拒絶する家
おどろく神楽に、下の段で待機していたルナは、言葉をかけた。
「どうしました?」
神楽は、空に頭を沈めたまま、ふるえる声で答えた。
「ここは……ナナコさんの家?」
神楽の目のまえに広がったのは、洋風の住宅だった。
前回、彼女が潜入した場所にそっくりだ。
ぼうぜんとする神楽の耳に、ルナの声が聞こえてくる。
「すみません。早く上がってください」
「ご、ごめん」
神楽はハシゴをのぼりきり、ろうかでルナの到着を待った。
しばらくして、ルナもホログラムの空を抜けてきた。
ふたりは状況整理を始めた。
「ここは、前回と同じ場所じゃない?」
「……」
ルナは即答しなかった。周囲を詳細に観察した。
「……構造がちがいます。ろうかの奥を見てください」
神楽は、ろうかの奥を見やった。
左右に同じとびらが、三つずつ並んでいた。
「どこがちがうの? 前もとびらは六つで……」
「一番奥の右のドアです。あれは前回、金属製だったはずです」
神楽は思い出した。前回の潜入で訪れた家は、泰人が侵入した記憶域と、金属製の扉で繋がっていた。しかし、このろうかはそうではなかった。構造は似ているものの、異なる記憶域と考えざるをえなかった。
「とりあえず、なかを調べてみませんか?」
ルナのさそいに、神楽はうなずきかえした。
左手がわの、一番近くにあったドアノブにふれた。
背後に、違和感をおぼえる。
ふりむくと、ルナがじっとうしろにへばりついていた。
「あなたは反対側を調べてちょうだい。手分けしたほうがいいでしょ?」
「あなたは免疫です。私の安全を確保していただかないと」
ルナは、あからさまに神楽を道具あつかいしていた。
少しばかり腹が立ったものの、のどの奥に飲みこんだ。
ルナの助力がなければ、ここまで来れなかったのだ。じぶんと彼女とのあいだには、明確な能力差が横たわっていた。神楽も、そのことは認めざるをえなかった。
同時に、なぜこの少女が闇の組織に身を落としているのか、それも気になり始めていた。
「あなたが所属してる組織は、なんていう名前なの?」
「それはお答えできません」
予想通りの回答。神楽は、黙ってドアノブをまわした。
蝶番がきしみ、部屋の全貌がその姿をあらわした。
「……え?」
神楽は小さく吃驚した。
部屋の外観が酷似していた以上、内装も酷似しているはずだ。
それが、扉を開けるまでの神楽の予想だった。
ところが、室内の様相は、彼女の期待に反した──何もないのだ。
(ここは……倉庫? それとも工事中?)
神楽は、室内をよく観察した。壁紙もカーペットもなかった。
打ちっぱなしのコンクリートがむきだしの部屋だった。
ここには、なにもなさそうだ。神楽は、とびらを閉めかけた。
その瞬間、部屋の片隅で光るものを発見した。
あわてて中に入り、その光源が何であるかを確認しようとする。
床にかがみこんだ神楽は、一枚の透明な破片を見つけた。
(これは……ガラス片?)
神楽はルナと相談するため、うしろをふりかえった。
ところが、彼女の姿はなかった。
「……ルナさん?」
「はい」
すぐに返事があった。ルナは、敷居の向こうがわに姿をあらわした。
慎重に周囲を警戒してから、ゆっくりと室内に足をふみいれた。
「どこへ行ってたの? やっぱり別行動をするつもり?」
「いえ、少しだけろうかを調べていました。なにか見つかりましたか?」
神楽は、ひろいあげたそれを、ルナに見せた。
「ガラスのかけら……ですか」
彼女の言う通り、それはただのガラスのかけらだった。
特別なかたちでもなければ、文字がきざんであるわけでもなかった。
「キーアイテムではなさそうですね」
ルナは無表情に、そうつぶやいた。
「でも、どうしてこの部屋に? 壊れるようなものはなにも……」
神楽の言葉に合わせたかのように、パタンというかわいた音がした。
ふりむくと、入口のとびらが閉まっていた。
神楽は駆けよって、ドアノブを回した。鍵がかかっているのか、それともべつの力が働いているのか、木製のドアは微動だにしなかった。
「閉じ込められてしまったようですね」
神楽の背中ごしに、ルナが声をかけた。
なにをのんきな。
事実の描写にしか思えないルナの発言に、神楽は顔をしかめた。
ところが、その事実の重大さに、神楽はすぐさま思いいたった。
「私がいる限り、トラップは発動しないんじゃないの?」
「ええ、そのはずなのですが……」
ここにきて、ルナはわずかに、けげんそうな顔をした。感情が死に絶えているわけではないらしい。少しばかり人間味を見せてくれたルナに、神楽は場違いな安堵をおぼえた。
けれども、その安堵は、すぐさまほかの懸念にとってかわられた。
「もしかして、私も敵と認識され始めた?」
「その可能性はあります。防衛システムそのものが、書き換えられつつあるのかもしれません」
もしふたりとも敵と認識されれば、工場跡のトラップのように、容赦なく排除されてしまうだろう。時間がない。そう考えた神楽は、脱出の方法をさぐり始めた。
「……ルナさん、あなた、爆発物は夢現化できる?」
神楽のきなくさい問いに、ルナはあっさりと首肯した。
「じゃあ、それでとびらを……」
「この部屋のドアは、先ほどの感触からして、かなりの重量があります。中に金属板が仕込まれているのかもしれません」
ルナの言葉を、神楽は一瞬、理解しかねた。
だが、すぐにその真意を悟った。
「それを破るには、どれくらいの火力が必要?」
「正確には計算できません……が、おそらくは、私たちも巻き込まれて死亡します。この部屋には遮蔽物がないので、隠れようがありません」
「じゃあ、その遮蔽物も夢現化すればいいんじゃない?」
「……そうですね」
ルナは悪びれるようすもなく、自説を撤回した。
そして、夢現化を始めた。
「かなりの時間がかかると思います。しばらく待っていてください」
そう言うと、ルナは精神を集中させるため、両目を閉じた。
手伝ってやれないもどかしさに駆られつつ、神楽は爪先で、床を二度こづいた。なにもできないもどかしさ。その一方で、神楽はだんだんと、ルナの弱点に気づき始めていた。廃工場で天井の穴を見つけたのは、神楽だ。とびらの爆破と防護策を考えついたのも、神楽だ。ルナは、年齢不相応な分析力と、冷静さを兼ね備えている。しかし、かえってそのことが、マイナスになっているのではないだろうか。人間、追い詰められて初めて能力を発揮することもある。恐怖心や緊張を感じない分、ルナは物事を、一定以上のレベルで見られなくなっているのかもしれない。
そんなことを考えていた神楽は、手にかるい痛みを感じた。反射的にゆびをひらくと、先ほどのガラス片が、コンクリート製の床に転がり落ちた。
「……」
神楽はその破片をながめていると、妙な感覚にとらわれた。
「……ルナさん」
「……」
「ルナさん!」
神楽の大声に、ルナは瞑想を中断した。
「なんでしょうか?」
とくに怒ることもなく、ルナは言葉を返した。
相方の夢現化を邪魔したことは、神楽も承知していた。
けれども、確認しておかなければならないことがあった。
「防衛システムの書き換えには、どれくらい時間がかかるの?」
「……正確にはお答えできませんが、二、三時間ほどかと」
神楽は腕時計を確認した。同調から四十分が経過している。
「ということは、まだ初期段階ってこと?」
「書き換えがおこなわれているとすれば、そういうことになります」
神楽は、床にきらめくガラス片を、じっと見つめた。
前回の建物と酷似しつつ、どこか異なる空間。
作りかけのような、殺風景な一室。
落ちていたガラス片。
「では、夢現化作業にもどり……」
「ねえ、この部屋はどこかおかしくない?」
神楽はそう言って、四方の壁を見回す。
「これじゃ、まるで改装中の建物みたい」
「……だからどうしたというのですか?」
どうやら、泰人と話すときのようには、いかないようだ。
そう悟った神楽は、単刀直入に言葉を発した。
「防衛システムは、この部屋を改装したかったんじゃない?」
「……なんのためにですか?」
「この部屋にあるなにかを隠すためよ!」
少し声を荒げてしまった神楽は、はたと口をつぐんだ。
彼女の言わんとすることを、ルナはようやく理解した。
「それはもしかすると、中枢へ繋がる道でしょうか?」
「多分……そうだと思う」
「ではなぜ、ドアを閉めたのでしょう? この部屋に道があるならば、私たちを閉じ込めるのは危険行為です」
もっともな質問だった。
しかし、神楽は答えを用意していた。
「これも心理的な罠よ。地下にあると見せかけて、天井。それと同じように、閉じ込めたと見せかけて、ほんとうは外に出て欲しいんだわ。恐怖心を煽っているの。現に私たちは、とびらを破ってそとに出ようとしてるじゃない」
「……神楽さん、あなたの推理はわかりました。では、どこに通路が?」
神楽は、足もとのガラス片に視線を落とした。
「これがヒント」
「ガラス片が、ですか?」
神楽は首をたてにふった。
「この部屋に窓はないでしょ? それなのに、ガラス片が落ちてる……窓を封鎖するときに、ガラス片が飛び散ったのよ。それをシステムは掃除し切れなかったんだわ」
「お言葉ですが、前回の侵入時、このフロアは地下にあったはずです。窓のそとには、なにもありませんでした。どこに道があるというのです?」
「それなんだけど……」
神楽は、入口とは反対がわの壁をながめた。
「あれも、防衛システムによるホログラムだったんじゃない? 途切れているように見えて、じつは隠されていただけ。あの時点で、私たちは中枢に通じる直前だった」
「……なるほど、となれば、窓は……」
ルナは神楽の視線をおって、正面の壁を見やった。
「この壁ですね」
そのときだった。液体のしたたるような音が、頭上から聞こえてきた。
神楽が顔を上げると、天井の一部がやぶれて、水が噴き出していた。
「ビンゴだったようね!」
神楽は舌打ちをして、ルナにむきなおった。
「システムは私も排除する気だわ! トリックがバレたんで、攻勢に出たのよ!」
あせる神楽とは対照的に、ルナは落ち着きはらっていた。
なにを悠長なと思いつつ、神楽はルナにさけんだ。
「ルナさん! いったんとびらをやぶりましょう! 出るしかない!」
「いえ、これはシステムのミスです。いいアイデアを思いつきました」
ルナはそう言うと、ふたたび瞑想を始めた。
神楽はルナの意図を読みとれず、思わず声をかけそうになった。だが、すぐにくちびるの動きをとめた。この場を任せる決意をする。結局のところ、夢現化ができるのはルナしかいないのだ。
神楽は、ルナの作業を見守った。
なにがシステムのミスなのか、それは神楽にはわからなかった。
「……」
ルナは手のひらをうえに向け、じっと目を閉じていた。
だんだんと、影があらわれた。
「え……これは……」
影は固い質感を帯びて、ついにはひとつの機械となった。
その形状は、神楽の予期していないものだった。
「……銃?」
神楽のつぶやきに合わせて、ルナはまぶたをあげた。
「……さすがに工作機械はつかれます」
うっすらと汗をかきながら、ルナは息をついた。
「こ、これはなに? 銃器に見えるけど?」
そうは言ってみたものの、ルナは工作機械だと言った。
たしかに、銃にしては胴体が太く、弾倉も見当たらなかった。
銃床と思わしき部分からは、透明なチューブが伸びていた。
「水圧で石材を切断する機械です。コンセントが見当たらないので、バッテリー式にしました。小型ですが、今は十分なはずです」
神楽はようやく、ルナの計画を理解した。
「じゃあ、すぐに始めてちょうだい。窓の正確な位置は……」
「それは私の頭のなかにあります。さがっていてください」
ルナは右手を軽くあげ、ゴーグルを夢現化した。
水はすでに、ひざもとまで達していた。
ルナはチューブを水につけると、銃口を壁にむけて構えた。
「いきます」
そう言うと、ルナはトリガーを引いた。水が勢いよく噴射され、コンクリートに切れ目を入れていく。相当手慣れているのか、水流はぴったり窓枠にそっていた。見る見るうちに、四角い穴があいた。
がらりと音を立てて、コンクリートのかたまりがくずれた。
それは水飛沫をあげ、水中に没した。
その向こうがわから、太陽の光がさしこんだ。
「外よ!」
まぶしさに目を細めながら、神楽は窓辺に駆けとった。
ルナも機械をすてて、水をかきわけて歩みよった。
窓から見えるのは、ちょうど建物の一階に面する庭園だった。
大小さまざまな木々が植えられ、ところどころに花壇が咲きほこっていた。
神楽は窓枠から体を乗り出し、そとに出た。
芝生の感触を踏みしめる。
コンクリートの穴から水がこぼれだし、散水機のようにあたりを濡らした。
「ふぅ……助かった……」
新鮮な空気を吸い込み、神楽は眼鏡をなおした。
水滴をハンカチでふいてから、周囲をみまわした。
「……建物からは出られたけど、ここは?」
あまりにも、あまりにものどかな風景だった。
これまでの緊迫感と閉塞感が、ウソのようだ。
「ずいぶんと、豪華な庭ね……相当な金持ちみたい……」
「……」
ルナは神楽のコメントを無視して、あたりに視線をはわせている。
その態度からして、ここが中枢部であることは、まちがいないようだった。
「ねえ、ルナさん、そろそろ教えてくれてもいいんじゃない?」
「……なにをですか?」
ルナは庭へ視線を向けたまま、感情のこもっていない声を返した。
「ナナコさんは、西条静のなんなの?」
「……」
「ルナさん?」
「それは、クライアントの個人情報です」
ルナの返答に、神楽は眉をしかめた。
「でも、ナナコさんはこちらのクライアントでもあるわ」
「……」
神楽の抗議に、ルナは関心を示さなかった。
じぶんを使い捨てする気だろうか。神楽は、かるくみがまえた。
しかし、もし使い捨てする気なら、とうにこの場で始末されているはずだ。それとも、このカラクリ屋敷を抜けても、まだ防衛システムが作動しているというのだろうか。その可能性はあった。防衛システムは、まだその姿をあわらしていないのだから。
攻撃される気配はない。蝶が、ふたりの視界を舞っていた。
「……なにか聞こえませんか?」
「え?」
「なにかがきしむ音がします」
神楽は耳をすませた。
ギィ…… ギィ……
たしかに聞こえる。舟をこいでいるような、木のきしむ音だった。
ルナは、右手のほうにある、薔薇の生け垣をゆびさした。
「あの向こうです」
そう言うが早いか、ルナはそちらへ足を向けて、歩き始めた。
神楽はあわててあとを追った。得体の知れない恐怖が、彼女のなかで芽生え始めていた。生け垣を迂回し、小さな薔薇のつぼみを横手に進むと、先ほどの音が、次第に大きくなってくる。灌木を抜け、雑草の入り交じった野菊の咲きみだれる空間に出ると、音の正体は、そこにいた。
「……ナナコさん!」
目の前で、ナナコがロッキングチェアーをこいでいた。
まるで老女のように、その瞳は穏やかで、奥深い。
「ナナコさん、ここにいたのね」
神楽が駆け寄ろうとしたとき、ルナはそれを制した。
足止めをくらった神楽は、彼女をにらみつけた。
「どうしたの? 彼女の安全を確保しないと……」
「彼女はナナコ……月代かぐやではありません」
ルナの一言に、神楽は女を見やった。
どう見てもナナコだ。
神楽がそう言おうとした瞬間、女のほうが、先に口をひらいた。
「ようこそ……月代かぐやの思い出の中へ……」
女の声に、神楽は一歩引きさがった。
それは、ナナコの声だった。しかし、リズムがあまりにもちがい過ぎた。
地の底からよみがえった死者が語っている、そんな響きをはらんでいた。
「ナナコ……さん?」
神楽の呼びかけに、女は意味深な笑みをうかべた。
「私は、月代かぐやの思い出……」
人間にあらざる気配。意味深なセリフ。不気味な微笑。
神楽は、すべてをさとった。
「あなたが……防衛システム?」
神楽のふるえる声に、女は笑みを絶やさず、こう答えた。
「ようこそ、私の思い出のなかへ。お待ちしておりました」