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死んだ宇宙飛行士

 太陽が、西の空へとかたむく。

 涼しげな風が、海辺から吹きつけ始めていた。

 その風になびく髪を、神楽はゆびさきで受けとめた。

 目のまえにそびえたつ建物を見あげる。口をひらきかけた二枚貝を模した、ドーム型の建造物だった。白っぽいコンクリート壁でおおわれ、どことなく学術的な雰囲気をかもしだしていた。

 神楽のそんな第一印象は、入口の碑文に裏づけられた。

 

 【海浜宇宙科学博物館 メモリアル・ホール】

 

 となりに立っていた泰人は、

「ここに、月代かぐやさんがいるんですか?」

 とたずねた。

 神楽は、かるくうなずいた。

 そして、うしろのナナコに顔をむけた。

「この博物館に、見覚えは?」

 ナナコは、悲し気に首をふった。

「いえ、なにも……ここに来たのは、初めてだと思います」

 神楽は、落胆することもなく、建物へとむきなおった。

 波のように複雑なかたちをした屋根。

 それから立ちのぼる空は、色あせ始めていた。

 時刻は午後五時。

「閉館まで、あと一時間しかないわ。とりあえずなかに入りましょう」

 神楽はうしろをふりかえり、西日に目をほそめた。

 彼女が運転してきた車が、濃い陰影をかたちづくっていた。

 三人は、ガラス張りの自働ドアをくぐった。

 冷房が効き過ぎているのか、肌寒かった。

 半袖で来てしまった泰人は、思わず二の腕をさすった。

 神楽は、チケット売り場の窓口に、顔をのぞかせた。

「学生三枚」

 売り場の女性は、無愛想にチケットの束をとりだした。

 そこから三枚抜き出すと、神楽たちの服装を盗み見た。

「学生証は、ありますか?」

 神楽は財布から、学生証をとりだした。

 女性は、それを形式的に視界に入れただけで、すぐにチケットをさしだした。

 泰人とナナコには、身分証の提示を求めなかった。

 おなじ大学の学生だと思われたのだろうか。ずいぶんと適当な仕事ぶりであった。

「二千四百円になります」

 高いなあと思いつつ、神楽は三人分の料金を支払った。

 ここまでの交通費も含めて、どんどん経費がかさんでいく。

 果たしてナナコから回収できるのかと、神楽は疑問に思い始めた。

「歴史に関する展示はどこか、教えてもらえますか?」

「そこの案内図をご覧ください」

 そう言って、女性は奥の壁をゆびさした。

 神楽は案内図へと歩み寄り、色分けされた地図をながめた。

「……二階のDブロックね」

 三人は、ホールの中央から伸びる階段を、ゆっくりとあがった。十数段をのぼり終えると、幅の広い通路になっていて、ショーケースが左右にならんでいた。一組の家族づれが、すこしはなれたところで、その展示物をみていた。

 神楽は、ショーケースの横を通り過ぎた。Dへの分岐路をさがす。それは、宇宙から持ち帰られた鉱物の棚を過ぎたところに、ぽつりとあった。細い通路の奥に、小さな展示室が見えた。

 神楽は足早に通路をぬけて、展示室に入った。

 ひとけはなかった。いくつかの展示パネルと、古びた宇宙服がケースに収められているだけの、殺風景な部屋だった。【宇宙開発の歴史】というプレートが、入口のそばにかかっていた。こどもたちが、最も興味を持たないであろうテーマだった。さきほどの家族も、背後を通り過ぎただけで、どこかへ行ってしまった。あとから入ってきた泰人とナナコは、室内をきょろきょろと見回していた。

 神楽は、一枚目のパネルに目をとおした。

 一九五〇年代。神楽は、パネルを飛ばした。

 七枚のパネルのまえで、ようやく足を止める。

「二〇一〇年代、これだわ」

 神楽は、そのパネルの上部から、年表を追った。

 目当ての記事は、すぐに見つかった。

 

 二〇一一年九月十五日

 宇宙開発センターでの訓練中、シミュレーション機内で火災が発生。飛行士候補生三名が亡くなった。日本人候補生だった西条かぐやさん(二十六)もこの事故に巻き込まれ、宇宙開発関係者に衝撃を与えた。

 

 神楽は、事前調査した情報を思い出す。

 月代かぐや、一九八五年、ワシントン生まれ。両親はともに日系人。アメリカの大学で博士号を取得したあと、二〇一〇年に日本の宇宙開発事業スタッフとして来日。その数ヶ月前に、大学院の先輩だった西条静という男と結婚、西条姓に変わっていた。ネットでは西条かぐやという名前のほうが一般的で、だから検索にヒットしなかったようだ。二〇一一年に、訓練中の火災で死亡。この事件は、当時かなり騒がれたらしかった。彼女の死をいたんだ夫の西条静は、研究職を辞して実業界へ転身。機械学習による株式売買のシステムを開発して、富豪になった。

 

(その儲けの一部で、この博物館を建てたってわけか……妻の思い出として……)

 月代かぐやの墓標。現代のピラミッド。

 神楽は、妻に対する西条の愛を感じた。

 同時に、その異常さも。

 深すぎる愛は、ときとしてべつの顔をもつ。この博物館のように。

 神楽はそんなことを考えながら、ナナコにむきなおった。

「ナナコさん、なにか思い出した?」

 ナナコは、神楽が目を通していた記事に、じっと見入っていた。

「……ダメです、なにも」

 ここで、泰人がわりこんだ。

「俺の予想、言っていいですか?」

「もちろん、アイデアがあるなら言ってちょうだい」

 泰人はそれでも、すぐには自説をのべなかった。

 ややためらいがちに、

「ナナコさんって、西条かぐやさんのこどもなんじゃないですか?」

 と言った。

 その可能性については、神楽もすでに考えていた。

 しかし、反証があった。

 神楽は、

「西条かぐやに、こどもはいなかったそうよ」

 と指摘した。

「戸籍にのってなかった、ってだけですよね? 隠し子だとしたら?」

 泰人がわざわざ発言の許可をとった理由を、神楽は理解した。

 隠し子という仮説に、うしろめたさをおぼえたのだろう。

 いずれにせよ、この仮説も、神楽にはもっともらしくなかった。

「それもおかしいと思う」

「どうしてです? 戸籍にのってなかったから、調べようがなくないですか?」

 神楽は、ナナコを横目で盗み見た。

 不安そうな顔をしていた。

 けれども、ふたりの会話を、とめて欲しいというようすでもなかった。

 神楽は、自説を披露した。

「夫の西条静は生きてるのよ。隠し子がいたら、西条が引き取ったはず」

「それが西条静のこどもじゃないとしても?」

 泰人はそう口走ったあとで、ハッと口もとを押さえた。

 深入りしてしまった推理に、泰人自身が右往左往する。

 一方、ナナコ自身は、機嫌を損ねなかった。

 それどころか、

「それって、なんだか整合的な気がします」

 と乗ってきた。

 泰人は、

「せ、整合的? どこが?」

 とたずねかえした。

「どうして私が、病院のようなところに閉じ込められていたのか、泰人さんの仮説で、説明がつくんじゃないでしょうか。例えば、私が西条かぐやの隠し子で、存在がバレないように、どこかの施設にあずけられていたとか」

 じぶんの血縁関係に、なぜそこまであっけらかんとできるのか。

 泰人はもちろんのこと、神楽も理解に苦しんだ。

 神楽は、

「ナナコさん、これはナナコさんのお父さんとお母さんに関わることだから、そんなに簡単に決めちゃダメよ」

 と、さとした。

 それに対してナナコは、反論してきた。

「なぜですか? 両親と他人とのちがいは、私の遺伝子が両親のそれから成り立っているということに過ぎないんですよ? しかも、遺伝的組み換えが起こるので、どちらかの完全なコピーというわけでもありません」

「そんなむずかしい話じゃなくて、血のつながった家族でしょ?」

「血が繋がっているというのは、遺伝関係がわからない時代に考えられた比喩です」

 神楽は困惑した。

 けれども、その困惑は、さきほどまでの道徳的な話についてではなかった。

 今の会話が、どこかしら不自然に感じられたのだ。

 これまでの行動からして、ナナコに突拍子なところはほとんどなかった。

 なぜか家族関係についてだけ、常識と異なる判断をしている。

 もちろん、常識が正しい、と言っているわけではない。ナナコの遺伝云々に関する知識と価値観が、どうやって形成されたのか、それがよくわからなかったのだ。

(これ以上は、三回目の潜入をしてみないと、わからない……か)

 そしてそれは、ナナコに拒絶されてしまった。

 今三人が行動をともにしているのは、月代かぐやという人物がみつかったからだ。

 ナナコが三回目の潜入を承諾したから、ではなかった。

 神楽は、もういちどパネルをみた。

 事故の翌年のできごとに、目を通そうとした。

 ところが、読み終えるよりも早く、館内に音楽が鳴った。

《本日はご来館、まことにありがとうございました。まもなく、閉館の時間です。館内にいらっしゃるお客様は、正面玄関からそとへおもどりください》

 機械音声のアナウンスは、おなじことをくりかえした。

 神楽は、腕時計を確認した。五時五〇分になっていた。

「泰人、モノリス・プロジェクトの解説が、どこかにない?」

 神楽たちが立っているパネルには、書かれていないようだった。

 泰人は、ほかのパネルを手早く調べた。

「……あ、ここにありますよ」

 泰人は、二〇〇〇年代のパネルをゆびさした。

 神楽はそちらへ移動しようとした。

「そこのきみたち」

 突然の呼びかけに、三人はDブロックの入り口をふりかえった。

 白衣を着た老人がひとり、背中を曲げて、眼鏡ごしにのぞきこんでいた。

 頭頂部はハゲていて、ひたいのしわは深かった。

 神楽は、

「すみません、もうすこしだけ、いいですか?」

 と弁解した。

 老人はそれを無視して、三人に近寄った。

 そして、ナナコをじろじろとみつめた。

 変質者か。

 神楽は一歩まえに出た。

 老人はナナコの観察を中断して、神楽のほうへ視線をむけた。

「きみたちは、西条さんの親戚かね?」

 神楽は、眉をひそめた。

 老人の言葉を吟味する。

 西条──西条静、あるいは、西条かぐやのことだろうか。

 神楽は、カマをかけてみることにした。

「はい、遠い親戚です」

「そうか、やはりな」

 神楽のウソは、あっさりと通ってしまった。

 老人がどうして納得したのか、神楽には理由が見えてこなかった。

 一方、すっかり騙された老人は、ナナコへむきなおった。

 ナナコは、気まずそうに視線をそらした。

「道理でそっくりなわけだ」

 この老人が重要参考人であることに、神楽は気づいた。

「そっくり、というのは? ……西条静さんに、ですか?」

「もちろん、かぐらくんだよ……ああ、そうか、きみたちの年齢だと、かぐらくんには、会ったことがないのか」

 老人は、眼鏡フレームにゆびをそえた。

 どこかしんみりとした表情で、老人は虚空をみつめた。

 思い出にひたっているときの目だと、神楽は思った。

「ところで、あなたは?」

「ん? 私かい? 私はここの館長だ。大学を退官してから、西条くんに紹介してもらった閑職だがね」

「西条かぐやさんとは、どういうご関係で?」

「彼女が来日したときの上司が、私だった。まあ、アメリカでも、いちど会ったことがあってな。ずいぶんと優秀な子だった。すこし抜けたところもあったが、研究者としては、まちがいなく優秀だった」

 神楽はその話を聞きながら、老人の名札に視線をおとした。

 片桐。

 それが名字のようだった。

 老人は、

「ところで、モノリスがどうこうと、言っていなかったか?」

 と、逆に質問をしてきた。

 神楽は、渡りに舟とばかり、この話題に乗った。

「はい、モノリス・プロジェクトを調べてました」

 老人は、うれしそうに笑った。

「よく知ってるね。最近の若手ですら、知らないひとは多いよ」

「興味があります。どういうプロジェクトだったのか、教えていただけますか」

 老人は、ハハッと笑った。

「なあに、あれこれ理由をつけて、文科省から予算をぶんどった企画だよ。二千年問題は知っているかい? さすがに知らないか」

「暦のエラーで、世界中のコンピューターが狂うとうわさされた、アレですか?」

 神楽の博識ぶりに、老人はおどろいたようだった。

 孫をあいてにするような態度は消えて、研究者然となった。

「そうそう、あれを口実にしてね、『テクノロジーの世界同時危機における生物多様性の保存に関する計画』というのを、複数の研究機関が立てて……ん、なんだその顔は? ああ、研究の趣旨がわからんということか。ようするに、世界が危なくなったとき、地球上の生き物をなんとかして後世に残す計画だよ。まあ、それはたてまえで、チームごとに、それぞれ好き勝手な研究をやって、それっぽくまとめただけなんだが……」

 神楽の表情には、たしかにかすかな変化があった。

 その変化の原因は、老人が推測したようなものではなかった。

 プロジェクトの正式名称に、ピンとくるものがあったのだ。

「どうして、モノリス・プロジェクトという名前をつけたんですか?」

「『二〇〇一年宇宙の旅』というSFを知ってるかな? そのなかに出てくる、生物を進化させる不思議な石の名前からとった。命名者が、じつは西条静くんなんだよ」

 つながった。

 神楽は、内心でガッツポーズをした。

 プロジェクトがなんであるかは、ネットであるていど下調べしていた。

 けれども、内部者の裏話は、検索しようがないのだ。

「そのプロジェクトで、静さんとかぐやさんは、それぞれどういう役割を果たしていたんですか?」

 老人は昔話が楽しいのか、ますます饒舌になっていった。

「かぐやくんと私は、遺伝子を宇宙空間で保存するチームにいた。地球で核戦争が起こったあと、何万年かようすをみて、クローン再生させる技術だ。完成とまではいかなかったが、サンプルの収集はうまくできた。そう自負している」

 老人は、その技術の細かい仕様を説明しかけた。

 が、神楽はうまく間隙をついて、西条静の担当を訊き出した。

「静くんが研究していたのは、人間の記憶を保存する技術だ」

「記憶を保存する……? もしかして、共眠者関連ですか?」

「いやいや、当時はまだ、あの現象は発見されていなかったよ。もっと昔から、SFでよく出てきたアイデアだ。人間の記憶をコンピュータに記録して、そこからべつの人間に移植したり、あるいは……」

 そのとき、天井からふたたび、アナウンスが入った。

 老人は首を上げ、うるさそうにスピーカーの網を睨みつける。

《本日はご来館、まことにありがとうございました。閉館の時間です。館内にいらっしゃるお客様は、すみやかにそとへおもどりください》

 同じ放送が二度繰り返されたあとで、館内は静まり返った。

 老人は肩をすくめて、首を左右にふった。

「もうしわけない。もう閉館のようだ」

「いえ、貴重なお話を、ありがとうございました」

 老人は、すこしうれしそうな顔で、

「また来るといい。こんどは私の部屋で、お茶でも飲みながら、話をしよう。若いひとが科学に興味を持ってもらうことが、私の仕事だからね。じゃあ、気をつけてお帰り」

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