第22話 神様と、神なんぞ
夜が明けた。
アルドは早くから目が覚めていた。眠れなかったわけではない。ただ、頭が動いていた。
昨夜の「好都合だ」は、強がりではなかった。向こうが前倒しで動いてきたなら、こちらも前倒しで動けばいい。宰相側がグレナ商会に人を入れてきたということは、「何かが動いている」と感じているということだ。ただし——何が動いているかまでは、まだ掴んでいない可能性が高い。
そこが、使える。
アルドは天井を見たまま、静かに組み立てた。
グレナに誤情報を流す。「アルドたちが別の商会と手を組もうとしている」という話を、クルトを経由して届ける。グレナが宰相側に報告すれば、宰相は的外れな手を打つ。その間に中央市場の空白へ動く。
単純だ。単純だからこそ、機能する。
朝食の席でシャルに作戦を話した。
シャルは黙って聞いた。話し終えてから、一つだけ聞いた。
「クルトは信用できるの?」
「今のところは」
シャルの目が、少し動いた。それ以上は聞かなかった。
アルドも、それ以上は言わなかった。
クルトとの接触は、市場の外れにある馴染みの酒場で行った。
昼前の時間帯、客は少ない。クルトはすでに来ていた。四十がらみの、体格のいい男。筋を通したいという欲望は、会うたびに同じ色をしている。
絶対交渉権が、静かに像を結ぶ。
「信用できる取引相手を求めている」——本物だ。今日も変わらない。
アルドは穏やかに、席に着いた。
「一つ、耳寄りな話がある」
「聞こうか」
「残り二つの商会のうち、ミラン商会がこちらと話し合いを持ちたがっている。近々、動きがある」
クルトが頷いた。表情は変わらない。受け取った、という顔だ。
ただ——その瞬間、絶対交渉権が示す欲望の色が、わずかに動いた。
アルドは内心だけで、それを記録した。
……なるほど。
酒場を出てから、シャルと合流した。
シャルはその間、グレナ商会の周辺を観察していた。
「どうだった?」
「クルト、受け取った様子ね」と言ってから、シャルが少し眉を寄せた。
「それより——グレナが、もう動いた」
「動いた?」
「ミラン商会の方向に人を出した。さっき確認した」
アルドは少し間を置いた。
誤情報が届いた。作戦通りだ。ただ——。
「早い」
「何が?」
「誤情報がグレナに届くのが早すぎる。クルトがグレナに直接繋がっているとしても、今日中に動くのは——」
アルドは歩きながら、静かに整理した。
宿に戻って、頭の中で盤面を動かした。
クルトは黒幕側の駒だと思っていた。それは間違いではないはずだ。ただ——誤情報を渡した瞬間の、あの欲望の色の動き。あれは何だった?
「信用できる取引相手を求めている」という欲望は本物だ。それは最初から変わらない。ただあの一瞬、色が動いた。警戒に近い色だった。受け取った情報の真偽を測っていた色だ。
つまりクルトは——こちらが泳がせていることを、薄々わかっていた。
そしてグレナへの報告の速さ。あれはアルドの動きを宰相側に伝えるためではなく——宰相側からアルドの動きを守るために動いていた可能性がある。
ミラン商会に人を向かわせたのはグレナだ。グレナが動いたということは、宰相側の目がミランに向いた。こちらからは遠ざかった。アルドのような個人に矛先がいくよりも、ミランに矛先を向かわせれれば、アルドは動きやすいし、ミラン側には屈強な傭兵がいるから荒事になっても、基本戦力が拮抗して大惨事と言うことになることはない、とクルトは踏んだのだろう。
アルドは静かに、一つの結論に辿り着いた。
クルトは二枚舌だ。宰相側に繋がりながら、実はこちらに利益をもたらす動きをしている。
シャルが向かいに座っていた。アルドが何かを考えているのを、黙って待っていた。
「結論から言うと、クルトは、二枚舌だ」
シャルの目が細くなった。
「……どういうこと?」
「敵の駒のふりをしながら、こちらの動きを守っている。グレナが早く動いたのは、クルトが意図的に情報を速く流したからだ。宰相側の目をミランに向けるために」
「……なんで、そんなことを?」
「それはよくわからない。ただ——」アルドは少し間を置いた。「『信用できる取引相手を求めている』という欲望は、本物だった。最初から、ずっと」
シャルが、アルドを見た。何かを測るような目だった。
「……あなた、最初からそこまで読んでたの?」
「読んでいなかった。今、読んだ」
「……それが怖い」
「神様っているんだぜ?これもきっと神のご加護だな」
アルドは笑った。
シャルは少しおどけながら言った。
「私は目に見えないものを信じることができない。それに、アルドがそんなに信心深いとは思ってなかった。というか今も思ってない。嘘だと思ってる」
「……今回に関しては否定する。神はいるぞ。少なくとも俺の知り合いに女神がいる」
「娼婦か酒場の給仕の話?」
「それもある意味女神だな。ただ、そう言う話じゃなくて本当にいる。意外と神は身近なところで見守ってくださっていて、シャル、お前みたいに信じていない不届者でさえ、愛を持って見守ってくださってるのだよ」
「……到底信じられないな。神がいるなら、どうして私はあんな…地獄のような仕打ちを受けなければ…!」アルドはシャルの冷たい表情に、少し鳥肌がたった。
「……悪りぃな。でも、神の試練と言うやつかもしれない。腐らず、今の境遇を変えていこうとしろ。神はいつでもシャルを見てる、はずだ」
「いつか、私が神なんぞに感謝することなどあるのかな?」
アルドは答えなかった。
「神の話は、終わりだ。脱線しすぎた。クルトの話だ」
シャルが少し考えてから言った。「クルトを、使うってこと?」
「使えるかもしれない。ただリスクもある。二枚舌は、三枚になる可能性もある」
「……どうする?」
「もう少し、泳がせる。ただし今度は——こちらが泳がせていることを、向こうも知っている前提で」
シャルが小さく息をついた。呆れでも笑いでもない、少し疲れたような息だった。
「……あなたと組んでいると、世界の見え方が変わる」
「悪い方にか?」アルドは笑った。
「……まだわからない」シャルも少しだけ、笑った。
夜になった。
アルドは部屋で氣功を始めた。今日動いたことを整理しながら、静かに呼吸を整える。グレナの目はミランに向いた。クルトは二枚舌だとわかった。次の手は——
宿の外が、騒がしくなった。
扉が開いた。シャルだった。窓から外を確認してきたような、走ってきたような、わずかに息が上がっていた。
「——グレナの人間が、こっちに来てる!」
アルドは立ち上がった。
誤情報への反応ではない。ミランに目を向けさせたはずだ。それでもこちらに来るということは——グレナはもともと、ミランとは別の筋からこちらの居場所を掴んでいた。
クルトではない。クルトはこちらを守る動きをした。では誰が——。
「人数は?」
「五人。ただ——」シャルが少し間を置いた。「先頭の一人、動きが違う。昨日見た外部の人間じゃない。別の、もっと——」
アルドはシャルの目を見た。シャルが続けた。
「——もっと、静かな動きをしてる……!」
アルドは一度だけ、深く息を吸った。
「——来たか!」




