風に抱かれて 5-3
3.ナディス、優しき風よ
パーンは夢を見ていた。
これが起きてから気付くことであったため、今この瞬間は現実のものとして感覚が捉えている。
パーンの身体は空を飛んでいる。
羽ばたいているわけでも、何かの推進器の助けを借りているわけではない。ただ風に乗り空をどこまでも流れるように進んでいた。
肌に触れる風と大気は心地よく空には雲は無くどこまでも天は青かった。
眼下には見たことのないうっそうとした密林が広がり、川らしき清流のブルーときらめき以外は濃淡の差はあっても緑一色だった。
地平の彼方には海が見える。
この島はさほど大きくはないようだ。
どこまで進むのだろう?
高度が落ちてくると、緑の香りが一層強くなってきた。
木々の高さすれすれになったかと思うと、突然尾根に入り、木々の間を縫うように風は吹き抜けていった。
ナディスの風だ。
ハ・ヴィ・ラダを求め風は吹き続けている。
突然視界が開けると、パーンの視線の先には光が見えた。日が差しているのに太陽が昇ってきているようだった。地平線が眩しい。
風が緩やかになり、パーンは大地へと下りようとする。
差し出した右手が何かを掴もうとした瞬間にパーンは目覚めた。
「夢か……」
喉がカラカラだった。
ナディスは永久に求める
天と星を見据え 父なる精霊に祈る
人と精霊の行く先々の導となるように
ナディスは探し続けるだろう
地を見つめても 水も海も川も答えてはくれない
何処なるや ハ・ヴィ・ラダよ
風と一体となり 永遠をナディスは探し続ける
ナディスは風となりて 彼方の地に願いを込める
彼女は未来が見えなかった。
力があることは分かっているけれど、それをどう活かせばいいのか分からない。
持て余してしまうのである。
木々の間を飛び回っても、狩りをしても満たされることない。
さらに精霊使いとして選ばれたけれど、彼らが見えるがゆえに精霊がどう導いてくれるか、精霊をどう扱えばいいのか彼女には分からなかった。
くすぶり続けていた心と身体。そんな時に何かに導かれた。
ナディスの夢を見たのだろうか。精霊柱は東を目指せと。そう言っているかのようだった。
だからこそそれを見つけるために、独り密林を目指すことになった。
彼女は己が足で歩き続けた。
三日三晩、足も止めず眠ることなく進む。その先にハ・ヴィ・ラダを見つけようと。
神承は完結していない。
黄昏で終わる九十八の物語の先にさらなる無限があるように神承は締めくくられていた。まるでその先を精霊ではない人が築き上げてくれるのではないかと。
だからだろうか、彼女は歌う。
己が心にその先を求めるように。
パーンが目覚めるとアリエーの歌が聞こえてくる。
これも神承なのかと思いながら聞き入ってしまうと、見ていたはずの夢が消え失せてしまう。それでも彼女の歌が、あの夢を観させてくれたのだと敷物に手を触れながらパーンは思うのである。
アリエーと夢を共有していたのではないかと。
「おはようパーン。起こしてしまったかしら?」
キッチンの向こう側からアリエーはパーンの気配に気づいたのだろう。笑みを浮かべているのが見なくても分かる。
「おはようございます。素敵な目覚めの歌です」
「それならよかったわ」
キッチンカウンター席に新鮮なトマトサラダを置くアリエーだった。
「良い夢が見れていたと思います。忘れてしまいましたが」パーンは真顔で言う。「今の歌も神承ですか?」
「風の精霊柱ナディスの一説よ。私はナディスが好きなの」
「アリエーから風を感じるのは、そのせいでしょうか?」
「感じてくれるのなら精霊冥利に尽きるわ」
アリエーはフライパンに卵を落としていく。ベーコンエッグを作っているようだった。
「手伝いましょうか?」
「こんなの朝飯前よ。珈琲を出しますからパーンは座って待っていてね。もう少ししたらホーカルも起きてくると思うから」
アリエーはインスタントコーヒーを準備しつつ言うのだった。
「おはよう」大きな口であくびをしながら隣室からホーカルが出てくる。
背伸びをすると天井に手が届きそうだった。
「ホーカル、顔を洗ってきてね。すぐにモーニングの準備ができるから」
パーンの存在を忘れているのか、ホーカルは素のまま柔らかな笑顔をアリエーに向け洗面所に向かう。
ホーカルはそのままシャワーを浴びるとスッキリした顔でキッチンカウンターに顔を出す。平静を装っているが、パーンの存在を思い出し少しだけ気恥ずかしそうでもあった。
「パーンが、自然が好きならパークよりも中央公園が良いって教えてくれたの。どうかしらホーカル、一緒に見て歩くのは?」
「まあ、良いんじゃないかな」アリエーになら憩いの場、安らげることになるだろう。
「あとはジムにも行きたいな。身体を動かしたいの」
アリエーは拝むようにホーカルに確認してくるのだった。
オガワの言葉を思い出しながら、ホーカルは頷こうとすると彼の端末が鳴った。
「何だよ朝っぱらから」
席を立つと窓側に向かいながらコール音に出る。
「どうしたんだよ」相手は見知った人物なのだろう。「今日は休日だぞ」ラフな言葉遣いだった。
ホーカルは窓の外に向かって不満げに応答するが「何だって!」
外にも響きそうな声をホーカルは上げた。
パーンがアリエーを見ると不安な面持ちでホーカルを見ている。
しばらく大声で話をしていたホーカルは端末を切るとキッチンカウンターに戻ってきて、がっつく様にトーストとスクランブルエッグを胃にかき込んだ。
「何かあったの?」
牛乳を差し出しながら、アリエーは訊ねた。
「組合からの電話だ。緊急事態だそうで俺にも呼び出しがかかった」
「お休みなのに?」
「組合常任委員に休みは関係ないんだよ。すまないな」申し訳なさそうにホーカルはアリエーに言った。
「誰かやらかしたんですか?」
「あ~そうだな」パーンを見て渋い顔をするホーカルだった。「TDFにも少しは関係あるか。ドラウド部長だよ」
「あの人ですか、最近言動がおかしいですよね」
「全くだ。今度はハラスメントで組合に駆け込んできた第三データ処理部の男女がいるんだ。放ってはおけない」
「そんなにひどいの?」
「ハラスメントは今回だけではないし、他の部署への越権行為と嫌がらせ、さらには社食スタッフの突然の解雇ときりがないんだよ。あいつにもストレスもあるのかもしれないが、もはや情状酌量の余地はない。絶対に潰す」
ホーカルは拳を握り締め宣言すると隣室に向かうとアリエーもついてく。
スーツ姿になって戻ってくると「すまないが、パーン、アリエーを頼む」そういって慌ただしく出ていくのだった。
パーンは、寂しそうにホーカルの背を見送っていたアリエーに声を掛ける。
「どうします?」
「今日は付き合ってね、パーン」
振り向いたアリエーは無理して笑いかけてくる。
パーンは珈琲を飲み干しながら頷くしかなかった。
ナディスは舞う 空の彼方 地平の彼方を目指し
ナディスは導く ハ・ヴィ・ラダを目指す者を
ナディスは歌う 星を超え 船を彼方へ導くため
ナディスを慕い ナディスを求める者よ 流離え
ナディスの想い その心のまま 風に乗って進め
ナディスは共に 見果てぬ先に希望の未来を開く
何度 地を這おうとも 天へと舞い上がり続ける
精霊は人とともにある
真実を極めよ 心の進化には 進むべき道がある
読んでくれて本当にありがとうございます。
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