あなたのそばに14
祐希は秋吉が持参した経歴書を見ていて、自分の人生を思い返してみた。
祐希は高校生の頃、体育祭で写真部の腕章をつけて、グラウンドを走り回ったことを思い出した。祐希の同級生でとても足の速い女子生徒がいた。彼女は陸上部で全国大会に出場するほどの俊足の持ち主で、彼女は部活が終わった後も、一人黙々と練習を続けているのを祐希は知っており、写真部の部室から彼女の様子を眺めていた。
彼女はクラスで友達と接している間は普通の女子高生と変わらない、少女のようなあどけない顔をしていた。しかし、彼女は走り始めると普段の彼女からは想像できないような獰猛な獣のような表情を見せる。彼女のあの獣のような表情を撮りたい。
だから祐希は、その体育祭で彼女を撮ることを決めていた。女子百メートル走でクラウチングスタートのポーズをした彼女の瞬間を撮った。彼女の眼光は鋭く、そのポーズの瞬間で、既に勝利が決まっているように見えた。その写真でジャパンカメラのコンクールで優秀賞を受賞できたのだ。肉眼で捉えられない一瞬の緊迫感を撮った写真だと絶賛された。
それまでは祐希は写真部に在籍していたものの、写真家になろうなんて思っていなかった。しかし、この写真を撮ったことにより、祐希は写真の魅力に取り付かれ、大学は写真学科に入学することにした。
大学では写真の技術のイロハを学んだ。そして、大学の教授のコネで、当時、グラビア写真を主として活躍していた写真家・山崎隆のアシスタントになった。アシスタントの仕事は思ったより、きつかった。撮影器具の運搬、撮影現場のセッティングなど肉体労働が主で、女性の祐希にとっては、とても重労働だった。山崎は現場のセッティング、ライティング、カメラアングルの設定などを椅子に座ったままでアシスタントに指示して、指示通りに行わせた。最後に山崎がシャッタースピード、絞りなどを調節して、山崎はシャッターを押すだけという撮影の進め方だった。山崎の指示を受けることにより自然に技術をつかみ、独り立ちしていくアシスタントも多くいた。祐希もその一人であり、山崎の元で五年間、働いた後、独立をした。山崎がいなければ、後日の祐希の華々しい写真家としての活躍も無かっただろう。
独立をしたばかりの頃は、アシスタントもいなかったから、全てを自分で行わねばならない。営業活動も自分で行った。暫くするとファッション誌での撮影などの依頼が来るようになり、山崎の元での経験を生かして、グラビアなど仕事も積極的に受けるようにした。女性の美を撮っていきたいという気持ちが芽生えたのが、ちょうど、その頃であった。
続く