テーセの憂鬱な時間 12-3
3.アウェーにて
第二データ処理部棟の一階の受付フロアで用件と到着を伝え、セキュリティ三課へのガイドと入室許可をもらうとディの右側斜め後ろをノルディックは歩いていく。
十階のセキュリティフロアに入るとガードプログラムが二人の手荷物を精査してくるが、フィオーレとシュルドが作ったセキュリティシステムが対処して黙らせる。システムに気付かれないように。
フロアや通路ではディを不躾な目で見てくる者もいたが、男が近寄ってこようものならノルディックが視線だけで黙らせた。
ディは三課の扉の前で深呼吸すると、社員証をかざした。
騒然とした雰囲気が扉を開くと、それだけで伝わってきた。
慌ただしく人が室内を動き回り、ディスクで必死になって端末を操作する者達が大半だった。入口から五センチほど下がったところで俯瞰するようにノルディックは事務室内を見渡す。
通常業務がストップしているのが分かる。
これだけの人数が取り組んでいるのにプログラムの解除は遅々として進んでいない。セキュリティを冠した開発部署の名は形無しであっただろう。
テーセよ。どれだけ頑丈なセキュリティを構築したんだ?
最奥の役職者席では課長らしき人物が三人のリーダーかプロジェクトの責任者らしきものに向かって大声で叱責している。その罵倒をディにはあまり聞かせたくはないな。
他の面々も慌ただしく作業していた中をテーセの姿を探すと隅の方で独りポツンと何もさせてもらえないのか俯き大人しく座っているのが分かった。
我慢しているんだな。
少しだが、胸を撫で下ろす。あの課長の叱責を聞くにつけ、かなりストレスがかかるはずだ。それを数時間でも毎日聞いていれば鬱になってもおかしくない。
実際に狂犬と言われる所以を作った当時の所属課長の嫌がらせを受け続けた同僚の目は見る間に落ち窪んでいった。クリスのような大らかでストレスを受け流せるような精神を持っていなければ誰でも精神をおかしくする。だいぶ良くなったとはいえタンバさんを見れば分かるだろう。瞳は濁り視線が定まらないのである。タンバは彼の姉の様に回復する切っ掛けも現場に復帰できる可能性もあるが、それでも受けた精神への傷は再発の危険をはらんでいるのである。一度受けた心の傷はトラウマと同じでこれからの人生に付きまとってくる可能性があった。
テーセにその兆しが無いことが分かり、改めてその笑顔を守る決意をする。
ディは室内に入り、五歩進むと立ち止まり声を上げた。
「大変申し訳ありませんでした」
謝罪の言葉を言い、背筋を丸めることなく深々と頭を下げている。
心からの、そしてディの悲痛な想いが響いてくる。奥でふんぞり返っている一名を除けばディの気持ちは届いているはずだ。
「妹テーセがご迷惑をおかけしました」
テーセはその言葉に顔を上げ横に何度も首を振っていた。姉にそんな言葉を言わせたくなかったのだろう。
ディに人が群がってくるのが分かっていたので、少し時間をずらして怒気をはらみながらノルディックは入室してくる。
それだけでディに近づこうとする者達は動きを止めた。
一番近くまでやって来ていた男にノルディックは覆いかぶさるように問いかけた。
「課長さんは?」
低く地の底から響いてくるような声だった。
声を掛けられた男の顔は真っ青になっていた。
「あ、あちらに」
ディには見えないように死角に入ってやっているので、彼女は男の様子をいぶかしんでいるようだが、気にせず案内させた。
「か、課長」
声を掛けられ三課の課長は不機嫌そうな顔でこちらを見る。
「なんだ?」
「TDFの方がお見えになりました」
「ようやくか」
こちらの事情などお構いなしのようだった。察せない気配りも出来ない奴がよく課長になれたものだと思ってしまう。
「TDFのデュエルナ・ツイングです」ディは謝罪する。「テーセがご迷惑をおかけしました」
「まったくだ」
課長はそう言いながら、嫌らしい顔を向けながら手を伸ばしてきた。
分かっていたことなので、ノルディックはその手を遮るようにディの前に出た。
「な、なんだお前は?」
「TDFのノルディック・ドリスデンです。よろしくお願いします」
その眼光はドラゴンをも射殺せるほどだった。課長はよく気絶しなかったものだ。
「よ、呼んでいないぞ」
ノルディックは頭を下げるように見せながら、課長の耳元で囁く。
「補助者兼ボディガードだよ。あんたみたいな奴が多いからな」薄ら笑いを向ける。「ツイング姉妹に危険が及ぶようなら、オレが病院送りにしてやるよ。知ってんだろう、オレを」
身の危険を感じた課長は後ずさる。
「早速作業に入りたいと思います。こちらの作法には不案内なので、誰か付けていただけると助かりますが」
「わ、分かった」震える声で課員を呼んでいる。それが失笑をかっていた。
こいつ、人望はなさそうだな。
「コ、コールマン君」
課長に呼ばれ若い女性がやって来た。
どうやら課長の子飼いのようだった。言い含められているようだ。そして話を聞くとテーセのお目付け役である。教官役だというが、教えることはなくまあ監視役なのは丸分かりだった。
突っ込みを入れると、申し訳なさげには謝罪してきた。それでも許す気は無い。
どんな新人だろうが、課長の指示だろうが、教官役なら先輩としてちゃんと教えなければだめだろう。プログラムが出来るとはいえ右も左も分からない新人なんだぞ。即戦力じゃないんだ。教えることは山ほどあるはずだ。
「出世したいんなら、取り入る相手を間違っているな」
「えっ?」怪訝な顔でノルディックを見てきた。
「もう少しテーセの身になってくれていれば、真っ当な道を歩けたと思うよ。残念だ」
「えっ、えっ?」
「こんなことは言いたくないが、TDFは社長に認められているし、うちの部長は会長の息子だ。ディはオガワさんの知り合いだしな。その妹だ。オレがあんたのことを何も知らないとでも思っているのか? お目出度いな。媚びる相手を間違えないようにな」
ようやく意味が分かったのか、コールマンは汗をかき顔を真っ青にしていた。
可哀そうだとは思ったが、テーセの方が不憫でならない。新人を無視するのは人間的にどうかと思う。反省はして欲しかった。
テーセは隅の席から動かず大人しく座っていた。
姉の登場に最初は困惑していたが、安堵しているようにも見えてしまう。ノルディックが笑いかけると、それに気付いたテーセが顔を輝かせながら手を振ってきたのが分かる。
叱責されていたのだろう。相当ストレスを受けていたようで、抑圧され落ち込んだ姿にノルディックは怒りさえ浮かんでくる。
近くまで行くとディは駆け寄ってテーセを抱きしめる。
「ありがとう。お姉ちゃん」
「さて、ここの席は使っていいんだろうな」
ノルディックは確認することなく。テーセが座っていた隣の席に端末を繋いでいく。
「こ、困ります」
「何がだ? セキュリティを解除するためにディを呼んだんだろう。作業させないつもりか? まさかディとお茶をするために呼んだなんて言わないよな」ノルディックは睨む。「あんたらのシークレット情報には手を付けない。監視していてもいいぜ」
ノルディックはサイバー空間の様子を見せるために室内に大型モニターに展開する。
何が起きているかを可視化するためだった。
ディをテーセの隣に座らせると二人の後ろで腕を組み仁王立ちする。補助するようにサイバーグラスを掛けてログインした。
「テーセ、お前がどんなにすごい奴か、三課の連中に見せてやれ」
「で、でも」
「お前の端末のプロテクトは外してある。ディと一緒になって思う存分暴れて来いよ」
「いいの? いいんだね?」瞳を輝かせている。「ありがとう」
ディが頷くと、二人の競演が始まった。
ピアノで言う連弾を見ているようだ。
ディの指先の動きが流麗で美しいものなら、テーセのプログラムは軽快にして軽やか。スキップして歩いているようなものだった。
これが天使の饗宴、いや共演だ。ノルディックも含め、誰もが目を見張る光景だったはずである。
さてプロが見ても分かり辛いプログラムの、サイバー的な世界を視覚的に分かりやすく解説しよう。
テーセが施したのは、ガードすべきプログラムの周りにセキュリティという防衛線を強固に敷設するものだった。彼女は指示された通りに絶対防衛線を築いた。それが本人すらも解除できないものになったのは、テーセの性格が反映している。
集中力が続かない性格のテーセは気も漫ろになるとプログラムを簡略化する傾向にある。時間が無いと判断した彼女は時間短縮するためにプログラムを省略していった。『氷』を『水』とするように本来あるべきベースとなるプログラムを変質させていった。『火』は『炎』へと変化して、皮肉にもプログラムはそれまで枷を取り払い本人ですら解除できない強固なセキュリティが出来上がったのである。
ひとつの惑星を想像して欲しい。
この課の重要機密であるプログラムが惑星の核となっている部分で、それが人類生存可能な惑星だとしたら人や生物は大気で守られたプログラムだと言えるだろう。大気が普通のガードシステムだとしたら、今はメタンや高密度で高熱を発する雲やら物質で守られた状態に見えてしまう。高速で回転し、近づけば雷も見え、大気の層に突入すれば高密度なエネルギーと熱に機器は使用不能になり蒸発又は消滅してしまう。
近づくことすら許されないような怪物をよく作ったものだなと感心するやら、呆れるやら。これはシュルドさんやフィオーレでも苦戦しそうだ。
それにしても『侵入することが出来ないガードプログラムを作れ』か。あの課長もとんでもない指示をテーセに出してくれたものである。
一人で思いつくプログラムを駆使して構築したガードプログラムで、かの重要機密を守らせた。
なぜ新人にそんな重要なことを任せたかは、今は置いておくが、その指示のおかげで解除不能なガードシステムが出来上がり、その結果、課長の思惑を粉砕してしまうことになる。
『テーセ』
ノルディックはディには聞こえないようにテーセとラインを繋ぎ訊ねた。
『なに? ノルデ兄?』
『何でこんなもの構築してしまったんだ?』
『課長に言われたからだよ。プログラムをガードしてみろって』
『やっぱりか』
『知ってたの?』
『何が起きているか事前に調べていないと、何もできないだろう』
『ディ姉には黙っていて欲しいな』
『それは無理だな。ある程度何が起きているか知ってもらわないとな。そうでなくてもテーセ以外にも色々とやってくれているし、テーセだって周りで何が起きていたか知りたいだろう? それでコールマン女史はいたのか?』
『最初はいたけれど、すぐにいなくなったよ。定時も過ぎていたし帰ったのかと思った』
『そうか。頑張ったな』
『初めて任されたし、頑張った。…こんなに大事になると思わなかったけど…』
『分かっているよ。ディもいるから、テーセがどれだけできるか、頑張ったか見せて証明してやれよ』
『うん♪』
テーセからの話も聞きながらノルディックはこれまでの情報と照らし合わせ、さらには証拠を集めていく。一滴も漏らさぬようにロクでも無い連中を追い詰めるためである。
さっきからディやテーセだけでなくノルディックにまでサイバー空間でちょっかいを掛けてくる者がいる。
ガードは解除させるつもりはあるようだが、その手柄を横取りし、さらには機密漏洩の罪でもなすりつけたいらしい。
TDFを舐めないで欲しい。ノルディックは空手でセキュリティ三課に来ているわけではないのである。ちょっかいをかけてきた者は特定したあと端末を沈黙させる。
それらも証拠にするためある。
とことん追い詰めていやるよ。ノルディックは不敵に笑う。
時間が無かったとテーセが言うだけあって、プログラムの簡略化はすさまじいものがあった。
本来のシステムとしても強固なガードだったはずのプログラムは、誰も予測していないものへと変化している。
獰猛な番犬か、怪獣が目の前にいるような感覚だろう
そんな状況であってもディとテーセのプログラミングを内外から見ていた方が有意義なはず。
小さな力で抗う二人に見えただろうか?
テーセはサイバー空間で姉を案内しながら、ガードシステムに向かって行っていた。絆は深いと感じられるほど信頼関係が構築されている。
分かる人が見れば、これはスペクタクルな展開であると言えるはずだ。
テーセ自身が気付かないうちに設置していたプログラムの罠をディは簡略化や短縮されたプログラムを理解しながら、猛威を揮ってくる雷や触手を回避しながら本来あるべき姿にプログラムを戻していく。最初のプログラム第一行を突破していった時にはエリートプログラマーも唖然とし、拍手していたほどだった。
テーセが本来すべきプログラムよりも簡略化したプログラムを正常なものに戻していただけなのだが、奇跡のように見えたのだろう。ディも妹のことを理解しているからこそ、それが出来たと言ってもいい。
本来あるべきプログラムに戻しながら慎重に作業は続いていく。
ノルディックが展開している大型モニターを見て三課の人々には手に汗握る展開に見えたはずだ。
邪魔をしようとしていた輩を除けば。




