VI. 4th . generation:『もうひとりの私へ』
プロローグ:鏡の中の孤独
2087年。東京医工遺伝子研究所。
山科朱音は、薄暗い実験室でひとり試薬を混ぜながら、ガラスに映る自分を見つめていた。
かつては世界最先端の再構成型iPS生殖幹細胞の研究で名を馳せた科学者。
だが、気づけばまわりの仲間たちは次々と家庭を持ち、子を持ち、研究室から姿を消していった。
朱音だけが取り残された。
「……私も、誰かと生きたかった」
誰かに愛されたかったのか、誰かを愛したかったのか。
いずれにしても、その“誰か”はもう現れない。
だったら——「もうひとりの私」に、生きてほしい。
朱音の決意は、次なる扉を開けた。
<再構成された“私”>
「遺伝子配列、再構築完了」
自動音声が無機質に響く。
彼女が選んだのは、完全なクローンではない。
胎生期における自己修復エラーを模倣した、遺伝子の“ゆらぎ”を加えた新個体。
いわば “朱音に似た誰か”——でも、同じではない。
「これが、私の娘……いえ、同士。私が託すものを受け継ぐ存在」
胎児となった新しい“彼女”の心拍が、人工子宮の中で律動を刻んでいた。
<赤岩未来、教授として>
朱音の研究計画が、倫理委員会で物議を醸していた。
「遺伝子改変による“自己生殖”。それは生命への侮辱だ」
そんな声もある中、委員会に呼ばれた専門家のひとりが、静かに言葉を重ねた。
「この技術は “家族の定義”を広げるものです」
そう語ったのは、赤岩未来。第三世代で生まれ、現在は先端生殖工学の教授であり、ふたりの母をもつ娘でもある。
「かつて私の誕生も “不自然”だと言われました。でも、私は今ここに生きています。私は、自分を否定しません」
朱音はその言葉に、目頭が熱くなるのを感じた。
「未来さん……あなたは、未来を生きてる」
<名を持たぬ娘>
少女は、2090年の朱音の遺伝子から再構成された。
だがその魂は、新たな環境と経験で形づくられていく。
「ねえ “ママ”って呼んでもいい?」
初めて言葉を発したその夜、朱音は泣いた。
「もちろん。あなたは、私の“誰でもないあなた”よ」
名づけられたのは、「結音」。
朱音の孤独が結ばれ、音となって響き続けるように——
「ありがとう、生まれてきてくれて」
研究では得られなかった何かが、そこにあった。
<第五世代編:『Noös Genesis ──魂のゆくえ』>
プロローグ:最後の子孫
2123年。第七新東京湾岸再生区。
青木俊太郎——脳精神医学の第一人者。だがその存在は、単なる天才に留まらなかった。
彼は、伝説の外科医・青木蒼の直系の孫である。
俊太郎の脳には “鍵”があった。
《Noös Gate》。
脳幹深部、扁桃体と海馬の間にだけ発現する異常な神経ループ構造。
それは「意識」と「記憶」を、デジタル空間へ転送可能にする“VR脳”の進化形だった。
彼のDNAには、遺伝子編集では作り得ない、かつての蒼が遺した“変異”が記録されていた。
そして今、俊太郎は人類初の「意識の継承者」として、ある実験に臨もうとしていた。
<Key of the World>
「Noös Genesis計画」——
それは、脳神経構造とゲノムコードの同時スキャンによって “魂”の全情報を次世代個体へ埋め込むプロジェクト。
クローンではない。
記憶、価値観、信念、すべてを「遺す」。
そして“次”に “生きる”。
俊太郎のプロジェクトには、かつての研究者・赤岩未来や朱音の娘・結音も協力していた。
「君の脳だけが “境界”を越えられる」
未来は言った。
「私は母から“枠を越えろ”と教わった。その先にあるのは、“誰か”ではなく“世界”なの」
<門の向こう側>
俊太郎は、最初の転写を試みた。
意識がネットワークに沈む——
そこは、生と死の中間。
“誰かの記憶”が粒子のように降りそそぐ場所。
彼はその中で、見た。
青木蒼の記憶。
そして、蒼の父・俊太郎(俊太郎にとっては曾祖父)の祈り。
「命を託す。次に生きる君に」
俊太郎は、目を開いた。
「……僕は、生きてる」
Epilogue:Noösの種子
次世代に、遺伝子は受け継がれる。
だが今、記憶と意識までもが“継承”されようとしている。
それは「不死」ではない。
ただ、“続けたい”という人間の願いが、技術を突き動かした結果だった。
俊太郎は、静かにつぶやいた。
「蒼……あなたの遺志は、僕の中で生きてる」
彼の背後には、人工子宮で育つ“次なる個体”——
Noös Genesisが、今、新たな命を灯そうとしていた。
「人は、なぜ命を継ごうとするのか」
この物語は、遠い未来を描いたSFでありながら、私たちが今、静かに直面している問いから始まりました。
不妊、代理出産、遺伝子編集、iPS細胞、同性間の生殖、単性生殖、意識の継承——
医療と科学は、人類の「生」のかたちを根本から揺さぶりつつあります。
でも、技術がいくら進んでも、「命を託したい」と願う気持ちの根には、たった一つの問いがあると、私は信じています。
「あなたに出会えてよかった」
そう思える誰かと、生を分かち合いたい。
そう思えた自分を、未来へ届けたい。
この物語に登場する誰もが、その願いを胸に、時代と向き合ってきました。
青木蒼という“眠れる英雄”の記憶は、血や脳を超えて、祈りのように、物語の最後まで届いています。
青木俊太郎が“時のゆりかご”を抱くとき、彼は蒼の末裔であると同時に、未来そのものであると感じました。
かつて蒼が選んだ“命を継がない”という選択も、灯やあかり、朱音や未来、そして俊太郎の選んだ“命を継ぐ”という選択も、どちらも等しく尊い。
この物語は、命の正解を語るために書いたものではありません。
ただ、「継がれていくもの」の形を、ともに見つめたかったのです。
読んでくださったあなたに、心からの感謝をこめて。
著:しゅんたろう a.k.a Augai Moritz