I.Prologue 愛のカタチ、その先へ
人はなぜ、子を望むのか。
それは本能か、愛情か、それとも“繋がり”という幻想か。
私たち医療者は、生命の始まりと終わりを、日々の営みとして見つめている。
母体の内で生まれゆく心拍。
その律動が止まり、静かに別れのときが訪れる現場。
生殖医療の技術革新に立ち会いながらも、なお感じるのは、人間という存在の不確かさ、儚さ、そして執拗なまでの希望だ。
いま私たちは、「多様性」という名の下に、価値観の大きな転換点に立たされている。同性婚、夫婦別姓、LGBT、トランスジェンダー、アロマンティックやノンバイナリー…。人間の「愛」や「性」は、もはや単純な男と女、父と母といった枠組みに収まりきらない。
だが時に思う。生物としてのヒトという種にとって、これらの現象は“異常”なのではないか? 繁殖という観点から見れば、同性愛にせよ、単為生殖に近いiPS生殖にせよ、自然界の多くの種が持つ「本能」とは明らかに異なる。
けれどそれこそが、「人間」という生物の特異性なのだとも思う。
ヒトは他の種よりもはるかに大脳を発達させ、「本能」を超えて「概念」を育てた。個としての尊厳。選択の自由。倫理、宗教、法といった“枷”さえも、自ら生み出し、自ら破っていく存在だ。
そして今や、科学技術は「愛」や「生殖」という、最も根源的な営みすら書き換えようとしている。
人は神に近づいているのだろうか。それとも、神を必要としない存在になろうとしているのだろうか。
自然界では淘汰されるはずの“異常”を、ヒトは知性と技術で包み込み、社会の中に位置づける。
それは本能の超克か、それとも神への冒涜か。
愛のかたちは、遺伝子の論理すら飛び越えて、いま新たな地平へと向かおうとしている。
私は、いたって「ノーマル」な人間だと自認している。
だが、今の世の中で「ノーマル」などと口にした瞬間に、どこかで誰かが眉をひそめる。そんな空気があることも、肌で感じている。
医療の現場に立てば立つほど、その“ノーマル”の輪郭が、いかに脆く、恣意的なものであるかも思い知らされる。
それは制度であり、文化であり、時代の産物にすぎないのかもしれない。
いま、私たちは一つの岐路に立っている。
倫理という名の土壌はゆらぎ、宗教という古の灯はかすみ、法は後ろから技術に追いすがっている。
そして、何よりも“愛”がその意味を問われている。
本作は、人が人を求めるという、あまりに当たり前で、あまりに複雑な衝動を出発点とする。
それはやがて、「生殖」という、命の最も奥深い領域へと踏み込んでいく。
たとえ血が繋がらなくても。
たとえ性が一致しなくても。
たとえ、そこに“身体”すら存在しなくても――
人は、誰かを「愛したい」と願う。
その願いが、人間の進化の鍵となるなら。
私はその物語を、医学の言葉で、文学の光で、描いてみたいと思った。
それはきっと、科学と感情、倫理と技術、そして個人と社会のあいだで引き裂かれる人間の物語になるはずだ。
”未来”は見えない。
「愛」はかたちを変えながらも、なお、生き続けるのだろうか?
それとも、かたちを失うことで、新たな存在へと進化するのだろうか?
その答えを探すために、私はこの物語を書き始めた。
――さまざまな愛のかたち、その向こうに