表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/17

我が名はかぐや

 神楽とナナコは部屋をとびだした。

 ふたりを待ち受けていたのは、左右にのびる白い通路だった。

 窓はなく、ひともいなかった。

 ナナコは、

「ここは……どこですか……?」

 と、不安げなまなざしを送ってきた。

 神楽は首を左右に九十度回し、通路の奥をさぐった。どちらも、頑丈な金属製のとびらで封鎖されていた。その向こうになにがあるのか、うかがい知ることすらできなかった。

 ただひとつ目立つものといえば、一枚の鏡だった。

 それはふたりが出てきた部屋の、ちょうど正面にあった。

 比較的大きめで、床から神楽の身長ほどの高さがあった。

 幅は三〇センチといったところだろうか。

 神楽は、鏡をのぞきこんだ。

 濡れた髪の毛が、ひたいにはりついていた。

 あごからは、水滴がしたたりおちていた。

 神楽は、前髪をつまみあげた。

「……?」

 神楽は、ふと違和感をおぼえた。

 うしろを見る──部屋のスプリンクラーが、水をまき散らし続けていた。

 ところが、もういちど鏡を見ると、そのような光景は映っていなかった。

 ドアが開いている点は同じだったが、部屋のなかで騒動は起こっていなかった。

「ナナコさん、ちょっと来て」

 その鏡の世界に、ナナコもひょいとあらわれた。

「どうしました?」

「この鏡に映ってる景色、私たちがいるところと違う」

 ナナコもそのことに気づいた。

「ですね……もしかして、鏡のなかに入れるとか?」

 神楽は、鏡面に手をのばしてみた。硬質なガラスが、侵入を拒絶した。

 ナナコも真似てみたが、反応はなかった。

 神楽は、いったん保留することにした。

 記憶が部分的に混濁しているだけかもしれないと、そう思ったからだ。

「ナナコさん、ここがどこか思い出せた?」

 神楽の質問に、ナナコは首をふった。

 神楽は、腕時計に目をやった。残り時間は二十分を切っていた。

「記憶がアンロックされた気配って、ある?」

「気配?」

「気分が軽くなったとか、思考がはっきりしてきたとかは?」

 ナナコは、また首をふった。

 神楽は嘆息した──ここまで手掛かりのない潜入は、なかなかめずらしかった。ふつうはもっと、ヒントになりそうなものが、たくさんあるのだ。思い出の場所とか、思い出の品とか、そういうものが。

 神楽は、あたりを見回した。すると、じぶんたちが出てきたとびらのすぐ横、ちょうど目線の高さに、いびつな盛りあがりをみつけた。それは、真っ白なプレートだった。壁の色と同じだったうえに、なんの装飾もなかったので、最初は気づかなかった。

 ナナコもふりかえって、眉をひそめた。

「これは……」

 ナナコの反応に、緊張が走った。

「なにか見覚えがある?」

「み、見覚えはないですが……なんだか、不思議な感じがします……」

 神楽はくちびるをかたくむすび、プレートをもう一度みた。

 不思議な感覚。これがロックされた記憶でまちがいない。神楽は確信した。

 しかし、ナナコがなにかを思い出した気配はなかった。

 彼女は、ぼんやりとプレートを見つめたまま、その表面を目で追っているだけだった。

「……なにも思い出さない? じぶんの名前とか、場所の名前とか」

 その途端、神楽の前でナナコの顔色がくもった。

 それは、苦悶の表情へと変わった。

 ナナコは両手で頭をおさえた。

「だ、だいじょうぶ?」

 ナナコは頭をかかえたまま、

「いえ……ちょっと頭痛がして……」

 と答えた。

 痛みは去りつつあるのか、ナナコはこめかみをなでた。

 そして、こんどは神楽がしぶい顔をした。

「酷かもしれないけど、さっきの私の台詞を、思い出してくれない?」

「え? 神楽さんの台詞を?」

 神楽の頼みに、ナナコは眉をひそめる。

「ナナコさんは、さっきの会話のどこかで、記憶を刺激された。なにかを思い出しかけたの。ナナコさんの心がそれをこばんだから、頭が痛くなった」

「思い出しかけた……?」

 神楽は、うなずきかえした。

「あせらないでいいから、ゆっくりね。痛くなったら、すぐにやめてもいい」

 神楽の真剣なまなざしに、ナナコは意志のこもった瞳をかえした。

 目を閉じると、先ほどの神楽の台詞を、頭のなかで復唱した。

《……なにも思い出さない? じぶんの名前とか……》

「名前……うッ」

 ナナコは、ふたたび頭をかかえた。

 神楽は、ナナコが平静を取りもどすまで、じっと待った。

 すぐにでも質問を投げかけたいところだが、神楽はクライアントの安全を優先した。

 そしてそのあいだ、思考をフル回転させ、ナナコのつぶやきの意味を考えた。

 名前──白地のプレート──とびらのすぐそば──

 神楽の脳裏に電流が走った。

「ネームプレート!」

 神楽はプレートに駆けよって、その表面を凝視した。なめらかに見えたそれは、こすられたあとを残していた。記憶消去の痕跡だった。

「やっぱり!」

 神楽は、ナナコに話しかけた。

「ナナコさん、まだ耐えられそう?」

「え……ええ……一回目ほど痛くは、ありませんでした」

 ナナコの返事に、神楽は安堵の表情を浮かべた。

「心が慣れてきたのね……これから重要なことを話すわ。また頭が痛くなるかもしれないけど、我慢して聞いて……ナナコさん、あなたは名前を思い出せないんじゃない。思い出したくないの。だから、あそこにかけられてるはずのネームプレートが、真っ白になっちゃってる」

「ネーム……プレート……」

 ナナコの頭痛は、再発しなかったようだ。

 まだ調子が悪そうに見えるものの、言葉には乱れがない。

 ロックがゆるんでいる。心が受け入れ始めた証拠だった。

「そのネームプレートになにが書かれていたか、思い出せない?」

 核心部分にふれた神楽は、黙ってナナコの反応を待った。

「……なにも思い出せません」

 ナナコは、消え入りそうな声で答えた。

「ネームプレートを見た記憶は?」

「ないです」

 ネームプレートの存在自体が、記憶から消されているのだ。

 そう考えた神楽は、腕組みをして、かるく目を閉じた。

 こんなとき、アドバイザーはどうすればいいのだろうか。

 教習所で教わったことを思い出そうと、神楽は記憶をたどった。

(トラウマになってることは、ダイレクトには思い出せない。なにかワンクッション置かないといけない)

 どうすれば、間接的な記憶の再生ができるのか。

 神楽は頭をひねった。

 教科書的には、なにか作業をはさむ、というものだった。

 つまり、直接的に思い出そうとするのではなく、なにかの作業のはずみで見つかった、という体裁をとるのだ。一見ばかばかしいように思われるが、科学的に有効なことは証明されていた。

「……マニキュア落としとか、そういうものを出せない?」

 かぐやは、両手をお椀に組んだ。

 五分ほどして、ピンク色の小瓶ができあがった。

「どうぞ」

 神楽はポケットからハンカチをとりだした。

 液体を染み込ませ、プレートを強くこすってみた。

「……んー、だめか」

 プレートは、相変わらず白いままだった。

 匂いのこびりついたハンカチを、神楽はポケットにしまった。

 もういちど頭をひねる。

「……インクに紫外線をあてると、うすい文字でも読めるようになるのよね」

「紫外線……ですか?」

「紫外線ランプは作れない?」

「そ、そういう複雑なものは、ちょっと……」

「それもそうね、ごめんなさい」

 神楽は、プレートの問題を棚上げにした。

「通路の向こうがわにヒントがないか、たしかめてみましょう。私はあっちのドアを担当するから、ナナコさんはそっちのドアをお願い」

 神楽は、出てきた部屋からみて、右手のほうのドアを担当した。

 金属製の把手とってに指をかけて、思いっきり引いてみた。

 びくともしなかった。

 通路の反対側から、

「ダメです、こっちもひらきません」

 というナナコの声が聞こえた。

 神楽たちは、押してみたり、スライドさせてみたり、たたいたりしてみた。

 どれも意味がなかった。

 どうやら、鍵がかかっているらしかった。鍵穴がないにもかかわらず、である。

 もしかすると、外からしか開錠できないのかもしれなかった。

 神楽は腕時計をみた。残り時間は、すでに一〇分を切っていた。

 もういちど、最初からていねいに考えなおす。

 無機質な部屋、カードキー、スプリンクラー、鏡──

「鏡?」

 神楽は、部屋から出た直後の違和感を思い出した。

 スプリンクラーでずぶ濡れになったじぶんは、この鏡のまえに立った。

 すると、鏡のなかの景色が、じっさいの景色とちがった。

 なぜ?──この場所と鏡のなかで、時間の流れがちがうのでは?

「……そうか!」

 神楽は、鏡にもういちど駆けよった。

 鏡面をのぞきこみ、角度を試行錯誤した。

 プレートが映り込んだ瞬間、文字がみえた。

 カードキーの謎も解けた。

 ナナコは、もっと古い記憶を思い出していなければならなかった。

 そこに強烈なロックがかかっていて、浅い記憶に潜入ダイブしてしまったのだ。

 古いカードキーを夢現化ドリマライズしたのは、そのなごりだった。

「ナナコさん、鏡ッ!」

 神楽の大声に、ナナコも駆けつけた。

 ふたりは、左右対称になったアルファベットを、慎重に読みあげた。

「T・S・U・K・I・S・H・I・R・O……ツキシロ!」

 神楽がさけんだのと同時に、ナナコは顔をあげる。

「ツキシロ……」

 ナナコは、胸もとでやわらかに指を折りまげて、そっと目を閉じた。

「私は……かぐや……月代かぐや……!」

 その瞬間、神楽たちは現実へと引きもどされた。

 

 ☽

 

 神楽が目をさますと、そこはマンションのリビングだった。

 すこし離れたところに、椅子をおいた泰人の姿があった。

「あ、先輩、どうでした?」

 神楽は親指を立てて、成功、という合図を送った。

 泰人の顔が明るくなった。

 ナナコもまた、ゆっくりと目をさました。

「ここ……は……?」

 神楽は、

「おはよう、ナナコさん」

 と声をかけた。

 ナナコは、しばらくのあいだ、意識がぼんやりとしているようだった。

 が、しばらくして、

「私は……月代かぐや?」

 と、あいまいにつぶやいた。

 神楽は、ナナコの気分が回復するのを待ってから、紙に名前をかかせた。

 その文字列に、神楽は無表情になった。

「月代かぐや……か。いい名前ね」

 神楽のセリフは、彼女の心のなかのセリフとは、かならずしも一致していなかった。

(月から来た少女の名前が、月代かぐや、か……できすぎね)

 それが、神楽の本音だった。

 けれども彼女は、それを思考のかたすみに仕舞って、言葉をつむいだ。

「これなら、同姓同名の問題もなさそう」

 神楽はそう言うと、スマホで電話をかけ始めた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=106038493&size=88
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ