自室にて
…階段を登り終えた俺が、足下を等間隔に淡く照らし出す、そんな電灯の下
“203 風谷 囁聞”
そう…ドアの上部中央に着脱式のプレートで書かれた自分の部屋の前まで、寮の共用廊下を歩いてやって来ると。
そこで…制服の上着の内ポケットから、専用のカバーに入ったカード式の生徒手帳を取り出し、部屋番号と自身の名前が記されたプレートのその右下…。
…ドアノブの上にある、まるでコンビニやスーパーなどで電子マネーカードを使用して代金を支払うあの感覚で、カード式のその生徒手帳をそこに設置されている、小さな読み取り機の上に、そっと…かざす。
“…ピッ!”
という電子音に続いて
“ガチャッ…”
という開錠の音が響いて…俺はドアノブを静かに回しそれを手前に引くと、部屋の中に入った。
…。
鍵代わりの生徒手帳を、上着の内ポケットにしまい込みながら…手探りで、ルームライトを点けて靴を脱いで…
「…ただいま」
まるで習慣のようにボソボソッと小さくそう口に出してから。
返事の返って来ない少し散らかったその部屋に、無造作に上がると…。
そのまま数歩進んでは、ゴロンッ…と、ベッドの上へ倒れ込むようにして寝転がった。
…。
床の上に散乱している漫画やゲーム雑誌を片付ければ、もう少し見栄えが良くなるのだろうが…。
…まぁ、だいたいの物の位置がどこにあるのかが分かっているから、別にこのままでも…いいか。
俺がそんなことを思いながら、枕元に置いてある置き時計にチラリ…と目をやれば。
…その針は二十時丁度を指し示して、いて。
俺は両手を組んで枕のようにして、頭の下にそれを敷くと…ついさっきまで訪れていた、雨宮神社のことを、雨宮 凛その人のことを…思い返し始めて、いた。
…。
いくらそれが先祖代々引き継がれてきた “役目” とはいえ、両親の手によって自らの身体の中に、その胎内に…異形の者を、悪鬼を…封じ込められてしまった女の子…。
そして…自らの希望とはいえ、中二の頃からほんの一週間くらい前まで、結界の張られた地下の座敷牢の中に閉じ込められていて…常に、自分の身体の中に潜む悪鬼の甘い囁きと冷たい言葉に心乱さず戦い続けなくてはならない日々…。
…きっと、俺がこうしているこの瞬間も、雨宮は…凛は…。
…。
もし俺が、そんな状況…雨宮 凛と同じ状況だったとしたのなら。
きっと…十年ももたずにアッという間に限界がやって来て、発狂して、完全に…悪鬼の支配下だったろうな…。
…そんなことを思いつつも。
次に浮かんでくるのは、肩まで伸びた黒く艶やかな髪に、その愛らしい微笑み。
焙じ茶 塗れになった俺に、自分のハンカチを差し出してくれたあの優しさ…。
…凛。
雨宮…凛…。
うっひょ~!本当に…本当にもの凄く、可愛かったよなぁ…。
うひょひょひょひょひょひょひょひょ~…。
真剣な内容から一転して、ごく健全な高一の男らしいことを俺が真剣に考え始めていると…。
…?
…あれ?何か大事なことを…忘れているような、気が。
う、う~ん…何だろう、思い出せ…ないな。
でも…思い出せないと何だか、気持ち悪いな…。
突如浮上してきたこの謎の胸の引っ掛かりを取り除くべく、俺が何とかその忘れている大事な “何か” を…必死に思い出そうと、頭をフル回転させていた次の瞬間…
「…あっ!」
俺は思わずそう言葉を発して、ベッド上で急いで身体を起こすと。
制服の上着の右ポケットの中へ…そっと手を滑り込ませる。
…。
そこに感じる柔らかな感触…。
こ、これは…!
返すのを忘れて、そのまま持って帰って来ちまった…。
恐る恐るポケットの中から取り出した、クリーム色のハンカチを見つめて…呆然としながらも俺は、そのハンカチに…焙じ茶の染みが付着しているのを今更ながらに発見し…。
…。
キレイに洗って返さないとな、うん。
そう一人、ベットの上で小さく頷いてから。
でもこの染み、落ちるかなぁ…。
…。
…でもまぁ、この染みが落ちるにしても落ちないにしても、どっちにしても…。
俺はここで顔の筋肉が緩むのを抑え切れず…ベッドの上で一人、ニタァ~と微笑むと。
このハンカチを返すために、雨宮 凛にもう一度逢わないとな!
…二人きりで!!
そう思い…。
“借りたハンカチを返しに行く!” という大義名分の下、雨宮 凛にもう一度逢える!
しかも今度は、美沙も摸も特に呼ぶ必要もないから…二人きりで!!
…というそのこと自体に、俺の脳味噌は焦点を充てまくり…。
心の中は再び、ウキウキ ワクワク 春のパンまつり …の開催の準備に忙しなく動き始め…。
…とりあえず、このハンカチは大事な物だから失くさないように一旦、元あった制服の上着の右ポケットの中へしまい込んで…と。
後でキレイに、丁寧に、触れると香りを撒き散らすという新製品の柔軟剤もこの際購入し…それをたっぷりと入れて洗ってから、外に干すと盗られるかもしれないから、部屋の中で室内干しにして干そう…。
…そう強く決意すると。
再びゴロンッ…と、ベッドの上に横になって、やはり両手を組んで枕のように頭の下にそれを敷くと、そのまま静かに、ゆっくりと瞳を閉じた…。




