八六七の春8
ある日私は、担任の安川先生から呼び出しを食らいました。職員室の扉を開けて、お目当てのデスクまで歩いて行きます。私のことを見つけると、安川先生は上質な素材の紙切れを手渡しました。
「あなたに、これを渡したくて」
「……これは?」
「私が献血を100回受けた表彰状です」
いりません、という言葉をすんでのところで飲み込み、オブラートに包んで吐き出しました。
「大事なものでしょう。受け取れません」
「いえ、実はもうすぐ200回を突破するので、また表彰状をもらえるみたいなんですよ。なのでそれは松下さんにあげます」
「…………」
「松下さん、お話があるんですけど」
「はい」
「君は高校から、標準コースでやっていくことをどう思いますか?」
雷に打たれたような衝撃でした。私は震えながら声を絞り出しました。
「……嫌です」
「…………」
天王星学園には英数コースと標準コースがあります。それは中学受験の入試の成績で割り振られます。私は小学生の時は賢かったので、中学のクラス分けは英数コースで合格しました。だけど高校からは、標準クラスに落ちると。安川先生の話が信じられませんでした。
「松下さんは、大きくなったらどんな大人になりたいですか」
「お医者さんです」
「……なるほど」
「え……?」
私が「お医者さんになりたい」と言うと、大人はみんな褒めて喜んでくれましたが、安川先生は違いました。急に不安になりました。私の妄信してきた価値って、何なのでしょう?お医者さんになればお金にも困りませんし、世間の誰からも認めてもらえます。何よりお父さんとお母さんの自慢の子どもになれます。そしてその進路は、天王星学園に合格した時点で、ほぼ確約されていました。金縛りなんて変なことにさえならなければ、私は十分に賢かった。お医者さんになれば幸せになれます。きっと間違いありません。
でも私のお父さんもお母さんもエリートで美形で、世間を相手にマウントを取れる価値をたくさん所有していますが、全然幸せそうじゃありません。お父さんとお母さんは、バブルの時代に青春を謳歌した世代ですから、基本理念が俺TUEEEEEEE(私はこの単語をネトゲ廃人になった時に覚えました)です。そしてその世代を親に持つ私は、当然のように「強くあること」を強要されて生きてきました。染まりやすい自分には気付かないまま、世間から染められ続けて。世間から植え付けられた価値観によって、自分を裁いて傷つけて、他人のことも裁いて傷つけて。大人を恨んだ時期もありました。けれど私のお父さんとお母さんもまた被害者でした。強くあることや世間からはみ出さないこと、誰かに勝利すること──それが正しいって世間から刷り込まれて、その通りのことをしただけなのですから。安川先生は続けました。
「私は小さい頃に、妹を亡くしてるんです」
「…………」
それはひょっとすると、安川先生が200回近く献血をしている理由と関係があるのかもしれません。「私だけじゃない」──そんな事実は、気落ちしていた私の心を、少しだけ和らげました。どん底の学生時代を振り返った時、彼女の存在は確かに私の心を温めます。彼女はオーストラリアに旦那さんと子供を置いて、単身赴任で日本に来ていたため、そもそもの価値観が最初から異なっていました。常子先生は生徒ウケ抜群でした。私もみんなと同じように、そんな彼女のことを愛していました。私にとっての安川常子先生は、八九四先生や五一先生と同じ側の人間──〈世間の常識〉で裁かずに、〈己の価値観〉によって、私を〈対等な人間〉として扱ってくれる大人でした。その有り難みに気付けるようになったのは、卒業して会わなくなってからのことだけれど。
***
中学の卒業式の日。高校のクラス分けの結果が入った封筒を、私はその場で開けずにこっそり鞄にしまいました。お家に帰ってから、一人で確認するつもりでした。だけどたまたま帰り道が一緒になった友人に封筒を奪われ、「光に透かすと中の紙が見える」と言って、結果を覗かれてしまいます。三つ編ヘアの友人は、目を眇めながら封筒を太陽に当てると「あ……」と呟いたきり、気まずそうに黙りました。私はそんな彼女の反応で、全てを悟りました。──高校からの私は、標準コース。
私は別に、その友人のことが嫌いではありませんでした。普通に善良な、普通に優しい、普通の女の子。当時の私は、そんな普通の人から受ける普通の仕打ちに、いつも傷ついていました。普通の人がする普通のことが全く出来ない私は、普通の人がする普通のことが、すごく怖かったです。
この時強烈に培われたコンプレックスは、のちに一人暮らしをする時になるまで続き、私を苦しめました。けれど、今の私には断言出来ます。神さまは、その人が〈幸せになるために必要なモノ〉は全て与えるけれど、不要なモノは一切与えません。つまるところ〈高学歴〉は、私にはいらないものだった。私が生まれてくる前に決めてきた〈魂の道〉を歩むために、いらないものだったんだ。それどころか、お荷物になるようなシロモノだった。だから、生前の私が私の魂に誓った約束──〈ずっと先の未来〉を知っている三四は、〈目先の報酬〉をあえて与えなかったのでした。この時の私が欲しくて欲しくてたまらなかったもの。のちにガラクタなんだと気付く、宝物のような見栄えをしたそれを、この日、三四は焼いて捨てました。〈私の考える最善〉と、〈三四の考える最善〉は違います。正解は多分絶対に、後者です。結論から言えば、私はクラス分けで落ちてよかったです。出会うべき人に出会うための最も良い道を、私はいつだって三四から与えられているのでした。本心からそう理解するのは、まだまだ先のことですけれど。