II. 1st. Generation Who is my Mom? "母はだれ?”
ヨハネによる福音書 1:1-3
初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
この方は、初めに神とともにおられた。
“すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。”
Prologue
秋の午後、東京郊外の一軒家。
柔らかな陽差しがレースのカーテン越しに差し込み、キッチンに置かれた体温計が微かに揺れていた。
「今回も……ダメだった 」
柊美鈴は、小さく息をついた。結婚して八年。流産を三度。タイミング療法も、排卵誘発も、人工授精も、すでに試せるものは全て試した。彼女の子宮は、生き物を“宿せない器”なのかもしれないと、もう何度も思った。
「次の体外……どうする?」
夫の満が、低い声で尋ねる。
「三回目よ。もう、貯金も……」
「お金はどうにかなるよ」
彼はそう言ったが、現実は厳しかった。
民間のクリニックに支払う費用は回を重ねるごとに増え、成功率は下がっていく。35歳を過ぎた美鈴の卵子は、医師の言葉を借りれば「成熟と変性の綱渡り」だった。
ふたりは、“命を得る”ために何を差し出せるかを毎日問われていた。
都内の生殖医療専門クリニック。
白衣の若い医師が、タブレットを指差しながら言った。
「ご主人の精子は問題ありません。美鈴さんの卵子も、培養下では一定の成熟率を保っています。ただ……子宮内膜の反応性が低く、受精卵の着床は困難と考えられます」
「……じゃあ、どうすれば?」
美鈴が食い下がるように訊いた。
「ひとつの方法として、代理母を使う選択肢があります。日本では法律が未整備ですが、渡航治療も含めれば可能性はあります」
「他人に産んでもらうってことですか……?」
美鈴の声は震えていた。
“母になる”ということが、遺伝か、出産か、育てることか——彼女の中でその境界が崩れていく。
数か月後、彼らはカリフォルニアの医療機関を通じて、代理母出産の手続きに入る。提供卵子ではなく、美鈴の卵子と満の精子を用いた受精卵を、代理母の子宮へ移植する形で。
遠くの誰かの体内で育つ“我が子”。
初めて胎動の映像を見た日、美鈴は静かに泣いた。
数年後——子どもの疑問
「ママ、私、どこからきたの?」
幼い娘、灯の無邪気な声。
その問いは、美鈴の胸の深くに、針のように刺さった。
「……ママのお腹じゃないけど、ママの心から生まれたの」
美鈴は、そう答えるのが精一杯だった。
—
しかし、灯が10歳を迎えたとき——
彼女は、出生証明に記された「母の名」が、美鈴でないことに気づく。
「ねえママ、”Luna Williams”って誰?」
家族とは何か。母とは何か。
そして、子は“誰の人生”を生きるのか。
灯が13歳になった冬、美鈴は彼女の部屋でふとした拍子に、一冊のノートを見つけた。
そこには、整った文字でこう書かれていた。
「“ママのお腹にはいなかった”ってことは、私は本当にママの子じゃないの?」
「私が生まれたってこと、誰が本当に“うれしい”って思ったんだろう」
「パパとママは、無理して私を好きでいようとしてるんじゃないか」
ページの端には、小さな手で描かれた胎児のスケッチがあった。そこには“Where was I from?”という文字が浮かんでいた。
美鈴は、その場にしゃがみ込んだ。
「私……ちゃんと、母親、だったのかな……」
その夜、満はソファに座って考え込んでいた。
美鈴が声をかける。
「ねえ……灯に、真実を話すべきかしら。“あの人”のことも……」
「あの人……代理母さん?」
「ええ……Luna。私たちのために命を懸けてくれた人」
しばらく沈黙が続いた後、満はポツリと言った。
「灯は、たぶん、もう知ってる。……何となく、だけどな。“家族”の中で、自分だけどこか別の地面に立ってるって、感じてるんだと思う」
高校1年の終わり、灯は意を決して母にこう言った。
「ママ、私、海外の大学に行きたいの。生殖医療……iPS細胞の研究ができるところに。私、将来、“自分で自分の存在に納得したい”」
「……自分で?」
「うん。私は、誰かに“作られた子”かもしれない。でもね、次の時代には、“自分自身が自分を生む”くらいの技術が来ると思うの。
私はそれを、見届けたい。できれば、自分の手でやってみたい」
美鈴は、娘の瞳の奥に、自分たち夫婦が命をかけて届けた“火”が、今、独自の炎として燃え始めているのを見た。
—
そして、灯は渡米し、最先端のiPS研究を学ぶ。
自身の皮膚細胞から卵子のもとになる細胞を誘導する実験に参加し、
「人は、遺伝的パートナーを持たずとも“次の世代”を繋げられるかもしれない」という新たな可能性に出会う。
第二世代の入口へ──
数年後。
灯はあるインタビューでこう語っていた。
「私は、母のお腹にいなかった。
でも、母の祈りの中で生まれた。
だから私は、誰かの“祈り”から命が生まれる未来を、科学で支えたい」
「いつか、自分の細胞から卵子と精子を作って“子を持つ”ことができるなら、私はそれを否定しない。
なぜなら私は“普通じゃない愛”で生まれて、“普通じゃない希望”を信じてきたから」
この言葉が、次の時代――第2世代「自己由来の生殖技術の時代」へとつながっていく。