作られた物語
神楽たちを待ち受けていたのは、先ほどと似たような子供部屋だった。
しかし、内装はまったく同じではなかった。
左手にベッド、向かって右には、本棚がしつらえてあった。
その棚のまえには、絵本が散乱していた。
対象年齢の異なる、ふたつの部屋。それぞれがとなり同士。
ナナコには、姉妹がいたのだろうか。その可能性を、神楽は頭のかたすみにとどめた。
「記憶をみつけた、っていうのは?」
「気配を感じるんです」
ナナコは、散乱した絵本をゆびさした。
神楽は、その絵本に手出しをしなかった。
「この部屋のどこで目が覚めたか、おぼえてる?」
「目が覚めた場所ですか? それは……」
ナナコは、奥にあるベッドをゆびさした。
神楽は遠目に、そのベッドをチェックした。
シーツがくぼんで、乱れていることを確認した。
「起きたあと、なにかしたことは? 物にさわったとか」
ナナコは、首を左右にふった。
「神楽さんがいないことに気づいて……不安になって、部屋を出ました。記憶の気配はしたんですけど、先に神楽さんをさがそうと思って……」
「……なるほどね」
賢明な判断だと、神楽は感心し、視線を室内へもどした。
どちらから手をつけるのか、入口のそばで、ナナコは興味深そうにうかがっていた。
「ほかの部屋も見てみましょう」
「え?」
ナナコは吃驚した。
「記憶は、どうするんですか?」
神楽は敷居をまたいだ。
ナナコも、あわててろうかに出た。
「時間は十分あるわ。記憶の候補が複数見つかった以上、第三、第四のそれがないとも、限らないから……それに、ほかの部屋の状況から、なにかヒントをつかめるかもしれない」
合点がいったのか、ナナコはおとなしく、神楽の行動にしたがった。
神楽はろうかの左右を一瞥した。彼女が目覚めた部屋を一番奥にして、同じ壁に扉がみっつ。反対がわの壁に目をやると、そこにも扉がみっつあった。そして、神楽が目覚めた部屋の正面のドアだけ、なぜか金属でできていた。
ナナコは、アッと声をあげた。
「あのドア、見覚えがあります」
神楽は、ナナコのほうへ首を曲げた。
先を続けるように、目で指示した。
ナナコは昨晩のことを思い出しながら、ふるえるくちびるをひらいた。
「泰人さんとおとずれた夢にもありました。ろうかをふさぐ、非常口のようなものだったと思います」
「非常口……ね」
神楽はしばらくのあいだ、そのとびらを見つめていた。
泰人が悪戦苦闘した空間は、この先にあるのだろう。
いわば記憶と記憶をつなぐ、ワープホールだった。
(最初の潜入地点では、厳重に封鎖されていた……この家は、トラウマゾーンの可能性が、高いわね。第二階層ってことか)
神楽はそんなことを考えながら、鉄のドアをとりあえず放置した。
そのとなりの部屋からとりかかる。
ドアノブをまわすと、部屋は神楽たちをむかえ入れた。
「……ん?」
足を踏み入れたとたん、神楽は奇妙な感覚におそわれた。
部屋の構造は、二番目の部屋に似ていた。カーテンのそばにベッドが置かれ、クローゼットがひとつと、勉強机に本棚がひとつ。最初の部屋が育児用、二番目の部屋が幼児用だとすれば、ここはまるで、小学年の部屋に思われた。その証拠に、ランドセルがあった。
神楽は、本棚に歩み寄った。本の背表紙を目で追う。
漢字が入り交じったタイトルを見て、神楽はじぶんのカンに確信を持った。
「ナナコさん、妹がいた記憶はない?」
「え、妹ですか?」
ナナコは、くちびるに指をそえて、しばらく考え込んだ。
神楽はその仕草を見て、期待薄であることを悟った。もし妹がいるなら、あるいは妹の存在が重要であるならば、すぐに反応を起こしているはずだった。
神楽は部屋を出た。五番目の部屋に入る。
そして、ある結論に達した。
「なるほど……そういうこと」
神楽は、勉強机のうえをあさった。
数学や物理の参考書が、無造作に放り出されていた。
「あの……なにかわかりましたか?」
ドアの向こうから、ナナコが問いかけた。
「ええ、すこしだけ」
神楽は肩ごしに答えた。
「どの部屋も、ナナコさんの寝室だったんでしょうね。どういう理由かはわからないけど、ナナコさんが成長するたびに、部屋を変えたみたい……私が目覚めた部屋が、赤ちゃんのときの寝室で、ここは中学生の部屋」
ナナコは、部屋のなかに視線を走らせた。
クローゼットのうえに、積み木の城が置かれている。
それ以外に、子供心を残すものはなかった。
「そう言われれば、おとなびてますね」
「となると、最後の部屋は……」
神楽はろうかに出ると、反対側のドアを開けた。
「やっぱり……」
神楽は、部屋を見るやいなや、そうつぶやいた。
構造だけは、中学生用の部屋と、まったく同じだった。しかし、メルヘンチックな装飾は消え去って、ナナコの雰囲気に合いそうな、清潔で簡素なデザインになっていた。
勉強机にある教科書も、高校数学になっていた。
そこで、ある推理がひらめいた。
「ナナコさんは高校生?」
「え?」
ナナコは返答につまった。
「ここで部屋が終わりなら、大学生にはなっていないと思うんだけど……もちろん、実家を離れたとか、そういう可能性を度外視すれば、の話」
ナナコは納得した。
「わかりました……でも、さっきの部屋で記憶をアンロックできたら、それで解決しちゃうかもしれないんですよね?」
期待をふくんだ声で、ナナコはそうたずねた。
それは保証できない──と言いたいところだが、ネガティブな気分にさせる必要もなかった。
神楽は、なるべく気軽な返事をかえした。
「それが一番ね……あ」
神楽は、ぽかんと口を開けた──なんという見落とし。
思わず苦笑したくなるほどだった。
「どうしました?」
「ちょっとじぶんのマヌケさに、あきれてたとこ……窓があるじゃない」
神楽はカーテンを開けた。
悲鳴があがる。
「窓が……ない!」
窓はあった。だが、その向こうは壁になっていた。
ふたりは青ざめた。
ナナコは、
「こ、ここは……地下……?」
とつぶやいた。
そしてその結論が、ナナコをおぞましい空想へといざなった。
「わ、私……私、ここに監禁されて……」
神楽はじぶんの失敗に舌打ちした。
よくよく考えてみれば、下り階段も上り階段もないのだ。
ここが地下か密室であることに、もっと早く気づかなければならなかった。
神楽はナナコに寄りそうと、彼女のふるえる肩に手をかけた。
「だいじょうぶ、その心配はないわ。ここであなたが学生生活を送っていたことは明らかだし、あなたの性格や知識を見ても、監禁されていたとは思えないから。おそらくあなたのご両親は、なにか事情があって、子供部屋を外につなげなかったのよ」
半分はいいつくろいだったが、半分は本気だった。
それぞれの部屋のようすや、泰人の話を総合してみると、ナナコが暴力的な犯罪に巻き込まれていた可能性は低かった。むしろ、特殊な病気をわずらっていたのではないか。それが、神楽の現段階での推測だった。
そして、口にこそしなかったものの、その病気をめぐって、何かたくらみがうごめいているのではないかと、そんなことを考えていた。忘れ屋たちの動きも、それに関連する記憶の抹消を狙っているのかもしれない。
神楽はナナコを落ち着かせて、先を続けた。
「とりあえず、このブロックは全部調べたから、記憶の再生に取りかかりましょう」
「は、はい……」
ふたりは、ナナコが目を覚ました部屋にもどった。
絵本は、あいかわらず床に散乱していた。
「この本が怪しいのね」
神楽は、本の数を数えた。全部で三冊。すべてページが開いたままだった。
カラフルな挿絵と、大きく印字された平仮名の多い文章だった。
「絵本……しかも、童話、か」
神楽は、一番近くにあった絵本をひろいあげて、表紙を読みあげた。
「シンデレラ」
神楽は、ひらかれていたページをながめ、挿絵から何の場面かを見てとった。ちょうど一二時の鐘が鳴って、シンデレラがお城を抜け出すシーンだった。脱げたガラスの靴が、長い長い階段の途中に転がっていた。
神楽は、絵本を床にもどして、二冊目を手にとった。
「これは興味深いわね」
神楽は、場ちがいな興奮をみせた。
ナナコも、肩ごしにのぞき込んできた。
「そんなに面白いお話なんですか?」
ナナコの質問に、神楽はふりむいた。
「お話が、じゃないわ。見て」
神楽は、開いたページに親指をはさんだまま、パタンと絵本を閉じた。
十二単を着た面長の女性が、表紙の中で月を見上げていた。
そう、それはあまりにも有名なおとぎばなしだった。
「かぐや姫よ。あなたが思い出した名前といっしょ」
ナナコは、じっと表紙を見つめたまま動かなくなった。
いきなりヒントにぶちあたったのかと、神楽は緊張した。
「ナナコさん、なにか思い出した?」
「い、いえ、そうではなく……」
ナナコは、首をななめ四十五度に曲げたあと、
「このタイトル、初めて見たもので……どういうお話なんですか?」
と口走った。いたって真面目な表情だった。
小難しい作家の名前か、古典の題名を問うような、そんな口ぶりだった。
神楽は、おどろきをかくせなかった。
「かぐや姫を知らないの? 有名なおとぎばなしよ?」
ナナコは、なんだかもうしわけなさそうに、首を左右にふった。
「もしかすると、私はあんまり本を読まないのかも……」
「読書量は関係ないわ。だれでも知ってるお話。むしろ、知らない人をさがすほうが……」
そこまで言って、神楽はふと口をつぐんだ。
表紙からもナナコからも視線をそらして、じっと宙を見つめた。
「そうか……これがロックされてる記憶の鍵なんだわ……」
ナナコはあぜんとした。
「お、おとぎばなしがヒントなんですか?」
「ナナコさん、ほんとうにこの話を知らないのね?」
「はい、知りません」
ナナコは、はっきりと答えた。
「みじんも? 一部だけおぼえてるとかは?」
「いいえ、まったく」
その答えに満足した神楽は、絵本を背中にかくした。
「ナナコさん、これから連想ゲームをしましょう」
「ゲーム?」
ナナコの声がうわずった。
神楽が言ったことを、理解できなかったようだ。
「連想ゲーム。リンゴと言ったら赤とか、そういう単純な遊び。ただし……」
ナナコは、なにかを言いかけた。
神楽は、すばやく先回りをした。
「テーマは、かぐや姫。私がこの物語の一部を話すから、その先を自由に考えて、お話を完成させて欲しいの。ようするに、かぐや姫のフリーシナリオってわけ」
これは遊びではない。かぐや姫のストーリーが、ナナコの記憶の鍵なのだ。そこになんらかのトラウマがあるはずだった。それを見つけるためのゲーム。神楽は、趣旨を説明した。
ナナコは、神楽を信頼したのか、それともその場の勢いにのまれたのか、最後は同意した。
「じゃ、最初から。用意はいい?」
「は、はい」
「昔々あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。おじいさんがある日、竹やぶのなかへ竹を取りに行くと、あるものを見つけました。それは、なんだと思う?」
「えっと……竹やぶのなかですよね……」
ナナコはひたいにゆびをあてて、しばらく考え込んだ。
これはいけないと、神楽は口をはさんだ。
「連想ゲームだから、考えちゃダメ。直感で答えて」
「直感……ですか……」
それでもナナコは、回答に手間どった。
几帳面な性格なのか、パッと答えるのが苦手なのか、判然としなかった。
両方なのかもしれない。
そう思ったのもつかのま、意外な答えが返ってきた。
「おじいさんは、竹やぶのなかで、宇宙船を見つけます」
「え?」
神楽は、思わず声をあげてしまった。
しまったとじぶんの口を押さえたが、あとの祭りだった。
「へ、変でしたか?」
ナナコは、気まずそうな顔をした。
神楽は首を左右にふって、先を続ける。
「じゃあ、その宇宙船を見つけたおじいさんは、どうしたでしょうか?」
「おじいさんは……いえ、おじいさんはなにもしません。宇宙船のドアがひらいて、なかからキレイな少女が出て来ます」
メチャクチャなスタートを切った物語が、いきなり本筋へもどった。
これには、さすがの神楽も困惑した。
しかし、ここで不自然な顔をすると、ナナコの連想を阻害してしまう。
そう考えた神楽は、次の質問に取りかかった。
「おじいさんは、その娘をどうしたの?」
「家に連れて帰ります」
「そのあとは?」
「うーん……幸せに暮らします……」
話が終わってしまった。
おかしい──ナナコの思考回路が、ではなかった。なんの兆候も示さずに、物語が無事終わってしまったことが、神楽には奇妙に思われた。
絵本が記憶の鍵というのは、かんちがいなのだろうか。
神楽は、自信がなくなりかけた。
と、そのとき、ナナコは思い出したように、
「あ、待ってください。まだ先があります」
と言った。
「どんな?」
「その娘は、若い男の人に恋をします。その若い男の人も、娘のことを愛していたので、ふたりは仲良く結婚するんです」
なぜか恋愛話になってしまった。
けれども、神楽はふたたび希望を持った。
具体的に話をつなげられるということは、やはりなにかあるのだ。
神楽は、この物語を進めようと、頭をひねった。
「結婚して、どうなるの?」
「そうですね……しばらくは幸せに暮らすんですが……」
ナナコは、すっかりストーリーテラーになっていた。
楽しそうに先を続けた。
「ある日、宇宙船で、月へ行くことになるんです」
「つまり、帰るわけね?」
神楽はうっかり、かぐや姫のオチを口走ってしまった。
ナナコは、そのケアレスミスに便乗しなかった。
「帰る……? 娘が月から来たって、私、言いましたっけ?」
神楽は、慌ててかぶりを振る。
「私のかんちがいよ。どうして、月へ行くことになったの?」
「それはですね、月から石を持って帰るのと、もうひとつ……」
ナナコはしばらく、口をパクパクさせた。
そして、言い換えた。
「で、その月の石を持って帰るために、宇宙船に乗って……」
「待って、もうひとつって言わなかった? もうひとつ、なに?」
神楽は、ナナコにストップをかけた。
ナナコが言わなかったこと。それこそが、鍵にちがいなかった。
ところが、ナナコは神楽の質問には答えず、かといって勝手に話の先を進めることもしなかった。いや、そもそも神楽の存在が消えてしまったかのように、遠い目をして宙を見つめていた。
「ナナコさん?」
「……熱い」
ナナコは両腕をだきしめて、身を震わせながら背中を丸めた。
おこりにかかったように全身を痙攣させ、あらい息をはいた。
おかしい。
神楽は、体を支えようと駆け寄った。
その瞬間、ナナコの口から悲鳴が漏れた。
「焼ける……体が焼ける……! だれか助けて! 早く! 早くだれか!」