トラッティン産業博覧会⑤細光 14-1
1.無理解への怒り
クリスことナーブ・クリスタル・リクスフェンは待ち合わせ場所であるカフェに入ると木目調のアンティークな店内を見回しフェリウス・アーク・アウゼンの姿を探す。
えっ?
フェリウスを見つけると、心の中で驚きの悲鳴が上がった……。
何が先輩に起きている?
自分が時間に遅れてしまったことが悪かったのだろうか?
いつもと違う姿と表情に驚き、恐る恐る近づいて行くのだった。普段であれば背筋が伸びていて優雅にティーカップを飲む仕草からもお嬢様育ちなのが分かるのだが、今は椅子に斜めに座り足を組み、頬杖をつきふてくされたような顔をしている。しかも彼女の前にあるのは珈琲カップのみだった。
ケーキやマカロンなどの大好きな甘味系お菓子が無いのである。
「せ、先輩、お待たせしました……」
やはり待ち合わせの時間に少し遅れてしまったのがいけないのだろう……恐る恐る声を掛けるのだった。
「お疲れ様」
かわいらしい口から出てきた言葉は語気が少し荒い。
見た目同様お嬢様育ちで優雅さすらある容姿をしているのに台無しだった。今の格好は。
「先輩、何かあっただか?」動揺して素の言葉が出てしまう。
「訛っているわよ」ピシャリと言われてしまう。
「す、すいません。だども、先輩どうしただか?」
「どうもしないわよ?」目付きまで座ってきて、半眼で見据えられてしまう。
クリスは身を縮こまらせた。
「すいません。すいません」大きな身体が丸まり更に身を縮こまらせてしまう。「遅れてしまって申し訳ありません」
「大した遅れではありませんよ。それから背筋は丸めない」
「は、はい。本当に何かあったのですか?」
「変かしら?」
「おかしいですよ。雰囲気もですし、飲み物が珈琲だし、お茶菓子がありません」
「コーヒーが飲みたい気分なのよ」フェリウスはぶっきら棒に応える。
「それにその姿勢といい、フェリウス先輩らしくありません」
クリスがフェリウスから呼び出された時には秘書課の面々が誰かしらいることが当たり前だったけれど今日は誰もいない。
(それはフェリウスがクリスにもガス抜きが必要だと気を遣ってのことだと、秘書課の先輩の一人シェロンヌさんから聞いたことがある。)
振り返ってみれば、フェリウスは今週に入ってTDFの社員食堂に来ていない。三日もである!
考えられない。
ペリシアさんと、彼女の料理やデザートが大好きなフェリウスからすると考えられないことだった。
「あの宦官野郎が……」
ポソッと口から出た言葉の意味を調べてみると、普段のフェリウスからは考えられない悪態だった。
「あ、あの先輩……ホントに」
「あ~ぁぁ、もう」何度も首を左右に強く振る。「クリスに八つ当たりしそうになったじゃない」
「それは構いませんけれど」
「これじゃあ駄目よね」
フェリウスは居住まいを正すと背筋を伸ばし、クリスに微笑み返す。ウェーブが掛かった黄金色のロングヘアが優しく揺れる。
可愛らしさの頂点である。
「ごめんなさいね」丁寧に頭を下げてくれる。「急な呼び出しに応えてくれたのに」
いつものフェリウスがそこにいるので胸を撫で下ろす。
「いえいえ、先輩からの呼び出しであれば、何を差し置いても駆けつけます」
「嬉しいことを言ってくれるわね」
「そ、それで何かあったのですか? さっきの宦官て……」
ネットで検索してみると、虚勢された男性と出てきた……。先輩とは無縁の世界のようにも見えてしまう。
「うちの課長のあだ名よ。知らない?」首を横に振るクリスを見てフェリウスは笑う。「うちの課長は、あの童顔でしょう」
クリスは直接会ったことが無いけれど、秘書課とのやり取りの中で、モニター越しに会話したことはあった。三十代には見えないほどの十代に見える童顔で驚いたものだった。
「『ベビーフェイス』というあだ名とともに『宦官』という有り難くない通り名もあるのよ。なにせ秘書課もレイスィアさんをはじめとして美人ぞろいの課ですものね。誰にも手を出していないからそう言うやっかみも出てくるのよ」
「は、はあ……」
「まあ私たちの誰かに気がある風でもないですしね」
「パーンもそんな感じですよね」
「パーンはねぇ。フィオーレにディ、アリエー、と立て続けに美女をスカウトして自分の部署に引き入れていましたからね。私も驚きましたよ。その後もエレナにキャスティ、クリスですからね」
「えっ! あたしですか?」
「あら、クリスは知らないの? あなた意外と、意外とは失礼ね。私と同じでミスコンで百位以内に入っているのよ」
フェリウスは端末で上半期のミスコンの結果を見せるのだった。
「し、信じられません。あたすはそんなに前面に出たことありません」
「私の後釜でしょう。注目度も高かったし、パーンが写る映像にもクリスが写っていたからでしょうね」社内ネットの情報網も侮れない。「クリスの先輩が貴女を心配するのも分かりますよ」
「おどけでねぇだよ」
顔が真っ赤になっているクリスにフェリウスは微笑みかけるのだった。
「体形に見姿が追い付いていませんが、クリスも元が良いのですから、誇っていいのですよ。もっと背筋を伸ばしなさい」
「……あ、ありがとうございます」
クリスは深呼吸すると答えた。
「本当にごめんなさいね。私はやぐされていたのですよ。秘書課の誰にも認めてもらえなくでね。だから貴女に話を聞いて貰いたくて」
「先輩が、ですか?」
「私は秘書課では後輩が出来たとはいえ下っ端ですからね」
「そんなことはありません!」
「私に取り柄はありませんからね、後輩のマリカは記憶力も良く法務関係にも詳しいし公証人の資格も持っています。私みたいなみそっかすなお嬢様ではなくレイスィアさんのような正真正銘なお嬢様ばかりです」
「フェリウス先輩、先輩は私にとっての憧れであり目標です。先輩だって凄いです」
「ありがとう。でも私は偽物よ」
「そんな訳ある訳無いじゃないですか」拳を握りしめ前のめりにクリスはフェリウスを見る。「私にとって秘書の目標は先輩です」
「先ほどのような、あられもない姿を見せても?」
「フィオーレさんのような完璧な美女を見せられているのではありません。人間味があっていいではありませんか」
「人間味か、私は完璧には程遠いですからね」
「それでも私の目標です」
「ありがとう」
「そ、それで何があったんですか?」
クリスはフェリウスに促され、慌ててタブレットで注文する。
「ごめんなさいね。貴女に愚痴を聞いてもらうことになってしまって」フェリウスは頭を下げる。
「だから秘書課の人がいないのですね」
「私の先輩に訊かせるわけにもいかないからね。それにここぞとばかり私を丸めこもうとして来るでしょうから」
「フェリウス先輩に頼ってもらえるなんて光栄です」
今まで頼りにしてきたのである。少しは役に立ちたかった。
「聞いてよ」フェリウスはカフェのモンブランケーキを頼むのだった。「トラッティンの資料を仕事の合間を縫ってまとめていたのに、レイスィアさんだけでなく課の皆が心配してくるのよ。信じられない。大丈夫だって言っているのに、だれも聞き入れてくれないし」
「フェリウス先輩はコンパニオンというか、パビリオンのガイドをするだけですよね?」
「そうだって言っているのに信じてくれないのよ」
「私もトラッティンに行ったら秘書ではなくてコンパニオンになる予定ですが、確かに商品の説明やそれらの技術的なことは、フィオーレやディには劣りますが……」
「専門外のことが出来ないと思っているのよ」
「ええっ? フェリウス先輩ならできますよね?」
「当たり前よ。出来るからこそ引き受けているのに、信じてもらえないのよね。レイスィア先輩なんかフィオーレに脅されて強要されたんじゃないかと言ってくるし、課長も何かにつけて私の仕事を断ろうとするし、いい加減にして欲しいわ」
「過保護?」
秘書課のリーダー格であるレイスィアさんには何度か会ったことがあるが、厳格な人ですごく生真面目な感じがしたし、フェリウスを溺愛していた。話を聞く限り過剰に心配しているような気がしてならない。
「私のことを信用していないのよ!」
出てきたモンブランケーキを一気に平らげるとフェリウスはチーズケーキと季節のケーキを頼んでいる。さらにタルト三種類とシュークリームまで頼んでいた。怒りに任せたやけ食いである。クリスはカロリーオバーではないかとハラハラしてしまう。
「仕舞にはレイスィアさんまで手伝うという始末よ。おかしくない?」
「先輩を溺愛しているようですから、心配してのことでは?」
「心配し過ぎなのよ! 大丈夫だって言っているのに信用してくれないのよ。腹が立つし頭にくると思わない?」
「そ、そうですね」
クリスは友人たちにどれだけいい職場だと言っても信じてもらえなかったのと同じ状況に思えてくる。
「私が先週、クリスの代わりに秘書に入ったのも気に食わないようなのよね。その時に、私の独断でトラッティンに行くことを承諾してきたから」
「ええっ? 私も悪いみたいですよね。それって?」
「そうはならないと思うけれど、TDFのことを分かってもらえる方法ってないのかしら?」
「実際に体験してもらうしかないのでは?」
「そ、それしかないのかしら?」
「実際に見て、体験してもらうしかありません」拳を握りしめてクリスは答えていた。「そうすれば分かってもらえるはずです」
「そうだといいなぁ。レイスィアさんなんてフィオーレさんが居るというだけで毛ぎらいしているし……」
「そ、それは仕方がありませんですけれど、他の秘書課の方はTDFが良い職場だと分かってくれますよ」
「私がまた出向するのに反対しているのが、課長とレイスィアさんなのに?」
「わ、分かりました」
「何を?」
「わ、私も秘書課の皆さんに分かってもらえるように協力いたします。TDFの他の皆さんのすばらしさを伝えます。さらに言えば分かってもらえるようにしたいです」
「クリス……」
「私に出来る恩返しです」
「ありがとう。嬉しいわ。それなら場所を変えてお話ししましょう」
ケーキを食べ終えるとフェリウスはクリスの手を取り次の場所へと誘うのだった。深酒になるかもしれなかったけれど、クリスもフェリウスと一緒に仕事が出来るのは楽しみだっただけに、この機会は逃したくなかった。




