クリスの帰郷 13-8
8.プロポーズのその後で
「オガワさん。よろしいですか?」
ティーマに戻ると、すぐに報告しなければとクリスは思っていた。
オガワに連絡を入れると、今日は休みにもかかわらず珍しくTDFに出ていたことを知る。それならば直接話がしたいとティーマに戻るとすぐにTDFへと戻ることにする。
「故郷はどうだったかな?」
オガワは柔和な顔で迎えてくれた。
「色々と気付きがありましたし、楽しいし嬉しかったです。友達や家族と会えて」
「それは良かった。充実していたんだね」
クリスの表情を見れば分かるとオガワは言ってくれた。
「はい。長期休暇を取らせてもらえてよかったです」
「もっと取って欲しかったとホーカルは言っていたが」
「私の席が無くなってしまいそうで怖いです」オガワの言葉に苦笑する。「それでTDFでは何かあったのですか?」
「ああテーセがね」苦笑しながらオガワは言う。
テーセがプログラムボムを作ってしまいトラッティン側にも迷惑をかけたと聞く。
それでもフィオーレはそれを逆手に取って、カードシステムを強化していくのである。ライバル企業やいまだ介入してくる専務派の撃退にテーセを利用していった。
「そんなことが……」
「これは事後処理みたいなものだよ」トラッティンのキャスティやロイスは普通に仕事をしている。「それより野菜をありがとうね。ペリシアが喜んでいたよ」
「もう届いていたのですか?」
両親に感謝するとともに、すぐに動いてくれたことに驚いていた。
「いいことがあったようだね」
クリスの表情を見てオガワは言ってくれたから頷いていたし、報告しようと思った。
「そ、それてですね。聞いてください」
「なんだろう?」
「私、プロポーズされました」
「それはお目出度いね」反射的にオガワは祝福してくれたが、その意味に気付くと。「えっ?」
驚愕的な顔つきになる。
そりゃあ驚きますよね。
「結婚するの?」オガワは恐る恐る訊ねてきた。
「そのつもりです」
「そ、そうか」オガワは頭を抱えてしまっている。「困ったな~。それじゃあ地元に帰るんだよね?」
「そのつもりですが、彼には条件を付けて承諾してもらっています」
「条件?」
「私はTDFの皆さんに感謝しています。私を変えてくれたTDFに。だからこそ見届けたいのです」
「何を?」
「トラッティンの産業博覧会参加の業務を完遂したいし、秘書としてやり遂げたいのです。だから次の秘書が決まるまではTDFで仕事をします。させて下さい」
クリスは頭を下げる。
「い、いいのかい?」
クリスが秘書に採用されるまで七ヶ月もかかったのである。次に募集を掛けても来てくれる人がいるのかは、本当に分からないのである。オガワは驚いた。
「はい。それから、もしすぐに秘書が見つかっても産業博覧会が終わるまではTDFで仕事を続けたいです。手伝わせてください」
大変な時にこの場を離れたくなかった。
「大丈夫なのかい? どれだけ時間が掛かるか分からないし、長距離恋愛が続くことになるのだよ? それがきっかけで別れることになったら申し訳ない」
「それで気持ちが離れてしまったら、それまでだったのだと思います。クルスを見ているとあんなに明け透けに浮気を報告できる関係が出来ているのですから、何とかなると思っています」
「そ、そうかい?」
「最低でも年内はTDFに所属させて下さい」
クリスは切実に願いながら頭を下げる。
「願ったり叶ったりかもしれないな。もちろん秘書官の募集は掛けるし、いつでもマルダに戻れるように手続きを進めていくよ」
「ありがとうございます」晴れやかな笑顔だった。「これ。地元のお土産です」
「エンデガーナか。美味しそうだね。明日のお茶菓子はこれにしよう」
「そうですね」
「それから今日はこの後みんなで祝おうかね」
「えっ?」
「フィオーレには伝えたよ。仕事を切り上げてみんな集まってくれるようだよ」
「えっ、えっ?」
翌日、仕事が終わるとフェリウスと待ち合わせをする。
ケーキが大好きなフェリウスのお土産はリュクスホールケーキだった。
「クリスおめでとう」
フェリウスは会ってすぐに祝福してくれた。
「あ、ありがとうございます」
「クリスがTDFに来てくれてもうすぐ半年になるのよね? 大きくなったわ」
「元々大きいですけれど?」
フェリウスとの身長差は二十センチ以上ある。
「自分の容姿に自信が無くて挙動不審だったけれど、大らかだったし、それでも本当にやっていけるのか心配していたのよ」
「先輩の教えの賜物です」
背筋を伸ばすことで視点が変わったような気がしてくる。
「そう言ってもらえると嬉しいわ」久しぶり戻ったとたん泣かされてしまったけれど、それでもTDFはいい職場だと思えてくる。「社内の今日のTDFの出来事をみて驚いたし、祝福したくなったわ」
「シンシマとレイストに社内ネットで報告すると言われた時には焦りました」
「あの人たちは人を揶揄うのが上手ですからね」フェリシアはクスリと笑う。「私も戻ったとたんネタにされていたわ」
「読みました」
「恥ずかしいわね。それでもクリスはここのままTDFにいてくれると思っていたのに」
「すいません」
「なぜ謝るのですか? 次の秘書が見つかるまでいてくれるのでしょう。それに産業博覧会が終わるまでは異動しないと宣言したとオガワさんから聞いていますよ」
「情報早いですよ」クリスは焦った。「フェリウス先輩に迷惑はかけたくなかったからです」
「私もパビリオンは手伝うことになるそうなのですよ。一緒に頑張りましょうね」
「本当ですか?」
「ええ。どうしてもパビリオン運営には私も必要だったようです。それに私もクリスに感謝していますし、TDFは成長の機会を与えてくれたので、その恩は返したいと思っているのですよ」
「フェリウス先輩と一緒に仕事が出来るのなら嬉しいです」
「ねえ、婚約者とはどういう出会いだったの? ティーマに来る前から決まっていたのかしら?」
フェリウスは興味津々だった。
「突然だったんです。ディのときの様に」クリスは慌ててしまう。「デートすらしたことが無かったのですから、私なんか気に掛けてもらえていたとは思えなくて」
「私なんか、なんて言わないでください」フェリウスはクリスの手を取る。「自信を持ってください。クリスのポテンシャルは絶対に高いのですから」
「そ、そんなことはありません」
「卑下しなくてもいいのですよ。クリスは立派に秘書の仕事を全うしています」
「それもフェリウス先輩の教えがあったからです。感謝いたします」
「それなら良かったわ」いい顔つきになっていたし、おおらかさの中に見える輝きが眩しいと感じてしまう。「それで彼はクリスのどこが気に入っていたのかしら?」
「それを聞くのですか?」
「当然でしょう。言ってもらいますよ。馴れ初めもそれぞれの想いも知らないのですから、聞きたくなるではありませんか」
友人たちと同じような問い掛けが来てしまう。
身を縮こませながら、クリスは羞恥心と戦いつつ当時を思い出すことになる。
出会いはハイスクールに進級した年に最初に行われた行事、体育祭の実行委員会に選ばれたことからだった。
最初の出会いでテミッドはクリスを見て一目惚れのような感覚なったという。
「高校一年の時に実行委員会で一緒になった人で、テミッドさんはその時三年生で実行委員長でした。実行力があってリーダーシップもあったので私は憧れました」
「あらその時から相思相愛だったの?」
「そうだったみたいです。テミッドさんには一生懸命頑張ってくれたと褒めてもらって、私は浮かれていました。彼はその時の笑顔が素敵だったと言ってもらえました」
「あらあら、ご馳走様。本当に可愛らしい笑顔だったのでしょうね」
目の前の顔を赤らめながらも嬉しそうに微笑むクリスを見てフェリウスは思うのだった。
「そ、そうですか」照れ笑いする仕草も可愛らしい。「憧れの先輩に褒められて、舞い上がってしまって、そのあとはろくに話が出来なかったことが、当時は悔やまれました。接点はそれだけだったので」
「あらあら」
それ以降は男女の学び舎が違いすれ違っていた。
食堂で見かけることはあっても、それぞれ友達どうしでテーブルを共にして食べていたので声は掛けられない。
「テミッドさんはすぐ卒業でしたから」
「それならクリスは卒業式には何もしなかったの?」
「お祝いの言葉くらい言いたかったのですが、裏方の仕事を任されてしまって私は何もできませんでした。テミッドさんも告白するつもりだったらしくて、私を探してくれていたようなのですが、見つけられなかったと言っていました」
「すれ違いだったのね。でもマルダ支店で一緒になったのよね?」
「ジプコに就職した人がいるというのは聞いていましたが、テミッドさんだって知らなかったし、私もジプコに採用されるなんて思ってもいなかったので、顔を合わせた時にはお互いにビックリしていました」
「運命だったのかしらね」フェリウスはクスリと笑う。
「と、どうでしょう。私は目的とかそういったものはなくて、度胸試しみたいな感じで、大手企業を受けてみただけでしたから」
「でも、それでジプコに採用されたのですから、なにかしらクリスは持っているのかもしれませんね」
「それはありえませんよ」
「五年マルダ支社にいたのよね? その彼氏とは何もなかったの?」
「テミッドさんは色々とアプローチしようとしていたみたいです」
「クリスは?」
「憧れてはいましたけれど、なんか自分に自信が無くて……それに仕事を覚えるのも大変でしたから」
「お互いに要領が悪かったのね」
その言葉に思わず頷いてしまうクリスだった。
「テミッドさん曰く私をデートに誘おうとしても誰かの邪魔が入ってしまいグループでの行動になってしまったりしていたらしいです」確かに思い返すと支社の若手で毎年何度か遊園地とか山や海に遊びに行ったことがあった。「個人的に食事に誘おうとしても仕事が入ったり、逆に私の方が仕事で忙しかったりしていてうまくいなかったと言っていました」
「コメディですか?」
フェリウスは、クリスが指折り数えながら、テミッドが話してくれた失敗談を聞いていた。
「い、いえ、先輩は必死だったようでした」
「それだけ何かしようとしていたのにクリスは気付かなかったの?」
「す、すいません。私も鈍かったのか周りの目線ばかり気にしていて、本当に気付いていなくて、申し訳なかったと思います」
「彼も大変だったのね」フェリウスは苦笑するしかなかった。こめかみを押さてしまいそうになったが。
コメディドラマかラブコメ小説を読んでいる感覚になってしまう。
当事者たちはそんなつもりはなったのだろうけれど、不憫でならなかった。
「それで私はジプコ本社に異動になりましたから、かなり落ち込んでいたらしいです」
そこで支社の人達はテミッドの想いに気付いたようだったらしい。
「そして帰省した時、再会したと」
「あれは偶然だったんです。本当ですよ」
「彼は変わったクリスを見て驚いていたのでは?」
「そのようです。自分では分かりませんでしたが、友人にもあか抜けたとか、雰囲気が変わったって言われまくりました」
「あなたは、本当に変わりましたよ。自信を持って下さい」
「なんかテミッドさんも焦ったようで、私に恋人が出来たのではと思ったりしていたようです」
「心配になって、それで一足飛びにプロポーズですか?」
「そうだったようです。何も変わっていないのに」
「クリスの魅力に最初から気付いた人です。良い方と巡り合えていたのですから、良かったではありませんか」
「そうですか?」クリスは照れていた。
「私もその場に居合わせたかっですね」
「は、恥ずかしいです。勘弁して下さい」
「自慢の弟子ですからその場でお祝いしたかったですね」きっと幸せな顔をしていたことでしょう。
クリスとしては茫然自失で慌て果てていた自分を見せたくはなかったようであるが。
「し、師匠!」感極まっている。
「私にはそのような経験がありませんから、だからこそ根掘り葉掘り聞かせてくださいね」真っ赤になったり困惑するクリスをフェリウスは楽しそうに見つめる。「これも心の栄養になります」
「え、栄養?」
「そうです。生きていく上で大切な力になってくれます。本当にクリス。おめでとう」
「ありがとうございます」
「大切にしてください。その心と想いを」
その言葉の意味をクリスは理解できた。今回の帰省では家族や友人からたくさんのことを知ることが出来たのであるから。
その時その時のクリスには、自分自身の意志は無かった。ただ考えないように疎まれ揶揄われている自分を顧みないようにしていただけだし、嫌なことからの逃避みたいな感覚だったはずだ。気付かないように、見ないようにしていただけだった。
みんなが思ってくれていたのに、ただのバカだ。
何故気付かなかったのだろうと思えるほどに、身近なところにそれはあった。
今、フェリウスが見ているのは、それをクリスは知ることが出来たからこそできる尊い最上の笑みだった。
「はい。私の宝物になりました」
〈十三話了 次へ続く〉




