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決裂

 なかをのぞきこんだ神楽は、思わずさけんだ。

「ナナコさん!」

 白いワンピース姿のナナコが、ドラム缶のなかで、ひざを折り曲げていた。

 神楽とルナは、彼女をドラム缶から慎重に引きずり出した。

 脈と呼吸をみて、生死を確認する。

「気絶しているだけのようです」

 ルナの診断に、神楽は胸をなでおろした。

「それにしても、まさかスタート地点に隠すなんて」

「盲点でした。入口をさがしていた以上、ドラム缶の下は調べても、中は調べません」

 ルナは、眠るナナコを砂上におろして、しばらくようすをみた。

「熱中症?」

「いえ、ドラム缶は温かくなっていません。工場跡が消えてから、時間はそれほど経っていないようです」

 神楽は、炎天の太陽をふりあおいだ。

 日陰をもとめて、周囲に視線をさまよわせる。

 工場跡くらいは、残しておいて欲しかった。

「神楽さん、意識がもどりました」

 神楽は、ナナコのまえにかがみこんだ。ようすをうかがう。

 うっすらと、まぶたをあげ始めていた。

 ひとみの露出が次第にふえて、ナナコはスッと目を覚ました。

「……ここは?」

 ナナコは、ぼんやりと神楽を見つめた。

 神楽は、にっこりとほほえみかえした。

「ここは、あなたの思い出の中よ」

「私は……ずっと夢を見て……」

 ナナコは、腰をあげかけた。足下がふらついた。

 神楽は無理をさせないよう、彼女を支えて立ちあがった。

「月から地球をながめる夢でした……私は、いったい……?」

 ナナコは、夢見心地のようだった。

 神楽は真相を語らなかった。いつか知ることになるとしても、今はそのときではない。そう考えた神楽の後頭部に、固いなにかがあたった。

 銃口だった。

「……ルナさん、なんのマネ?」

「両手をあげて、月代かぐやからはなれてください」

「……システムを破壊して、私は用済みってわけ?」

「両手を上げて、月代かぐやからはなれてください」

 神楽はおとなしく両手をあげた。

 おびえるナナコのまえから、横歩きに移動した。

 ナナコは今の状況を理解できないらしく、銃口を見つめながらふるえていた。

 一方、神楽はつとめて冷静だった。

 それを不審に思ったのか、ルナはくちびるを動かした。

「どうしました? あきらめましたか?」

「いいえ、あきらめてないわよ。あなたはまだ、私をログアウトさせられないはずだから」

「試してみましょうか?」

 引き金に、わざとらしく指をかける音がした。

 それでも、神楽は態度を変えなかった。

 そして、ルナもまた、引き金を引かなかった。

「なるほど、どうしてわかりました?」

「単純よ。システムを破壊してから、私を排除する時間は、いくらでもあった。ドラム缶を開けるまえに、私をうしろから撃っても、よかったはず。それを先延ばしにする理由があった、ってこと」

 神楽は、ルナに背をむけている。

 だが、ルナの気配は、なんとなく感じられた。

 動揺こそしていないものの、神楽の洞察に感心しているようだった。

 神楽は、先を続ける。

「思い出の中で暴力をふるわないなんて、ただの口約束ですものね。警察や司法が介入してくるわけでもなし」

「そこまで分かっていて、なぜ勝負を引き受けたのですか?」

「それは単純よ。私も、西条静と同じ考えだから」

 神楽の返答に、ルナは口をつぐんだ。

 やはりこの少女には、あいまいな物言いを理解する能力が欠けている。感情にとぼしい分、ユーモアや皮肉を感じ取ることができないのだ。そのことを確信した神楽は、少しずつ話を進めていった。

「ようするに、私もリスクを取ることにしたのよ」

「そのリスクが、やや大き過ぎたようですね」

「あら、そうかしら?」

 ルナは言葉を返さない。

 神楽は先を続けた。

「あなたは私を撃たない。なぜ? 推理してあげましょう。あなたは、こう言ったわね。ナナコさんは、記憶を改ざんされたフリをしてたって。演技をしてたってことでしょう? ところが、憧夢どうむへやって来た彼女は、完全な記憶喪失になっていた」

 神楽はそこで言葉を切った。そして、となりにいるナナコをみた。

 ナナコもそれを見つめ返し、ふたりの視線が交差した。

「真相は、こうでしょう? ナナコさんは、記憶改ざんされたフリをして、研究所から脱出の機会をうかがっていた。フリをするには、当然、月代かぐやの記憶も残っていたことになる。つまり、ナナコさんは、優秀な科学者の記憶をもちつつ、べつの人格を有する状態になっていた。彼女は科学者としての知識を利用して、研究所を脱出、そのさいに、じぶんの記憶も封印してしまったのよ。ある鍵を残してね」

 神楽はじっと、ナナコの目を見つめた。

 じぶんの考えに気づいてくれと、祈るような思いで沈黙を守った。

 しかし、ナナコが気づいてくれた気配はなかった。

 先にルナが口をはさんだ。

「やはり、鍵のありかをご存知なのですね」

「……ええ。それが、私をこの空間からログアウトさせない理由でしょう? あなたたちは、ナナコさんがその鍵をおぼえているのか、それとも一切を私たちに託してしまったのか、そこまでは突き止められなかった。全体のようすから、ナナコさんは鍵もいっしょに忘れてしまったものと判断し、あなたたちは私をここへ連れ込んだってわけ。もちろん、鍵の有無については、あなたたちにも確信がなかった。もしかすると、防衛システムを破壊すれば、記憶はもどるのかもしれない。そういう期待もあった。だけど、もどらなかった。だから、秘密の鍵があると確信した」

「けっこうです。説明の手間がはぶけました。鍵は、どこに?」

 月代かぐやの思い出は消えていない。ただ、暴走をやめただけだ。記憶が脳という物質的な構造と関連している以上、思い出の内側からそれを簡単に消し去ることはできないはずである。神楽は、そう推測していた。

 だとすれば、ルナの目論みも見えてくる。彼女は、他人の記憶をうばう忘れ屋だ。忘れ屋の仕事は、目障りな記憶を封印すること。消し去ることではない。ロックされた記憶といえども、脳のどこかには残っている。では、なにを封印ロックする気なのか。それは明白だった。目のまえにいるクローンかぐやの自立した人格を封印するつもりなのだ。結局、西条静にとって最大の誤算は、クローンが新たな人格を持ち、前世の記憶を拒んでいることなのだから。

 ルナの目的は、クローンかぐやの人格を封印し、月代かぐやの記憶を復活させること。

 じぶんの目的は、クローンかぐやの人格を救出すること。では、月代かぐやの記憶は? 封印したままにしておくのか、それとも、これも救出するのか? それは、だれが決めるのか?

 神楽は目を閉じて、考えをまとめる。記憶の再生の成否は、八割方、クライアントの性格と知性で決まる。じぶんは、それをアシストするしかない。それが彼女の持論だった。そして今、その仮説が試されようとしていた──そう、この状況は、あらかじめ用意されていたのだ。ある人物によって。神楽は、その人物の頭脳に、賭けてみたくなった。

 神楽は大きく息をつくと、まぶたをあげた。

「かぐやさんの手のひらに書かれていたわ……月の石、って」

 その瞬間、ナナコは喫驚をあげた。

 目をみはって、右手を口もとにあてた。

 かすかにふるえているようにさえ見える。

 あっさりと口を割った、じぶんに対する軽蔑だろうか。

 神楽は、この作戦が正しいのかどうか、自信が持てなくなっていた。

 けれども、気丈に先をうながした。

「ナナコさん、月の石よ。それを夢現化ドリマライズして」

「……そうすれば、神楽さんは助かるんですか?」

 ナナコは、あくまでも神楽のことを心配してくれていた。

 そのことが、痛いほどありがたかった。

「ええ、助かるわ……あなたもね」

 ナナコは、意を決したようにうなずくと、手をおわんのかたちに組んだ。

 そっと目を閉じる。炎天下の静寂。

 神楽は視線を伸ばし、ナナコの夢現化を見守る。

 こぶしくらいの大きさの石が、ゆっくりと具現化されている。

 完成品を目の当たりにして、神楽は息をのんだ。それは、理科の教科書にのっているような、灰色の石だった。変哲がないといえばなかったが、今はそれが、とても神秘的なものに思えた。

「できました」

 ナナコは息をつき、汗をぬぐった。

 ルナは銃口を向けたまま、

「それが鍵なのですね?」

 とたずねた。

「た、たぶん……」

「では、論文を出してください」

 ナナコは、えッ、と言った。

「ろ、論文?」

「あの屋敷にあったものです」

「な、なんで論文が必要なんですか?」

「この石が本物の記憶かどうか、チェックします」

「……」

「どうしました? まさか偽物なのですか?」

 神楽は。内心で舌打ちした。

 もっとも、この展開のリスクは、最初から存在していた。

 キーアイテムをあっさり明け渡すなど、都合がよすぎる。

 ルナは、あきらかに警戒していた。

 偽物と本物、偽物と偽物、どちらのケースでも、偽の記憶は消滅する。

 もしナナコではなく、ルナがそれをおこなえば、記憶は暴発する。

 ブロックアウトさせるくらいの威力は、あるはずだった。

 ルナがうっかりしてくれることを、神楽は期待していた。

 けれども、ルナもまた、その手を読んでいるのだった。

「かぐやさん、どうしました? その石は、偽物なのですか?」

「……わかりました」

 ナナコは右手に石を持ったまま、目を閉じた。

 空いた左手で、もういちど夢現化ドリマライズを始めた。

 紙の束があらわれる。それは左手ににぎりしめられたかたちで、風になびいた。

「ふたつを接触させてください」

「……」

「接触させてください」

 ナナコは、右手と左手を合わせた。

 月の石が、紙につつまれる──なにも起こらなかった。

「消滅しない……なるほど、けっこうです。渡してください」

 ルナは右手をさしだして、よこせと指示した。

「……」

 ナナコは両手で、石をにぎりしめた。

「渡してください」

 ナナコは、神楽のほうをみた。

 万事休すだ。

 じぶんの未熟さに、神楽は落胆した。

 ルナは、引き金にゆびをかけた。

 ナナコはおそるおそる、石と論文をルナに手渡そうとした。

「石だけでけっこうです」

「え……でも……」

「論文にフィルムがついていると困ります。きちんと接触させた証拠がありません」

 用心深すぎる。神楽はおののいた。

 裏の世界で生きて来た人物は、ここまで年齢部相応になれるのだろうか。

 ナナコが機転を利かせて逆転する可能性は、もはやないように思われた。

 石をうけとったルナは、五歩後退した。

 神楽は襲いかかるタイミングを見計らっていた。

 だが、ルナにスキはなかった。

「さようなら、神楽さん、かぐやさん」

 とつぜんの閃光。激しい火花が飛び散った。

 ルナは悲鳴をあげ、銃を取り落とした。

 神楽は体術を使い、ルナのあごを蹴り上げた。

 ルナはのけぞり、そのまま砂漠の風に流され、煙のように消えた。

 あとには、ふたりの少女だけがのこされた。

 石は、完全に消滅していた。

 ただ一枚の紙切れが、宙を舞った。

 神楽はそれを、器用に空中でキャッチした。


 Project MONORIS


 論文の表紙のひときれが、神楽の手のなかで、風になびいていた。

「どういう……こと?」

「あの石は、なかが空洞だったんです。気流のしかけで、その紙切れを、空中で固定していました。隠しボタンを押すと、五秒後に気流が乱れて、石の内側に接触するんです。論文は本物で、石が偽物。第三者の手のなかで接触させたのですから、当然暴発しますよね」

 科学的な、あまりに科学的な説明。

 神楽は、真相を悟った。

「ってことは……あなたは……」

 ナナコは──さきほどよりもおとなびた表情を見せる少女は、ほほえんだ。

「ありがとうございます。おかげで、記憶をとりもどせました」

 目のまえにいる少女。

 それは、月代かぐやの記憶をとりもどした、一個の人格だった。

「月の石……これが、合言葉だったの? あなたが記憶を回復するための?」

「そうです。夢のなかでこのキーワードを聞いたとき、私の記憶が回復するようになっていました。研究所を脱出するまえに、そういう処置をほどこしておいたんです。私はもう、西条の妻、西条かぐやでもなければ、記憶消失の少女でもありません。月代かぐやを前世に持つ、ふつうの女の子です」

「最初から全部、あなたの手のひらのうえだったわけね……恐れ入ったわ」

「いえいえ、神楽さんたちのおかげですよ」

 じぶんですら月代かぐやの手駒に過ぎなかったことに、神楽は憤慨を通りこして、なんだか愉快になってしまった。ルナがこれを聞いたら、どんな顔をするだろうか。プライドを傷づけられて、顔を真っ赤にするかもしれない。いや、それでもやはり、あの鉄面皮を崩さないのだろうか。

 神楽の空想のなかで、ルナの顔があいまいになっていく。

「おっと」

 地鳴り。世界が揺らぎ始めた。

 ふたりは砂のうえで、バランスをとった。

 空が灰色になり、ぱらぱらと崩れては消えていく。

「潜入はここまでね。あとは、現実で西条静と決着をつけましょう」

「神楽さん」

 ナナコの呼びかけに、神楽は視線をもどした。

「本当に、ありがとうございました」

 ナナコは、腰をおりまげて、一礼した。

 神楽は、最後にもういちどだけ、口のはに笑みを浮かべた。

「じゃ、帰りましょうか。日常へ」

「はい」

 ナナコの返事を最後に、世界は暗転した。

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