共闘
神楽は、背中にあたるコンクリートの感触に目を覚ました。
上半身を起こし、周囲を見回すと、見知らぬ工場にいた。
金属パイプと、さびたコンテナ。
屋根はところどころが朽ちて、蒼天が顔をのぞかせていた。
「ナナコさん?」
神楽は、ナナコの消息を求めた。返事はなかった。
そのかわり、廃棄されたドラム缶のうえに、ルナが座っていた。
「神楽さん、お目覚めですね」
ルナは、潜入酔いをまったく感じさせない調子で、そうあいさつした。
神楽は弱みを見せまいと、すぐに両足で立ち上がり、ルナをにらみつけた。
「ナナコさんは?」
「ナナコさんというのは、かぐやさんのことですか?」
「そうよ」
「コードネームで呼ぶ必要は、ありません。かぐやでよいでしょう」
ルナはそう言って、ドラム缶からとびおりた。
華奢な骨格とはうらはらに、運動神経を感じさせる動きだった。
「ここは、記憶の最深部のようですね」
「……どうしてわかるの?」
「前任の忘れ屋から聞いた話と、一致しています。彼らは、ここまではなんとかたどりつくことができたのです。ところが、その先に進めず、全員がリタイアしました」
神楽は、もういちどあたりを観察した。
さびついた柱、破れたトタン屋根、廃資材の山。
二度と動かないベルトコンベアは、悠久の沈黙をたたえていた。
ルナは、いつもの淡々とした調子で、ふたたび話し始めた。
「西条は、あなたに言わなかった情報があります。それをお話しします」
「情報? ……そんなことして、どうする気?」
「西条は、共眠者ではありません。記憶に関する研究の第一人者ではありますが、この手の仕事には経験がないようですね。あなたに話しておかなければ支障があることを、話しませんでした」
神楽は、その情報をたずねた。
信頼したわけではないが、聞いておいて損はないと思ったのだ。
「神楽さんは、西条の記憶改ざんが不首尾に終わったことを、ご存知ですね?」
神楽は、かるくうなずきかえした。
「じつのところ、改ざんは一見、成功したように思われていたのです」
「一見……? あとから記憶がもどったってこと?」
神楽の問いに、ルナは意外な言葉をかえした。
「かぐらさんは、改ざんされたフリをしていたのです」
「フリをしていた……?」
「その通りです。かぐやの脳は、強い自己防衛機能を働かせて、改ざんを拒絶しました。あなたがアンロックした記憶は、我々が消去したものではないのです。彼女自身によって封印されたものでした。その封印をおこなっているのが、この深層領域に存在する、防衛システムなのです。前任の忘れ屋たちもそのことに気がつき、システムを突破しようとしました」
突破しようとした。
その先は、神楽にも察しがついた。
「全員撃退されてしまった、ってわけ?」
「彼女の脳は、この記憶領域を要塞化し、侵入者を容赦なく排除しています」
「背景はわかったわ。でも、私を巻き込んだのは、なぜ?」
神楽は、さらに踏み込んだ質問をした。ここまでの話では、なぜ西条が実力行使でナナコを──かぐやを奪還しなかったのか、その理由が欠けているように思われたのだ。先ほどの西条の説明では、神楽のほうが深く潜れるから、ということだった。しかし、それは、暴力に訴えない理由としては、弱すぎるように思われた。
ルナは、答えをかえした。
「あなたは免疫だからです」
「免疫?」
「あなたが記憶をアンロックすることを、防衛システムは阻害しませんでした。あなたを敵だと認識していないのです。そこで、免疫になってもらうことにしました」
ルナは、天井を見上げた。
それを追った神楽の目は、にわかに丸くなった。
倉庫の天井隅に、配管でうまくカモフラージュされた銃口がのぞいていた。
「あの機銃も反応を見せていません」
もし神楽がいなければ、少女は蜂の巣にされていたのだろう──いや、それでもルナなら、なんとかしてしまうかもしれない。神楽は、目のまえの少女に敬意を払いつつ、話を先に進めた。
「この迷宮をクリアしなきゃ、あなたたちも記憶に手が出せないわけね。だから、私がアンロックしてしまうリスクを冒してまで、協力を求めた、と」
「協力という表現は、正確ではありません。私たちは、あくまでも敵同士です」
ルナは距離感を変えなかった。同業者的な態度すら示そうとしていない。
神楽は少女のなかに、異様な孤独さを感じとった。
「呉越同舟、進行方向は同じ。いざこざはナシにしましょう。迷宮を攻略するには、どうすればいいの?」
ナナコを見つけなければ、話が始まらない。
そう考えた神楽は、すぐにこの廃工場を出ようとした。
しかし、ルナはそれを制止した。
「最初の関門は、ここです」
「関門……? どういうこと? ここはただの工場跡じゃない?」
「外をよく見てください」
神楽は、少女にうながされるまま、工場の壊れた壁を見た。
すきまから太陽光が漏れて、建物内のほこりを美しく照らしていた。
「あのすきまから、のぞいてみてください」
ルナは、ベルトコンベアの近くにある、ひときわ大きい裂け目をゆびさした。
罠ではないだろうか。少女から、殺気は感じられない。
神楽は警戒しつつ、その裂け目へと歩み寄った。
そして、外の風景をかいまみた。
「……ッ!?」
神楽は、思わず声を上げかけた。
きらめく砂の海。砂漠が広がっていた。
ここは陸の孤島のようだ。
「ということは……ここが迷宮の入口?」
「そのはずです。前任者は、全員ここでリタイアしています。一名は機銃で撃たれ、二名は屋外に入口をさがしましたが、脱水症状でログアウトになったのです」
神楽は、にわかにルナとの協調体制を取り始める。
神楽は、あごに手をあてて、もう一方の手をひじに添えた。
その姿勢のまま、黙考にふけった。
一分ほどして、神楽は顔をあげた。
天井の機銃に視線をむける。
「入口にセキュリティがあるとすれば、あやしいのは……」
「機銃の射程ですね」
ふたりはうなずき合うと、機銃の位置どりを確認した。
それは倉庫のすみのひとつだけあって、ほかには設置されていなかった。
「最初のひとりが撃たれた場所は?」
「ちょうど機銃の対角線上です」
神楽は、反対側をふりかえった。
壊れた木箱が山積みになっていた。
そのところどころに、小さな穴が空いていた。
「あのうしろに隠れたら、弾が貫通したってわけね」
「そのようです」
「撃たれ始めた場所は?」
ルナは黙って、先ほどのドラム缶のそばをさした。
神楽が目をこらすと、ドラム缶のそばから木箱まで、一直線の弾痕がみえた。
「私が設計者だとしたら入口は……」
「あのあたり、ですか?」
ルナの先回りに、神楽はやや自信を失った。
先に目が覚めたルナは、ここまでを推理ずみだったのかもしれない。
じぶんは正解にむかって、誘導されているだけなのではないだろうか。
そういぶかりつつも、神楽は弾痕をしらべることにした。
かがんで地面をよく見ると、赤い斑点が目にとまった。血痕だった。
「ここで負傷したあと、箱のうらに逃げ込んだのね」
「この時点でログアウトしていないこと、木箱までは逃げ切れていることを考えると、おそらく腕か肩だと思われます」
神楽はふと、顔をあげる。
至近距離に、ルナの冷たい顔があった。
「なるほどね……あなたの先任者は、なにも手がかりを見つけなかったの?」
「いいえ、なにも」
ふだんの神楽ならば、この回答をすなおには信じなかっただろう。けれども、今は信じてもよいと思った。無免許者の共同作業という、矛盾したシチュエーションにもかかわらず、神楽は妙な親近感を覚え始めていた。記憶介入という、不思議な能力のなせる業だろうか。
そんなことを考えながら、神楽は調査を続行した。
「一番ありえそうなのは、地下通路よ」
神楽の断言に、ルナは口をはさんだ。
「神楽さんが寝ているあいだ、この弾痕の周辺を調べました。しかし、それらしき入口は見当たりませんでした」
「そこのドラム缶の下も調べた?」
少女は、首を横にふった。
案外抜けているなと思った神楽に、ルナは理由をつけくわえた。
「私では、重くて動かせないのです」
「あ、そっか……」
神楽はそのとき初めて、目のまえの敵が、同世代の少女であることを思い出した。
これまでは、感情を表に出さない、宇宙人のようなものと認識していたのである。
「じゃ、ふたりで動かしましょう」
「はい」
ふたりはドラム缶に両手を押し当て、それを押した。
中身が入っているらしく、相当な重量だった。
ドラム缶はずりずりと音を立てて、五十センチほど動いた。
神楽はひと息ついてから、地面を見やった。
そこには、コンクリートの床があるだけだった。
「ちがったようですね」
「そうみたい」
神楽は嘆息すると、もういちど推論をやりなおした。
しばらく考え込んだあと、ふと機銃を見あげた。
そして、その角度と射程を念入りに目測した。
左右九十度、上下四十五度。神楽はそう読んだ。
「どうしました?」
となりに立ったルナが、無機質な声でたずねた。
「この機銃、今は反応してないけど……もし反応するとしたら、ルナさん、あなたはどこに隠れる?」
神楽の質問に、ルナは数秒ほど、考えをめぐらせた。
「……真下です」
「そうよね」
神楽は、機銃が設置されている柱の根元を観察した。
心理的には、銃の反対方向へ逃げたくなる。だが、射程を考慮すれば、下へ潜り込むのが一番安全なはずだった。というのも、銃座の仕組みからして、真下には撃ちにくいからだ。それにもかかわらず、柱の根元の床には、弾痕がなかった。つまり、これまでの共眠者は、そういう発想に至らなかったわけである。だとすれば、入口のカモフラージュにも、同じような心理的隠蔽がおこなわれているのではないだろうか。
この推理には自信があったものの、現実はそう簡単ではなかった。
「しかし、床にはなにもありませんね」
ルナの冷静な一言。
彼女の指摘どおり、曲がった釘やボルトが散乱しているだけで、マンホールのようなものはまったく見当たらなかった。
「……ん?」
神楽の目が、わずかな光を帯びた。
その場を離れようとしていたルナも、にわかに歩を止めた。
「なにか見つけましたか?」
「あそこの床……なんだか変じゃない?」
神楽がゆびさしたのは、ベルトコンベアのちょうど終着点だった。
そこには、破れた天井から、木漏れ日が落ちていた。
ルナはそれをいちべつ」したあと、神楽にたずねかえした。
「あの床が、なにか?」
「ちょっとキレイ過ぎない?」
ルナはもう一度、その床をまなざした。
釘ひとつ落ちていないその空間は、たしかに周りから浮いていた。
「……そうですね、調べてみましょう」
ルナが先を行き、神楽もあとに続いた。
ふたりは、ベルトコンベアの周辺を、念入りに調べた。
が、何も見当たらなかった。
「おかしいわね……絶対なにかありそうなんだけど……」
「しかし、なにもありません」
「でも、まるでここだけ人が出入りしているような……」
神楽は、じぶんの推理を捨てきれないでいた。
ある種の確信があるのだ。
その確信は、床をさわるゆびさきの感覚からも、裏づけられた。
(どうみても、ほこりが少ない……ひとが出入りしないと、こうならないはず……)
神楽はハッとなって、天井を見上げた。
「そうか! 逆なんだわ!」
神楽の叫び声に、ルナも視線をうえへ向けた。
床に射す光は、天井に空いた大きな穴からふりそそいでいた。
穴は、壁から数センチほど離れたところにできていた。
「……あれが迷宮への入口だと、そうおっしゃるのですか?」
ルナの問いかけに、神楽はうなずきかえした。
「しかし、あれは空に見えますが……」
ルナはそう言いかけて、口をつぐんだ。
目を細め、手を光にかざす。
太陽の熱を感じなかった。
「なるほど……ホログラムでしたか」
ルナは両手を前に出し、目を閉じた。
その動作の意味を、神楽はすぐに察した。
夢現化だ。
神楽は彼女の集中力を乱さないように、一歩脇によけた。
「……」
ルナは、柔道で相手のえりをつかむような格好をしていた。
なにを取り出そうとしているのだろうか。
だんだんと影を作り始めたそれに、神楽は目を見張った。
アルミ板が交互に組み合わさったそれは、瞬く間に実体化を終えた。
「この高さのハシゴなら、届きます」
ルナは、折りたたみ式のハシゴを、壁に立てかけた。
大きな物体を作ったにもかかわらず、ルナは呼吸が乱れていなかった。
「どうぞ」
ルナは左手で、上るようにうながした。
異様な能力を見せられて、神楽は躊躇した。
「いえ、ルナさんが先に……」
「先に神楽さんが入らないと、トラップが解除されない虞があります」
じぶんが免疫であることを、神楽は思い出した。
天井の穴まで伸びた階段に、手足をかける。
カツンカツンという、乾いた金属音。
最上段までのぼった少女は、空のまえにたたずんだ。
奥行きがない。たしかにホログラムだ。
神楽は、そっと手を伸ばした。
「……ビンゴ!」
空は、神楽の手をあっさりと飲み込んだ。
この先に、なにがあるのだろうか。
神楽は慎重に、首をさしいれた。