テーセの憂鬱な時間 12-2
2. 緊急指令
「ディ!」
オガワが慌てた様子で事務室に駆け込んできた。
今日のオガワは地下パーンパイプで一日モジュールの作成に当たれると朝から上機嫌であったはずだ。朝の申し渡しが終わりハード班が作業に入って一時間ほど経った頃のことである。
「何かあったのですか?」
フィオーレがオガワに訊ねる。
全員がオガワを見ていた。
呼ばれたディもサイバーグラスでのプログラミングを続けながら訝し気な顔をしていた。クスル、トモカネ、エレナは完全に作業が止まっているが、シュルドやノルディックはそのままプログラムを続けていても、気になるのだろう耳をそばだてる。
「ああ、すまない」
余程慌てているのだろう。まずはフィオーレに了承を得ないといけないこと気が付く。
「ディを借りたいのだが良いだろうか?」
「緊急の案件ですか?」
「第二データ処理部から依頼が来た」
「第二から!」
ディの元所属していた部だ。
「良からぬことを企んでいるか」フィオーレは呆れたように訊ねてきた。「それともテーセが?」
「テーセだ」
「妹が何をしたのですか?」
トモカネから見ても分かるほどディは狼狽している。心から妹を心配しているのだろう。苦渋の想いがにじみ出ている。
普段の彼女からは考えられない表情だった。
「クルス、第二データ処理部って何があるの?」
「前にも話しただろう。お前と同期となる新規採用のディの妹の配属先が第二データ処理部なんだよ」
「なるほど」トモカネは頷くがすぐに疑問がもたげてくる「何でそこから呼び出しが?」
「さあな。ただあそこは常務派だ。何かあるとみるべきだろう」
「常務派?」
「トモカネは新採だしな。ここは本社から離れているし、実害が無いと分からないよな」クルスは苦笑いする。「今では専務派ほどではないが、TDFの敵対派閥だよ」
「同じ会社なのに?」
「後で説明してやってもいいが、トモカネにも関わりがあるから調べてみるといいよ」
「了解。ディに関わるのなら詳しく調べる」
「それが良い」
クルスは苦笑しながら素直なトモカネを見るのだった。
とはいえオガワの様子を見る限り事態は切迫しているようだ。
「それで第二データ処理部で何が起きているのですか?」ディは胸元に手をあて訊ねてくる。「テーセに何があったのでしょう?」
「どうやらテーセが所属しているセキュリティ三課の機密事項に関わるらしく詳しく話してくれないが、テーセのことでディを派遣して欲しいという話だった」
「あそこのボルドソン・フェミング部長からの依頼ですか?」
フィオーレは独自に情報収集を始めながら、オガワに訊ねる。
「三課の課長からだったよ」
「ノルディック、貴方もディに同行しなさい」
「了解。何か分かったのか?」
想定していたのだろう。彼はプログラムを切りの良いところで終わらせるとのっそりと立ち上がった。
「機密ファイルが開けなくなったらしいわ」
「サイバー攻撃でも受けたのか?」
「テーセが施したセキュリティプログラムを解除できないようよ」
「第二ってエリート部署だよな?」ノルディックは信じられないように訊ねる。「そのエリート連中が解除できないって?」
「そういうこと」フィオーレは冷笑していた。
「まあ、テーセが天才なのは分かるが、そうなるとエリート連中のプライドが相当傷ついているだろうな」
データ処理部、第一から第三は能力の高い人間が集められていると聞くし、中にはエリート意識を持つ者もいるらしい。そんな連中が一時間以上セキュリティ解除できずにいて、他の部署に助けを求めることになるのだ。
エレナ以上に悔しがっているだろうな。
フィオーレも妖艶にほほ笑みノルディックの言葉を聞いている。
「ところで、本人はどうしたんだ。あいつはへそを曲げているのか?」
「テーセも解除できないみたい」
「はあ?」呆れてしまった。「メビウスの輪でも作ったのかよ」
「そのようね」
高笑いしそうな勢いで笑みを浮かべるフィオーレを見てオガワは腰が引けそうになるのだった。
「姉なら解除できるって、妹は言ったみたいね」
「どこ情報だよ?」
「調査中に知ったわ」
「おっかねぇな」ノルディックは呆れたし、冷や汗が出てくる。
その場の全員が絶対にフィオーレを敵に回したくないと思った。
「とはいえ、オレは守ってやればいいんだな?」
これから向かう三課での仕事がただで済む訳が無いと思ってしまう。
「よろしくね」
情報収集した惨憺たるセキュリティ三課の事務室カメラからフィオーレは様子を見ていた。改変されようとしていた監視映像を向こうに気付かれぬように保存すると、それをノルディックに送った。これまで得た情報と合わせて。
「突然ですまないな」オガワはフィオーレに言う。
「問題ありません。今、オリエナを呼びました」
「よろしく頼むよ。私はこれから第二データ処理部の部長と話をすることにするよ」
「ご苦労様です。話が有利に進むような情報は回しておきますわ」
「頼むよ」
オガワはため息交じりに作業着を脱ぐとロッカーにしまう。代わりにネクタイを締め直して背広を着ると事務室の自分の机に向かうのだった。
「ディは引き継げるようにしなさい」
「ごめんなさい、フィオ」
「気にしないで」ディに微笑む。「ノルディックもいいわね」
「分かった」彼は必要なタブレットや端末を準備し鞄に詰め込んでいく。ディの分も含めてだった。
心配で暗い顔をしたディの肩をポンポンと叩いていた。
「何でノルディックも?」
トモカネはクルスに訊ねた。
「だいぶ関係が良くなったけれど、ディ自身がその場に現れることは歓迎してくれるかもしれないが、それでも第二はアウェーだ。だいぶ関係が良くなっているとはいえ、何が起きるか分からないだろう?」
「なら僕が行っても」
「ライセンスAのノルディックなら端末だけでなくディのフォローも出来るし、物理的にも対処出来るしな」
「物理って……」
「三十人はいる課だ。ゾンビの様に群がって手を伸ばしてこようとする人間をトモカネには捌けるかな?」
「……無理、かな」
「エレナも我慢しているだろう」
クルスに言われて、チラ見しただけでエレナは睨みながら歯ぎしりしているのが分かる。
五分も経たないうちにディとノルディックと入れ替わるように煙草を口にくわえながらオリエナが事務室に入ってくると、フィオーレが指示を飛ばす。
「オリエナはディのプログラムを引き継いで」
「あたしがやるよ」
エレナが立ち上がったが、あざ笑うようにオリエナが言ってきた。
「エレナにこの美しいプログラムの続きが構築できるの? ガサツなあんたにさ」
歯が砕けるのではと思えるほどの音がエレナの口元から聞こえてきた。
「モニターもロクに展開できないくせに」
「二枚出来たからって威張るなよ」オリエナは動じない。「サイバーグラスと通常モニターだけで、あたしはエレナよりも早くプログラムが組める。それだけ大口を叩くんなら、あたしより先にライセンスBを取ってよね」
「絶対に取ってやる」
「エレナは自分の仕事をしていなさい」フィオーレも追い打ちをかける。「ノルディックの仕事はシュルドさんにお願いします」
「分かったよ」素っ気なくシュルドは答えていたが、彼も姿勢を正していた。
本気でやらないと終わりそうにないからだ。
ディとノルディックはどちらもプログラム班では主力である。どちらかが抜けても大きな穴が開くのに同時に二人である。しかも丸一日戻ってこない可能性すらある。この大穴をどう埋めるか、フィオーレは頭を悩ませることになる。
「クリス」
事務室の奥で一人ポツンと仕事をしている秘書官に声を掛ける。
「何でしょう、フィオーレ?」
「今日のパーンの予定は?」
「朝一番の会談が終わっていますので、今日の残りはフリーですよ」
のんびりとした口調で返事が返ってきた。
「ありがとう。クリスもそれが終わったら、手伝ってね」
「分かりました。今、キャスティにメールしましたのですぐに行けます」オガワの話は聞いていたようだ。理解が早くて助かる。
クリスは自席の端末を閉じるとプログラム班の予備席に座る。
端末を開くが、クリスはプログラムの資格すら持っていない素人である。週に何度も引っ張り出され手伝っているので、秘書と総務の仕事の合間をぬうようにプログラムの勉強をしていたが、手伝う時はシュルドのフォローが欠かせなかった。
四つのモニターを展開しながら、三つはプログラムに、残りをシュルドはクリスへの指示に回しているという塩梅だ。
「足を引っ張らないように頑張りますね」
クリスはクルスやトモカネにほんわかとした挨拶をしている。
フィオーレはパーンの位置を特定すると、ハード班への手伝いをするようにとメールしている。パーンに対しては理由を知りたければ自分で調べろというスタンスだった。
「よろしくね」少し緊張しながらプログラムを開始したクリスに感謝する。「トモカネもクルスもノルディックの分はフォローしてもらいますから」
「うぇぇぇぇ」クルスは唸った。「仕事が増えるのかぁぁぁ」
それでも手は抜いていない。いや抜けなかった。終わらなければ残業が確定であったからだ。
トモカネもディの役に立つのならばと頑張るつもりだった。
テーセ自身にもひと月の間に色々とあったようだ。
事務室を出て駐車場へと歩いていると、ディはポツリと言った。
「テーセ」ディが珍しくため息をつく。「最近、元気が無かったのです。『大丈夫』とは言っていたのですが……ちゃんと話を訊いていれば良かったのかしら」
ディの表情は思い詰めているようにも見えた。
琥珀色の瞳が色を失い揺らいでいる。
こうなるのが分かっているから、妹も姉に何も言わなかったのだろう。見た目は違っても中味は似たもの姉妹だしな。
「今のディの表情を見たら、言いたくもなくなるさ。自分のことで無駄に身内に心配かけたくないからな」
「えっ?」
ディは驚いてノルディックを見た。
「酷い顔だぞ」ああ違うか。「その憂いのある顔も悪くはないけれど、そうだな……」これを彼女以外に言うにはテレがある。「笑っていてもらいたいだろう」
「あ、ありがとうございます」顔を赤らめ俯いている。「それでも……」
「姉だもんな」
その気持ちは分かる。
「そうですよ。頼って欲しいし、力になりたいです」
でもなあ。言えないこともあるんだよな。
ノルディック自身も姉に言えなかったことは沢山あった。
テーセとディの関係を知ったら、絶対に姉を紹介しろって言われるだろうし、それを断ろうものならハラスメントに発展するかもしれない。
この半年であんなにガリガリで小さかったテーセは身長も伸びたし、ふくよかになった。スッピンでも可愛らしさが目立つようになっている。姉ほどではないにせよ愛くるしさから狙われない訳が無いんだよな。
学生時代と違い、会社には様々な世代が存在しているし、性癖だってそうだ。
容姿に関するトラブルもあるだろう。
ノルディックはディのエアカーの助手席に座るとフィオーレから送られてきた映像や情報をサーチしていた。
フィオーレが意味なくデータを送ってくるはずがなかったから、隅々まで見て理解しないとならなかった。それも移動中の短時間に。
仕事よりもきつくないか?
どうやらテーセは姉に心配かけまいと、やらかしを隠していたようだ。
端末の熱暴走三回、システムダウンが二回、他にも細かいことを挙げれば毎日のようにトラブルを起こしていたようである。
業務日誌にはそんな記載が溢れていたし、課長にはこっぴどく叱責を受けていたようだ。
「頑張ってんなぁ」思わず口に出してしまう。
「えっ、なにが、でしょう?」
「い、いや、何でもない」
その頑張りが、テーセへなのか、三課へ向けてなのか、判断がつきかねるからでもあった。
根競べでもあるが、テーセの方は馴染もうと必死なのは見て取れる。社会人になろうとしているテーセをあざ笑うかのように大人の事情が絡んできているのがやるせない。
ここでも専務派の影が見えてくるとは思わなかった。
姉妹が納得して、最初はそれぞれの部署で頑張るつもりであったはずなのに……、本当にすまない。
ノルディックは心の中で手を合わせる。
テーセとは事件でコンビを組んだことがあるだけに分かるが、取り扱いが難しい子だ。
姉同様無意識な行動もあるからなおさらである。
だからこそ、ただ意味もなく会社や他の人に迷惑をかけるテーセではない。
「何を見ているのですか?」
「テーセが自分自身にも解除できないセキュリティを拵えた理由が知りたいんだよ」ディを見てノルディックは言った。「理由もなくそんなことする訳が無いからな」
「ノルディ……」
ディは妹のことを信じてもらえているのを知り、涙目になっていた。
彼女も不安なのだろう。
「取り越し苦労であればいいけれど、部署で問題になっているのであれば、何らかの処分もあり得るだろう。重くならないようにしてやらないとな」
何らかの非はテーセにもあるはずだが、出来る限り守ってやりたかった。
「ありがとうございます」
「そういうのはすべて終わってからでいいよ。何も始まっていないんだからな」
「そうですけれど……信じてもらえるテーセが羨ましくあります」
「テーセは褒めれば伸びる奴だ。押さえつけているだけでは何をしでかすか分かったもんじゃない。あいつの長所を伸ばしてやらないとな」
「調子に乗らないかしら」
「ディだって甘やかしているだろう。それはこっちでコントロールしてやればいいはずだ」
「そうですね」
ディは嬉しそうに頷いていた。
姉妹の悲しそうな顔は見たくないから、ノルディックは映像をサーチし続けた。
「これか」
「何か分かったのですか?」
「テーセは天才だよ」
ノルディックは第二データ処理部の部長宛てにメールを打つ。良識ある部長であればいいと望みながら。
第二データ処理部の棟が見えてくると、ノルディックは銀の髪を統べて後ろに流し結わえ付ける。
臨戦態勢に入った。




