凛 ④
凛の投げ掛けたその言葉を、そして胸に感じる左の手のひらの優しく暖かな温もりを、まるで悪鬼は嘲けるかのように
“クックックッ…我ノコトヲ 少ナカラズトモ知ルコトガ出来タ、ダト?…クックックッ”
愉しそうに笑いながら、そう言葉を放つと続けて
“オ前ハ我ノコトヲ 何モ分カッテハ オラヌ!先ホドモ、言ッタデアロウ?…我ハ気ガツキ 今ハ考エヲ変エ 思イ至ッタノダ…ト。オ前ガ イクラ心ノ強イ人間デアッタトシテモ、ソレニハ必ズ限界ガ ヤッテ来ル…ナラバ何モ焦ル必要ナドナイ。オ前ノ胎内デ ユックリト時間ヲ掛ケ 力ヲ蓄エナガラ、ソノ心ヲ…身体ヲ…蝕ンデイケバ 良イダケノ…コト、ソシテ コノ目論見ハ、モウスグ叶エラレル ハズダ。…ソウ、モウスグ…ナ、クックック…”
やはり嘲るように、そう言う。
凛は胸に充てがっていた左の手のひらを…正座をしている自分の脚の上にゆっくりと戻してから、そんな悪鬼に落ち着いた様子で語り掛けるように
…鬼さん。
残念だけれど、その目論見は…。
…もうすぐおじいちゃんが再封印を…。
凛のその言葉を悪鬼は遮るようにして
“クックックッ…アノヨウナ老イボレノ施ス術ナド…力ヲ蓄エタ我ガ、簡単ニ打チ破ッテクレルワ!…ソシテ、オ前ノ心ト身体ヲ乗ッ取リ、思ウ存分 コノ世界ノ人間ヲ…”
そう言ったかと思うと…何か思いついたように、そのまま続けて
“…マァ、良イ。ソレハ ソノトキガ来テカラノ オ楽シミ…ダ。ソレヨリモ…我ハ腹ガ減ッタ。…減ッテ減ッテ、イクラ食ベテモ…満タサレヌ!”
悪鬼はそう言いながら、まるで凛を誘うかのように…そしてその心のすべてを見透かすかのように
“我ハ…腹ガ減ッテオル。…ソシテ オ前ハ、今日ノ夕方 ココヘヤッテ来タ アノ三人ノ人間ニ会ッテカラ、マスマス 学園トイウ所ヘ行キタクナッテ仕方ガ、ナイ。…イヤ、隠サズトモ 良イ、我ニハ 分カッテオルノダ”
優しくそう言葉を投げ掛けてから。
…、…。
凛が悪鬼のその言葉に対して、何か言葉を放とうとしたのをまるで制するかのように、暖かな言葉で
“ナラバ…ナラバ再ビ 行コウデハナイカ…与エラレタ時間、今ハ自由ノ身…昨夜ノヨウニ、ソシテ ソノマタ 前ノ日ノ夜ノヨウニ…”
甘く囁くように、そう言うと。
今度は一転、落ち着き払った物静かな心強い言葉で
“安心スルガ、良イ!学園トイウ所ノ…畑ノ野菜ヲ食スダケデ、人間ハ決シテ襲ワヌ。…昨夜モ、ソシテ ソノマタ 前の日ノ夜モ ソウデアッタヨウニ…。ソレニ心配セズトモ…マダ オ前ナラバ、我ノ動キヲ制御スルコトガ 出来ヨウ?…ソウデ アロウ?…悩ム必要ナド、ドコニアルノダ?…サァ、利害ハ一致シタ。…オ前ガ望ンデイタ、ソコニ掛ケテアル 制服トイウ モノニ着替エ、学園トイウ所ヘ行コウデハナイカ!…サァ、今スグニ!”
凛の心に、全身に、そう訴え掛ける。
…。
悪鬼のこの言葉に対して…凛は、どこか迷い悩むように、しばらくの間沈黙をした後…。
…。
…次の瞬間、瞑想状態で閉じていたその瞳を、心を決めたかのようにゆっくりと開き…ある一点を静かに、見つめる。
…。
そのとき、雲から逃れられたのだろうか?
灯りとり用の小さな窓から、再び月の光りが射し込み始め…座敷牢の壁に掛けてあった神楽坂学園の制服が、そこにぼんやりと、映し出される。
…。
それを見つめたまま…凛は、一人小さく頷きながら
…うん、大丈夫。
今夜も、そう今夜もきっと…大丈夫。
私には…まだ、制御することが、出来る。
鬼さんも、人間を襲わないと言っているし…大丈夫。
まだ、大丈夫。
…そう、昨夜も、そしてそのまた前の日の夜も、あの制服に着替えて…誰にも見つからないように、真夜中の神楽坂学園へ行ったんだもの…。
私が通うはずだった、あの学園へ…。
…。
迷い悩みながらも…凛は、自身の胎内に封じ閉じ込められているもう一つの存在、悪鬼のその優しく甘い言葉の力に、背中を押されるようにして…。
まるでどこか…操り人形のように、壁に掛けられている制服を見つめたまま、ふらふらと立ち上がると…そのまま壁に近づき、掛けてあった神楽坂学園の制服をそっと手に取った…。




