トラッティン産業博覧会④軋轢 11-1
1.突然なれど
「結婚して下さい」
「今この瞬間、僕は確信しました。貴女が僕の女神であり天使であると。お願いします。結婚して下さい」
甘いテノールの声がTDFの事務室に静かに、それでいて確実に全員の耳に届いていく。
一瞬の出来事に当人たち以外の誰もが目と耳を疑った。
TDFの新人トモカネ・ミズウラの言葉に誰もが声にならない声を上げるか絶句し、デュエルナ・ネルミス・ツイングを見つめるのである。
それは辞令の交付が済み、惑星トラッティンに出張中の二人を含めTDF所員が全員事務室に集まり、自己紹介を兼ねて挨拶をしていた時、ディが一歩前に出て挨拶した瞬間のことだった。
誰もが『幾らなんでもそれは早すぎだろう』『言葉すら交わしていないのに』そう思ったはずだ。
セピアブロンドの髪に琥珀色の瞳のディことデュエルナは容姿端麗で本社でもフィオーレ・カティエスと並ぶ双璧と言われた美女であり天使である。
一目惚れするのは分からないでもないが、言葉も交わさず目が合った瞬間にプロポーズをするのはあり得ない。
電撃的すぎた。
UC三百六十年四月二日、トモカネ・ミズウラは通信産業大手ジプコ本社の研究機関TDFに配属となる。
この日は初出社だった。
中心部から南東にある丘陵地帯にTDFの建物群はあり、アパートから購入したてのエアカーで本棟へ向かうと小さな会議室へと通される。
室内ではすでに男性が二人座っていた。
最前列中央に癖のあるこげ茶色の髪の若い男性が座り、通路側の最後列に四十代くらいの少し暗い顔付きの男が手元を見て座っている。二人は自分が入ってくると軽く会釈してきたので応じる。
同期じゃないな。同時に辞令は受けるけれど二人とも転入組だろう。
空いている二列目の窓側に腰を下ろし待つことにすると、五分後に栗色の髪を後ろでまとめたサイバークラスを掛けた女性が入ってきた。太々しい態度と雰囲気からするとこの人も転入組のようである。若い男性が声を掛けていたが無視されている。彼はずいぶん軽薄そうだな。
新人がもう一人いるという話だったが、これで全員が揃ったらしい。
癖の強いウェーブのかかった濃い茶髪に銀色の筋が入っている長い髪の女性が入室してきた。山吹色の目が微笑んでいるのだが、ブラウスから見えた手首と足首が細すぎるような気がする。しかもそれなのに胸が大きかった。体形がアンバランスだ。
「ようこそ皆さん。私はTDFで部長秘書をしていますナーブ・クリスタル・リクスフェンと申します。よろしくお願いします」部長秘書は挨拶してくる。「全員揃いましたので皆さんを部長室へご案内いたします」
その話し方を聞いてトモカネは少し彼女の話し方に訛りがあるなと感じてしまう。
どこの出身だろう?
「辞令交付が終わりましたら、皆さんを事務室へご案内し、TDF所員の皆さんにご紹介することになりますのでよろしくお願いします」全員を彼女は見渡すように見る。「何かご質問はございますか?」
「その後、研修ですか?」
どうやらこの場にいる新人は自分だけらしいので、秘書に訊ねてみた。
「研修はありません。もしかすると担当部署で用意されているかもしれませんが、それは担当部署へ行ってからで、会社説明のような研修は予定されていません」
「分かりました」
即、実戦投入かと心の中で吐息をつくのだった。
部長は事前にオガワさんから聞いていた通りに子供だった。
成人したての十五歳。自分よりも四歳も年下である。
『親の七光り』という噂もあるが、狡猾そうな顔付きと雰囲気があり、要注意だと感じる。髪は藍に近く目もそれと同じである。身長こそ低いが本当に年下かと思いたくなる感じがしてくるのだった。
同期配属のタンバ・イルト・シーストンさんは役職が付いていた。クルス・バートン・フルクスとオリエナ・ヒルデルナも予想通り転入組で、もう一人新人さんはいたが、すでに仕事に就いていて出向先で経理の仕事もこなしているという話だった。
それって就業規則的にいいのか?
そんなことを秘書の話を聞きながら辞令をもらう。
(のちに知ることになるが、TDFはかなりイージーな職場だった。他にも本社の同期はいたが、その後話を聞くと大ホールへ集められて社長や会長の訓示を聞くことなく仕事に就くことになる。面倒がなくありがたい職場である。)
簡素簡潔に辞令が下りて秘書さんに案内されながら事務室へ向かう。
気になる距離ではなかったが、意外と長く感じる。他の人は分からないが。
事務室では面接してくれたオガワさんを含め、全員がそろっていた。
惑星トラッティンに出向している新人同期とその旦那さんである方が映像で参加していた。3D映像で現地から映像をトレースしているという。モニター越しではなかったのが驚きだったが、トラッティン産業博覧会のことを考えればこれくらい出来なければやれない方がおかしいくらいだった。
ここに集いし者たちはその目的のために集められている。
自分にもその知識と能力があってのことだろう。そう思いたい。
事務室に入ると新人五人(うち一人が映像)の対面に、それまでの古参が並んでいた。
一目見て気になる子が対面にいる。
ピンクの髪が可愛らしくなびくキャスティ・カインズの後に自分は挨拶した。目はその子の姿を追っている。
自己紹介で列から一歩前に出た彼女と目が合い、その直後デュエルナ・ネルミス・ツインングさんの声を聞いた瞬間、頭から爪先まで落雷を受けたように電流が走り、全身が痺れた。
かつて無い衝撃だった。
天啓か、神託と思えるほどだ。
これまでにも好きな子や憧れた女性はいたはずだが、この衝撃は百万ボルトの電流を浴びた気分である。
恋には衝撃が走るというけれど、これが一目惚れなのだろう。
体験してみないと分からないことだ。
その声が聞こえたとたん、自分の気持ちが固まるのはカウントできないほど短い時間であったと思う。自然と足が前に出ている。
一歩二歩と前に進み出て、眼前に迫った時、左膝を付き右手を差し出していた。
「結婚して下さい」
自然とその言葉を口にしている。
周囲の目なんて関係ない。自分はそうあるべきだと感覚的に行動したのである。
この間の思考はナノ一秒だったはずだ。
身体も口も勝手に動いている。自然な動きだったと言える。
「目の前に天使がいる」
デュエルナさんが息をのむ音が聞こえてきた。
それほど事務室は静まり返っていた。
血がドクンドクンと沸き立ち、全身が熱く心臓は激しく破裂しそうなほど大きな音を立てている。
真剣にデュエルナさんの目を自分は見つめていた。
「お願いします。結婚して下さい」
再度プロポーズの言葉を口にしていた。
デュエルナ・ネルミス・ツイングは真っ直ぐに差しだされた手を見つめていた。
彼の声と視線に強い想いと愛を感じる。
それでも傍から見れば冷めた目で見ていたのかもしれない。
『私が今欲しいと願っている想いではない』
自分に向けられたことなのに、その想いが響いてこない。
他人事とかそういう感じでもなかった。プロポーズだと分かるからこそ彼女はトモカネ・ミズウラの強い想いを正面から受け止めた。
引くことも無く真摯に。
「私にですか?」
おかしな問い掛けだと誰も気付いていない。
「はい」差し出された右手は微動だにせず、彼女に向けられている。「その瞳を見た瞬間、引き込まれました。貴女が天使であると自分は確信しました」
「ありがとうございます」ディは動ずることなくお腹の辺りで両手を合わせお辞儀していた。「ですが私はその手を取ることは出来ません。私はトモカネ・ミズウラさんのことをまだ何も知りません。貴方を認識したのはこれが初めてです。私に貴方を理解する時間をくださいませんか」
真摯な声でトモカネに語り掛けていく。
「友達として始めるということでしょうか?」
彼は訊ねてくる。
「そうなるかもしれません。同僚としてというには違うような気もしますし」
天使は満面の笑みを浮かべている。
そこに拒絶はなかった。
二十年生きてきて初めて受けたプロポーズだったはずである。それなのにトキメかないし、冷静に彼の右手を見つめている。
彼女が求めているものとは違うのだろう。
「分かりました。全身全霊を込めて自分は貴女にアピールさせていただきます」
彼は立ち上がると礼をする。彼女もそれに合わせていた。
気まずくなる雰囲気を二人は収めるのだった。
周囲が息をした気がする。




