった。知人に似たモンスターが出てくるとか、登場人物の家族関係が、クライアントの家族関係とかさなっているとか、そういうことだ。
主人公が焼死した──これは、なにを意味しているのだろうか。ナナコは生きている。身内の死だろうか。父親だろうか、母親だろうか、それとも、この部屋に住んでいたかもしれない、妹だろうか。ただ、いずれの解釈も、ナナコの幻視と一致していないように思われた。ナナコは、じぶんが火事にあった記憶を持っているようなのだ。
だとすれば──
「罠……か」
「罠?」
「この絵本は、忘れ屋に用意されたものかもしれない」
ナナコはアッと言って、口もとに手をよせた。
「つまり、火事の記憶も洗脳……ってことですか?」
「可能性として、ね」
「ど、どうすれば?」
あれもこれも偽の記憶だという事態に、ナナコは動揺しているようだった。
神楽は、クライアントをいったん落ち着かせることにした。
「だいじょうぶ。むしろ好都合だともいえるから。偽の記憶は、ほかの記憶と矛盾しやすいの。実体験じゃないから、どうしても整合性に難がある。だから、残り時間でもうひとつの記憶をみつけて、それと照らし合わせてみましょう。記憶同士の真偽をたしかめる方法は、簡単だし」
ナナコは、その方法をたずねた。
「アンロックのきっかけになったアイテム同士を、接触させればいいの。本物同士なら、なにも起きない。偽物同士なら両方消滅して、本物と偽物なら、偽物のほうだけ消滅する」
「あ、ほんとに簡単なんですね」
仕組みも単純だった。偽の記憶は、ほかの記憶と完全には整合させられない。どこかでかならず矛盾している。不安定な存在なのだ。
「じゃあ、泰人さんと入ったときの、ネームプレートは、どうですか?」
「それは、最後にしましょ。まだ時間もあるし」
神楽たちは、赤ん坊の部屋にもどって、イチから調査をやりなおした。
見落としていたものはないか、念入りにチェックする。
幼児の部屋、小学生の部屋と、順番にまわっていった。
そして、中学生の部屋にたどりついた。
散らかった勉強机をみて、ナナコは、
「うわ、ごちゃごちゃしてますね」
とつぶやいた。
神楽は心のなかで、ニヤリと笑った。
これはおそらく、ナナコの机なのだ。
彼女のずぼらな一面なのかもしれない。。
まあ、そんなことはどうでもいいかと、神楽は気をひきしめた。
教科書やノートをしらべる。
とくに、ノートはていねいに読んだ。
なにかメモのようなものがあるかもしれないからだ。
「……ダメか」
どれも、授業の内容ばかりだった。
神楽は落胆しないように気をつけながら、こんどはプリント類にうつった。
無造作にめくっていた神楽は、あるところで手をやすめた。
英文が目にとまったのだ。
もちろん、それ自体は、めずらしくはなかった。
中学校では英語を習うのだから、当然といえば当然だった。
しかし、そのプリントは、中学生向けのものとは、あきらかに異質だった。
Project MONORIS
(プロジェクト……モノリス……?)
神楽はタイトルをよみあげたあと、本文に目をとおした。
ところが、最初の数行で、あきらめざるをえなくなった。
英語能力の問題ではなかった。英語は、比較的得意な科目だった。
問題は、その内容にあった。見たことのない単語や化学記号、はては数式まで飛び出し、解読を不可能にしていた。仮に日本語で書かれていたとしても、内容がわからないのではないだろうか。そう思わせるような文章だった。
(科学の論文?)
神楽は、見た目の印象から、そう結論づけた。
けれども、新たな疑問がうまれた。中学生のころとおぼしき部屋に、なぜ学術論文が転がっているのか。見当がつかなかった。
(べつの部屋から持って来た……? いや、それにしても内容が難解すぎる)
「神楽さん、どうしたんですか? なにを見てるんですか?」
ナナコも、それをのぞきこんだ。
文面に目をとめたナナコは、しばらくその横文字を追った。
「ナナコさん、これに見覚えはある?」
神楽は、肯定的な返事を、期待していなかった。
ところが、当のナナコは、心当たりがあるかのような反応をみせた。
「ちょ、ちょっといいですか?」
ナナコは許可を待たずに、プリントをゆびのあいだからぬきとった。
「どこかで見たおぼえがあります……というか……これ……」
ナナコは、脚注のひとつをゆびさした。
そこには、本文よりも小さな文字が書かれていた。
簡単な英語だったから、神楽にも理解できた。
そのなかに、神楽は、とある名前をみつけた。
PhD Kaguya SAIJYO
「かぐや……さいじょう?」
神楽は、その名前に見入った。
「Acknowledgementって、謝辞だったかしら?」
神楽の質問に、ナナコは答えられなかった。
しかし、神楽の知識が正しいならば、謝辞でまちがいなかった。論文を書くとき、著者以外のひとの貢献を示す箇所だ。つまり、カグヤ・サイジョウは著者ではないけれども、間接的な貢献者だった、ということになる。
月代かぐやと、ファーストネームが同じだ。そのような人物がいることに、あるいはすくなくとも、ナナコがそのような人物の記憶を持っていることに、神楽はとまどいを隠せなかった。
(論文で、ペンネームはふつう使わない。サイジョウがほんとうの名字だとしたら、月代が偽名だった? それとも、記憶の混乱?)
月代かぐやという人物が見つからなかった理由は、それかもしれなかった。
神楽が考えをめぐらせているあいだ、ナナコは論文の中身を読んでいた。
不思議に思った神楽は、
「読めるの?」
とたずねた。
「いえ、そうじゃありません。ただ、この文章、どこかで……あ!」
ナナコは吃驚した。
「記憶にあるのね?」
「は、はい、このプリント、私がどこかで燃やしたような……」
「燃やした?」
神楽はプリントをうけとって、それをLEDの灯りにかざした。
「……こげたあとは、どこにもないけど」
プリントは、印刷されたての状態だった。紙質は良好で、染みなどもついていなかった。火にくべられるまえの記憶だろうか。神楽は、そんなことを思った。
「ナナコさん、あなた、両親のどちらかが外国籍ってことはない?」
「両親……ですか……」
ナナコは、ぼんやりとそうつぶやいたあと、口をつぐんでしまった。
「家族の記憶もないのね?」
「ありません」
「お父さんとかお母さんの顔も、思い出せない?」
「……まったく」
そのとき、部屋のそとで、物音がした。
神楽は反射的にプリントをにぎりしめて、ポケットにすべりこませた。
ふたりは同時にドアを見やった。空耳でなかった。
「なんですか、今の音?」
神楽は答えなかった。
彼女自身、正体がわからないということもあった。
それ以上に、彼女の思考は、物音の原因の分析にむけられていた。
なにかが落ちたような音だ。
「……ちょっと見てくる」
「私も行きます」
「ナナコさんは、ここで待ってて」
ナナコは、意外そうな顔をした。
「どうしてですか?」
「……だれかいるのかも」
夢のなかに、クライアントと共眠者のふたりだけ。
それは、しばしば起こる現象だったけれども、必然というわけではなかった。
記憶のロックに第三者が関係している場合は、その第三者も夢のなかにあらわれることが多かった。現に、先日カウンセリングした女性は、父親が夢のなかに姿をあらわしていた。
ひょっとして、この思い出のなかに、だれかがいるのではないだろうか。よくよく考えてみれば、隠れられる場所は、いくつかあった。クローゼットのなかと、ベッドのしただ。そして、その第三者が、じぶんたちに好意的なのか、敵対的なのかは、事前に予測することが困難だった。
「私がもどるまで、絶対に部屋を出ないでちょうだい」
神楽はさりげなく、花瓶をひろいあげた。
武器とまではいかないが、ないよりはマシだった。
「念のため、内がわから鍵をかけといて」
「か、鍵ですか?」
「いいわね?」
神楽の有無を言わさぬ口調に、ナナコはおとなしくうなずいた。
神楽はドアを開け、ろうかに出た。
ナナコが内側から施錠したことを確認すると、ほかのとびらを見渡した。
(音の方向からして……あそこ?)
神楽が選んだのは、向かい側の壁にある、一番右手のドアだった。
高校生の部屋だ。
神楽はドアノブに手をかけて、すきまから室内をのぞきみた。
だれもいない。その代わり、クローゼットの上にあった積み木の城がくずれていた。
神楽はドアを開放して、足を踏み入れた。
積み木に歩みよって、腰をかがめた。
バランスが悪かったのだろうか。神楽は、花びんをそばにおいた。
ピースにゆびをのばす──そのゆびは、積み木の数センチ手前でとまった。
「……え?」
神楽は、積み木の山のなかに、スマホを見つけた。
赤い円錐のブロックが、画面のうえに乗っていた。
神楽は、ブロックをどけて、スマホをひろいあげた。
スヌーズ中という文字が、画面に映っていた。
(なんでスマホが、こんなところに? ナナコさんの持ち物?)
神楽は、タイマーの時刻をチェックした。一一時十七分をさしていた。
その数字に意味があるのではないかと、神楽は思った。
ナナコに訊かなければ。
その瞬間、背後でひとの気配がした。