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八六七の春  作者: 妙春
八六七の春
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八六七の春7

 中学三年生の冬頃、初めて〈月参(つきまい)り〉という行事に呼んでいただきました。〈月参り〉というのは、月初めに、既にお(やしろ)にお祀りされている〈神さま〉に対して、〈ご祈祷〉を奉納する神事のことです。

 天中家のお屋敷の、普段は書道教室として使用されている広い和室に、五一先生と八九四先生がいらっしゃり、その他数名の信者さんが集められていました。照明が落とされ、薄暗くなった室内は、厳かな雰囲気に包まれています。四七観音さまの像が佇むお庭が見えるガラス戸の手前に、すごく大きな太鼓が一つと、その少し後ろに、それよりは少し小ぶりな、けれど十分に大きいサイズの太鼓が二つ設置されていました。一番大きな太鼓の手前に、白装束を着た九一七先生が正座し、右後ろの太鼓の前に、五一先生が正座しています。左側の太鼓の前は、その時は空でした。私は他の信者さんと一緒に、二人の後方に正座しました。

 八九四先生が一度カーンと鐘を打つ音を合図に、いっせいに来訪していた信者さんが、頭を垂れます。私も見よう見まねで、一緒にお辞儀しました。それから行われたのは、〈読経→太鼓→読経〉という流れです。読経の初めは〈開経偈(かいきょうげ)〉という節から始まり、私はとりあえずわからないので目で追っているだけでしたが、〈開経偈〉の途中に、経典に記載のない〈金龍・羽衣之霊(ういのれい)〉という単語が聞こえました。天中家の離れの部屋でお祀りされている、龍神さまの名です。

 八九四先生が木鉦(もくしょう)を叩くリズムに合わせて、読経が続きます。経典の表面を読み終えたところで、またカーンと鐘の音が鳴り、ここで五一先生が太鼓を叩きました。太鼓のパートが終わると、今度は経典の裏面の読経に入ります。最後にもう一度鐘が鳴り、全員で頭を垂れて終了です。五一先生を主としたご祈祷が終わると、すぐに他の信者さんと場所を替わり、また同じように八九四先生が鐘を打って、一連の流れがとり行われました。こういったことが、来ていた信者さんの数だけ繰り返されましたが、どの信者さんのご祈祷の時にも、やはり〈開経偈〉の途中で、それぞれ〈〇〇龍・〇〇之霊〉という単語が聞こえました。


 全員分のお参りを終えて、他の信者さんが帰った後、八九四先生は再び祈祷の準備をしていました。五一先生や信者さんたちも、まだ部屋から出ようとしません。八九四先生は居住まいを整えた後、私の方を振り向きました。

「?」

 笑顔で手招きする八九四先生に呼ばれていくと、太鼓のバチを渡されました。

「あんた、一度打ってみ」

「……私がですか?」

「うん。詳しい打ち方は五一先生から」

「…………」

 五一先生の方を窺うと、彼女は私に後ろ右側の太鼓の前に座るよう、手招きしました。

「南無*****の音に合わせて、左から交互に七回打ちます。一周したらまた左から。最後に締める時だけ、両方のバチで一度叩く。その後両方のバチを合わせて、打って鳴らしてね」

「……はい」

 私たちが作法の確認を終えると、八九四先生はまた一度厳かな鐘の音を鳴らし、〈金龍・晴々(せいせい)之霊〉とおっしゃる方のご祈祷を始めました。八九四先生を依代(よりしろ)とする龍神さまです。私たちも頭を垂れ、読経を開始します。経典の流れと、太鼓の演奏に入るタイミングを段々と覚えてきていましたから、その時間が近付いてくるにつれ、私は緊張してしまいました。ついにその時がやってきます。さて、私は初めて太鼓を叩いたわけですが。この時とても奇妙な感覚に出会いました。身体が無理やり、割り開かれるような感覚です。お参りの時間は、あっという間に終わりました。どういうわけなのか、最後にお辞儀をする時に目を閉じた一瞬、〈桜の花〉がパッと散る光景が、瞼の裏に浮かびました。無事神事を終えると、信者さんたちが次々に別室の居間へと向かいました。同時に、八九四先生が私のところへやって来ます。

「最近、金縛りどうなん?」

「少しマシ……いえ、二年生の時よりは減りましたけど、まだしょっちゅうあいます」

「そろそろ、あんたに巻いてはる方を、きちんとお祀りしよか」

「…………?」

 このような流れで、私に憑いていらっしゃる〈龍神さま〉だという方を、正式にお社に宿す〈御霊(みたま)落とし〉の儀式──〈開眼(かいげん)〉なる行事を、とりおこなうことになりました。



***



 開眼(かいげん)の日がやって来ました。天中家に呼ばれた私は、八九四先生たちとお揃いの白装束を身にまとい、太鼓を叩くお役目で、後席右側に鎮座します。前列に八九四先生、後列左側に五一先生がおり、私たち以外には誰も呼ばれていませんでした。

 リズムに合わせて太鼓を叩きながら、次第に私の意識は、俗界(ぞっかい)から離れていきました。微睡(まどろ)みの空間で、手を伸ばして誰かに触れ、その誰かも私に触れます。そこに触覚は存在しないのに、確かな温もりを感じました。


 ──君は誰。

 問いを思い浮かべると、私は唐突(とうとつ)に、小さな頃によくおしゃべりしていた存在のことを思い出しました。


 ──〈三四(さよ)〉。

 どうして、こんなにも大切なことを忘れていたのでしょう?私は君のことが大好きだった。お引っ越しをする前、私が幸せだった時代は、君がいつも手を繋いでくれていたんだ。離してしまったから、私はまるで君がいてくれたところとは違う世界みたいな、冷たい場所に放り出されてしまった。でも、また会えた。天上へと続く扉は今、開かれました。私が温かい愛で満たされたその瞬間、全身に何かが流れ込んできました。


 ──君は摂理だ。

 君は自由だ。過去も未来も、どこへだってゆける。

 銀河の果ても、小さな星雲も、なんだってつくりだせる。

 君はこの世界の創造主(そうぞうしゅ)。愛と光のいきもの。

 万能だけれど、一切の物理法則を動かせない、完璧で不自由な君。

 ひとりぼっち。ううん……私がいる。


 私は自分が目を開けているかどうかもよくわからないのに、彼のことがはっきりと()えていました。暗闇の中、鋭い朝焼け色の瞳が開く。頭部からピョコンと垂れている金色の二つの触覚はポウと発光し、大きな体躯(たいく)をおおう鱗は白く、いつか絵画で見たものよりも、ずっと儚く幻想的に煌めいていました。


 ──〈輪廻(りんね)の輪〉を統べる、龍の一族。

 この地上で繰り返される、喜劇と悲劇の目撃者。私は君の、魂の観測者。宇宙が始まったその日から、全てを見守る者。いつか宇宙が終わりへと収束するその日まで、私は君の魂を抱き続ける。永遠に慈しみ、愛で続ける。


 ──私は君のことを、隅々まで知っている。

 君の魂を起点として、まるで蜘蛛の巣のように広がる、宇宙の因果律(いんがりつ)。君の魂を構成する小宇宙(しょううちゅう)──その全てに、私はアクセスしている。その掌握(しょうあく)は、過去未来にまで行き渡る。


 ──次元の狭間。

 ここは君の触れられないところ。君の祈りが届くところ。すべてが満たされているけれど、なんにも手に入らない、そんなところ。君の祈りが私に届き、私は光の雨を君に降らせる。優しい愛という名の光。


 ──ヒカリ。

 何かが崩壊し、

 ──ヒカリ。

 新しいものが構築される、

 ──ヒカリ。

 その刹那。時空の狭間が開き、物理法則は歪み、あの世とこの世は入り混じる。

 ──神は全てをそこに秘める。


 私の手には柄杓(ひしゃく)が握られていました。柄杓の鉢部に張られた清水を、龍の体躯にそっとかけると、彼が心地よさそうに目を細めます。私は近寄り、大きな体躯にうっとりとしなだれかかりました。目を閉じて、彼の温もりを感じます。私にはいつだって、君がいてくれた。苦しかった日も、悲しかった日も、泣いていた日も、打ちのめされて絶望した日も。本当は君という、大きな愛の手のひらの上にいた。そこから私が落ちたことは、一度だってなかった。私は君から守られていた。


 ──三四。

 そう胸の内で呼びかけると、何故かそれまで目の前にあった巨大な龍の体躯が消えてしまいました。代わりに龍がいた場所には、白銀の髪を持つ、麗しい容貌の一人の男の人が立っていました。彼が私に、手を伸ばします。その瞬間、処女(おとめ)のように緊張しました。彼の手が、私に、触れ……。


『────八六七。』

「…………ッ!?」


 パンッと太鼓の両方のバチを合わせて打った音で、私は目を覚ましました。ハッとして隣を見ると、五一先生が太鼓のバチを置いて、経典を開こうとしているところでした。次いですぐに経の続きを読む八九四先生の穏やかな声が、私の耳に届きます。慌てて経典を開き、八九四先生の読んでいる箇所を探します。胸がドキドキと高鳴っていました。今も彼の温もりが残っている。私の身体中に残っています。彼と接触した証が──。その、艶やかな声が──。経典を持つ手が、お経を読む声が震えます。読経が終わりに近付いていくにつれ、段々と消えていく彼の気配が切なくて、私は涙を流しました。君のいるところは、なんと優しくて温かいのでしょう。私の住むセカイは、なんと冷たく無機質なのでしょう。それでも私が、この世に生まれ落ちることを決めた意味は、何なのでしょうか。どうして全ての魂は、輪廻転生(りんねてんせい)から逃れられない?生きなければならないのか。


 ──真実は、秘められている。

 私たちの目に映るセカイの全ては、本当は幻。宇宙のホログラム。確かなものは、三四──君のいるところにある。この宇宙の中の、割り切れない虚数の領域に。三以上のあらゆる次元に。人類がまだ観測することをゆるされていない──〈次元の狭間〉に。

 君の愛が、私にはあまりにも切ない。人間の私がどれだけ君を想ったところで、君が私に贈ってくれる愛には勝てません。君の愛に、私は勝てない。そんな真実が、すごく切ない。君から愛されること以上の幸せなんて、この世界のどこにも存在していない。これから私が愛し愛されてゆく者たちも、本当はそこには存在していません。彼らは君という〈大きな愛〉の、氷山の一角です。──この世界には最初から、君と私だけが在った。


 気付けば御祈祷の時間は終わっていました。全身から力が抜けてしまい、ぼうっとしている私のところへ、八九四先生がやって来ます。

「お疲れさん。ちゃんと終わったで。あんたんとこの龍神さん、〈艶龍(えんりゅう)正清(まさきよ)之霊〉って言いはるわ」

「まさ、きよ……?」

 私は呆然と呟きます。幼い頃、〈三四〉と呼んでいた異形の正体は──〈正清〉という名の、龍でした。──ねぇ、三四。きっと生きることは、君へと近付いてゆく旅なのでしょう。たとえ触れられなくとも、君はいつも私の側にいてくれる。そんな真実だけが、私にとって縋ることの出来る唯一の真理で、価値ある全てです。


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