秘密の花園
「ようこそ、私の思い出の中へ。お待ちしておりました」
女のセリフに、神楽は顔をしかめた。
かぐや本人でないとわかった今、もはや気づかいは無用だ。
そう考えた神楽は、ルナの出方をうかがいつつ、会話を始めた。
「あなたの、じゃなくて、月代かぐやさんの、でしょ?」
防衛システムにケンカを売るのは、まずいのかもしれない。
しかし、目のまえの女からは、殺気が感じられなかった。
それどころか彼女は、神楽たちを待っていた、と言うのだ。
事情を把握できない神楽は、女が答えるのを待った。
「私の思い出なのか、月代かぐやの思い出なのか……どちらもおなじことです」
「おなじ……?」
神楽はルナを盗み見た。
ルナは、無機質な表情のままだった。
神楽だけが大切なことを伝えられていない、そんな状況だった。
「まだおわかりでないのね」
女はそう言うと、ふたたび椅子にもたれかかって、虚空を見つめた。
さわやかな風が吹き込み、草花と木々のこずえをゆらした。
神楽のたばねた髪も、流れるように左へとなびいた。
風にさわわれるかのように、神楽はくちびるを動かした。
「だって、あなたは、月代さんの思い出……!?」
西条かぐや……遺伝子保存計画……記憶の研究をする男……
神楽は、ある恐ろしい結論に達した。
それを見透かしたかのように、女は先をつづけた。
「そう、私が本物の月代かぐやなのです」
「ということは、月代さんは……あの少女は、西条かぐやのクローン!?」
女は、いや、西条かぐやは、神楽に祝福の笑みをあたえた。
「その通りです。彼女は私のクローン……モノリス・プロジェクトは、地球上に存在する生物の遺伝子を、多様に保存することを目的としていました。そして、人間のDNAには、私のサンプルが含まれていたのです。私の夫……西条静は、それを使って、私を再生しようとしました」
「西条静は、記憶の保存に関する研究をしていた。そのサンプルのなかにも、あなたの記憶があった?」
西条かぐやは、静かに笑った。
答えを返さずに、ルナへ向きなおった。
「ルナさん、あなたはどこまで、話を聞かされているのですか?」
「……」
ルナは沈黙した。
西条かぐやは、不快そうに口もとをゆがめた。
その瞬間、ルナは即答した。
「ほぼすべてです」
ルナの返答に満足したのか、西条かぐやは、例の微笑にもどった。
「夫はあなたに、この計画を打ち明けたのですね?」
「はい。クローン再生から記憶の移植まで、すべて。西条静は、我々に情報を隠して発生するリスクを忌避しました」
「……あの人らしい考え。プライバシーよりも、成功の確率を優先する」
そのとき神楽は、ルナが背中に手を回していることに気がついた──夢現化だ。かたちは定かでないが、銃器にみえた。ここで防衛システムとカタをつける気なのだろうか。
神楽は、どちらに味方すればよいのか、わからなくなった。
じぶんの命を狙ってくる防衛システムと、敵を自称している忘れ屋の少女。
そもそも、防衛システムの、西条かぐやの亡霊の目的は、なんだろうか。
それを突き止めるため、神楽は会話に割って入った。
「かぐやさん……敢えてこう呼ばせてもらうけど……あなたの目的は、なに? 西条静は、あなたをよみがえらせようとしているんでしょう? なぜこんな迷宮を作って、記憶の再生を妨害するの?」
神楽の質問に、女は深いタメ息をついた。
ロッキングチェアーを揺らし、空をふりあおいだ。
「生き返りたくないからです」
女の返答に、神楽は衝撃を受けた。
「生き返りたくない……? なぜ?」
「わかりませんか?」
女は神楽の瞳を見つめ、からかうようにそうたずねた。
神楽には、西条かぐやの真意は見えてこなかった。少女は、沈黙を守った。
神楽が回答不能なことを察したのか、女はふたたび空をみあげた。
「月代かぐやは、死んだのです……あのときの事故で……私とうりふたつの、同じ記憶を持つ少女が生まれたとしても、それはなんの関係もないこと……」
そうだろうか。神楽は、女の言葉に疑問をいだいた。
人間の肉体と精神は、新陳代謝を繰り返している。子供のころの肉体は、その成分に着目すれば、大人のそれとはまったくの別物だ。もし両者を統合するものがあるとすれば、それは、個々人の記憶でしかないだろう。魂とは、記憶のことなのだ。
そしてその魂を、西条静は保存することに成功した。だとすれば、それは月代かぐやそのものを保存したとも言えるのではないだろうか。神楽は、そんなことを考えた。
「かぐやさん、あなたは、これからどうするつもりなの?」
神楽は、相手の存在意義の核心にふれた。女がいくら復活をこばんでも、彼女はすでに、この空間に存在してしまっている。そして、クローンである月代かぐやの人格と分離し、独自の活動を営んでいる。だとすれば、その存在理由もまた、どこかになければならないはずだった。
神楽は、女の返答を待った。
「……私は、もうつかれました。永遠の眠りにつくことにします」
神楽は衝撃をうけた。
「死ぬってこと?」
「さあ……私は今こうして、生きているのでしょうか……? 私はクローン体のなかにいる、記憶のかたまりに過ぎません……肉体から見れば、ただの夢のようなもの……それに……」
女は、そこで言葉を区切った。そしてふと、目もとに光をやどした。
涙だろうか。神楽は罪悪感をおぼえながらも、先をうながした。
「それに?」
「……西条静は、変わってしまいました。昔から打算的なところはありましたが、今の西条は、私の知っている彼ではありません……」
「それは、あなたの死が原因なんじゃない?」
神楽の一言に、女は瞳を閉じた。
「……そうかもしれません」
感傷的な空気が流れる。
そのあいだも神楽の視線は、ルナの手元を盗み見ていた。
拳銃がにぎられている。
防衛システムに与するか、ルナに与するか。それとも両者とたもとをわけて、第三の道を模索するか。早く答えを出さなければ。神楽は、思考をフル回転させた。
けれども、答えはみつからなかった。
ルナがシステムに襲いかかる気配もない。
淡々と、時間が流れていく。
神楽は、ルナの行動を読むことを止めた。じぶんの作戦を立て始める。かぐやが揺らすロッキングチェアーの音が、メトロノームのように、彼女の思考を導いていく。
(私のクライアントは、あくまでもクローンのかぐやさん……目のまえにいる、月代かぐやの記憶体じゃない……)
神楽は、ルナの拳銃を、もういちど盗み見した。
トリガーに指をかけてはいるが、動きは見られない。
(この記憶体が、じぶんで消滅したがっている以上、私の権限をはなれてる。それに、もしこのまま記憶体が残れば、クライアントであるクローンかぐやさんのほうに、なんらかの悪影響が出るかもしれない……彼女は自立した人格を持ってるわけだし……)
そこまで考えて、神楽は決意を固めた。
西条かぐらの記憶体は、製作者である西条静の手にゆだねる。
そして、クローンであるかぐやの本体を、なんとしてでも死守する。
(でも、どうやって……? 連中がクローン体をあきらめるとは……)
そのときだった。ルナは突然、うでをあげ、銃口をシステムにむけた。
これには、神楽もおどろかざるをえなかった。
「ど、どうするつもり?」
「このシステムは、コントロール不能です。破壊する以外に手がありません」
「は、破壊って……あなたの任務は、西条かぐやの記憶を移植することじゃないの?」
神楽の問いに、ルナは冷静な答えをかえした。
「西条氏は言いました。もし防衛システムが狂っているようなら、それを破壊し、クリーンインストールしなおす、と。このシステムには、ダウンしてもらいます」
ルナの説明に、神楽は青くなった。
再インストール。その可能性を考慮していなかった。おもちゃのように人格を再生産することが、彼女の頭からすっぽりと抜け落ちていた。
だがそれと同時に、神楽はルナの説明に、違和感をおぼえた。
どこかつじつまが合わない。
その違和感の正体を突き止めるまえに、ルナは先を続けた。
「神楽さん、彼女は死にたがっているのです。ですから、ここで……」
「うふふ」
女は笑い始めた。
微笑はだんだんと大きくなり、高らかな哄笑にとって代わられた。
「……なにがおかしいのですか?」
「ごめんなさい。夫がそこまで狂ってしまったとは、思わなかったので……しかたがありません。ふたりともシャットアウトしましょう」
女のくちびるが閉じるまえに、ルナは引き金を引こうとした。
彼女の手首にツタがからみつき、拳銃を取りあげた。
見れば、神楽の体にも、植物が巻きつき始めていた。
システムの書き換えが、完了したのだろうか。女の悠長なしゃべりかたも、プログラムを書き換えるための時間稼ぎだったのかもしれない。神楽は、おのれの軽率さをのろった。
「かぐやさん、まだ話し合う余地はあるわッ!」
「いいえ、時間切れです。この茶番を終わらせましょう」
ルナは全身をしばりあげられ、身動きが取れなくなっていた。
神楽も、両手足を拘束されていた。
逃げようとしても、弾力のあるツタは、彼女たちの肌をはなしてくれなかった。
もがき苦しむふたりのまえで、女は椅子から腰を上げた。
「全身の骨を折って、苦しみのうちにログアウトさせてあげましょう」
女は右手を上げ、指をかるく折りまげた。
その動きに合わせて、ツタがきつくしまった。
「くッ!」
神楽はうめき声を漏らした。かろうじて動く首で、ルナを見た。
もしこの状況を挽回できるとすれば、彼女の夢現化しかない。
神楽は、敵にいちるの望みをたくした。
ところが、ルナは抵抗をやめて、ただ防衛システムのほうを見すえていた。
あきらめたのだろうか。神楽が声をふりしぼろうとしたとき、それは起こった。
「……こ、これは? ち、力が……ッ⁉」
木漏れ日のなかで、西条かぐやは苦しみ始めた。
必死に指を折り曲げようとするものの、震えるばかりで、思うようにいかない。
その顔は苦痛に満ち、ついに雑草の海へとひざをくずした。
「これは……これはいったい……ッ⁉」
「計算通りですね」
そうつぶやいたのは、ルナだった。
神楽は、ルナの横顔をのぞきこんだ。
「あなた、なにをしたの?」
「ワクチンの注入です」
「ワクチン……?」
「おぼえていませんか? 私がしばらくいなくなったときのことを?」
神楽は、屋敷のなかで、ルナが一瞬消えたことを思い出した。
「……あのとき、なにか細工をしたのね?」
「工場跡でもそうです。先に目をさました私は、西条静から見せられた図面通り、ワクチンを夢現化させ、それをこの世界に注入したのです」
「あなた、最初からそれを?」
神楽の問いに、ルナは答えなかった。
しかし、計画的な犯行であることに、疑いの余地はなかった。
神楽がさらに言葉を継ごうとしたところで、女は叫んだ。
「どうして!? なぜ私を殺すの!? 静! 静ッ!」
女は地面に倒れ込み、上体を野菊の園にうずめた。
一瞬大きくのけぞったかと思うと、そのまま動かなくなった。
ツタも枯れていき、神楽たちは、地面におろされた。
「システムはダウンしました。これで安全です」
ちがう。殺人だ。
神楽はふと、そんなことを思った。
「いったい……いったいなにが西条静をここまで……」
「それは、クライアントのプライバシーです」
ルナはそう言い残し、女の死体に歩み寄った。
いや、死体というのは、正確ではない。それは、壊れたホログラムだった。
壊れた液晶画面のように、ところどころショートを起こしていた。
「そっか……防衛システム自体は、実体を持っていなかったのね……」
「そういうことです。ですから、この庭園も……」
ルナが言い終えるまえに、景色がかすみ始めた。
周囲の木々は色合いをうしない、足もとに砂の感触がつたわった。
世界がフェードアウトすると、そこは砂漠だった。
「ここは……工場跡?」
「そのようですね。ただ、工場は見当たりませんが」
ふたりは、遠方にある円筒形の物体に気がついた。
「あれは?」
「……近づいてみましょう」
ふたりは、足首まで埋もれそうになる砂と格闘しながら、その物体へと向かった。
なにかのアイテムだろうか? それとも、西条かぐやの墓標?
まるで、映画で見たモノリスのようだと、神楽は思った。
「……ドラム缶?」
ふたりを待ち受けていたのは、あの廃工場で彼らが動かした、ドラム缶であった。
それは半分砂に埋まった格好で、地面から突き出ていた。
「どうしてこれだけ残ってるの?」
「開けてみますか?」
ルナのさそいに、神楽は首肯した。
ドラム缶の異様な重さを、神楽はまだ覚えている。
なにかが入っていたのだろうか。
「バールのようなものが必要ですね。しばらくお待ちを」
ルナは目を閉じ、バールを夢現化した。
「では、開けてみましょう」
ルナはドラム缶に向かい、ふたのすきまに器具を挿入した。
テコの要領で、一気に体重をかけた。
金属缶特有の音が鳴り、ふたが勢いよくはねあがった。