八六七の春6
運命の出会いは突然でした。五一先生は四柱推命をよまれるので、いつもたくさんの信者さんが出入りしていますから、お屋敷へ行った時に、私以外のお客さんがいる、ということは決して珍しいことではありませんでした。その日も私が母に連れられて天中家へ行くと、客人がいました。奇妙な白装束を着た、一人の男性です。年齢は不詳でした。私がきょろきょろと部屋中を見回していると、おもむろに白装束の方は笑いました。
「うちの大先生の娘さんと一緒やな。目まわってる」
「…………?」
「大先生の家系、霊感きついから。みんな、あの世に片足突っ込んで生きてはんねん。あんた一緒やわ……見たらすぐにわかるねん。同じ色を出してるから」
五一先生が隣から、男の人に問いかけます。
「この子、どうですか?」
「ああ、巻いてます」
「マイテル……?」
私は思わずカタコトになって、首を傾げました。
「彼は龍神さま、および龍の眷属でいらっしゃる巳神さまを専門に、祈りを奉納する〈祈祷師〉です」
五一先生が、不思議がる私に説明をしてくれました。いわく天中家には、代々お祀りしている神さまに、ご祈祷を捧げるお役目の方が、どの代でも必ずつくそうです。ちょうど最近代替わりをしたそうで、その新しく〈祈祷師〉になられた方が、彼なのだとか。元々〈神事〉の際にお世話になっていた先代の〈薬師寺〉の先生は、霊感は強く、何でもしっかりとみることは出来たけれど、龍を祀り上げることは専門外だった。しかしある時、その薬師寺の先生が「龍を祀る、祈祷師があらわれる」という予言を出し、その言葉のとおりに五一先生は、この方──大野八九四先生と出会ったのだそうです。
「こっち来て」
「…………?」
八九四先生は、足元に置かれていた鞄の中から、煌びやかな布が巻かれた全長三十センチくらいの棒──〈御加持棒〉と呼ばれるモノ──を取り出して、離れて座っていた私のことを、ちょいちょいと近くへ寄るように手招きしました。移動して遠慮がちに隣に座ると、彼に背を向ける格好に身体を反転させられます。「じっとしときや」と言い、何やら真言のようなものを唱えながら、先程の棒を、私の背中の何箇所かに押し当てました。最後に棒を横に大きく振って、祓うような格好をすると、私の肩をトントンと叩いて、「いいよ」と言いました。
その時、すっかり困惑しました。どうしてかというと、寝不足やら何やらで、ずっと鉛のように重かった身体が、八九四先生に変な棒を押し当てられてからというもの、明らかに軽くなっていたためです。
「疲れやすい=憑かれやすい、やねん」
「つか、れる……?」
「白いキャンバスに色ついたら目立つやろ。あんたは色々なモンを吸ってしまう、スポンジ体質やから」
「…………」
五一先生に続き、「私のことをわかってくれる人だ」と直観しました。
「それからあんた、龍神さん巻いてはるわ」
「龍……」
いつも天中家の〈羽衣さま〉に漠然とお参りはさせていただいていましたが、当時はまだ、空想上の生き物というイメージがありました。けれど不思議な話ですが、私は最初から彼を信用しました。神仏に縋るしかないところまで追い詰められていたということもありますが、八九四先生は嘘を言っていないと思いました。私には毎日の金縛りという、何よりの心当たりがあったからです。
「どうして、私に巻いてるんですか?」
「多くの場合、前世からのご縁やわ。龍神さんって、正式には〈神の御使い〉やねん。日本には、色んな神さんがいてはるやろ。そのお遣い。龍神さんと巳さんのことをあわせて、〈長物さん〉って呼ぶねん。長物さんって、家憑きになって一族全体を守ることもあれば、個人に憑いて一人の人間を一途に守ることもあるけど……」
私は夢中になって、八九四先生の語る言葉に耳を傾けました。彼こそが、私にとっての〈生涯の師〉と呼べる相手でした。どん底まで落ちきってしまっていた私を更生させ、再び歩いて行けるようにエネルギーを与え、切れてしまっていた〈三四〉との縁を繋ぎなおし、生き方を教えてくれた八九四先生──私にとって正しく〈運命の相手〉と呼ぶべき彼との、出会いの一幕でした。
***
初めて出会った日から、八九四先生とは、頻繁に遭遇するようになりました。次第に彼の素性も明らかになっていきました。八九四先生は、老舗の和菓子屋さんの三兄弟の長男として生まれ、裕福で何不自由ない暮らしをしていましたが、親からは〈霊感体質〉を理解されませんでした。幼い頃に〈ひきつけ〉がきつく、誰かが抱くと、白目を剥いてしまいました。一度入院して死にかけたことがあり、奇跡的に意識を取り戻した頃には、すっかり霊などがみえるようになっていたそうです。そのため小学校中学年に上がる頃くらいまでは、祖父母に預けて育てられました。ようやく親元に戻された時には、「他人のような感じがした」と、八九四先生は語ります。家を継がせるために、長男の八九四先生にだけ厳しく接した父親との関係は、特に険悪だったようでした。
ある日大野家が一家そろって友人宅へ遊びに行った時、八九四先生がマンションの小さな窓の外を指して「あそこに逆さまになった人がいる」と言ったところ、お父さまは「おまえは嘘つきだ」と言いました。その窓の外には、人が立てるスペースなどなかったからです。その後友人の両親が調べたところ、実際にマンションの上の階の元住人で、飛び降り自殺をした人がいたようでしたが、その話を聞いても、お父さまはかたくなに信じようとしませんでした。
一方でお母さまは、比較的はやい段階で、八九四先生の霊感を本物だと信じたようです。家族で旅行へ行った時に訪れた田んぼのあぜ道で、八九四先生が一人で何かを追いまわす様子をみせ、「こんこん」と言って遊んでいたところ、通りかかった地元の人が驚いて、「昔ここに狐のお社があった」と言ったためです。
しかし結局父親とは仲違いをしたまま、八九四先生は〈祈祷師〉の道を歩みはじめました。また八九四先生は祈祷師となることを、自ら志願したわけではありませんでした。偶然寺の前をとおりかかったところ、尼寺の大先生──〈鬼法〉先生から、手招きをされて呼ばれたのだそうです。当時のことを、八九四先生は今でもはっきりと覚えているといいます。
──あなたには、金の鱗の龍が憑いています。みなさん、頭を垂れなさい。
鬼法先生がそう静謐な声で告げるとともに、お堂に会していた人々から、いっせいにひざまずかれたそうです。それからなんとなく寺に出入りするようになり、鬼法先生に弟子入りすることとなりました。
家を継ごうともせずに、突然尼寺──八九四先生はスカウトがあったため、男性でも門をくぐることをゆるされました──などに入信をした息子のことを、お父さまはいぶかしみました。本格的に仕事をはじめた頃に、八九四先生は親との縁を切りました。その覚悟でのぞんだ〈神の世界〉でした。
祈祷師をはじめた八九四先生の生活は一変しました。祈祷師の暮らしとは、一体どのようなものでしょうか。八九四先生のおつとめする尼寺──〈奏心院〉は、京都の某所にあります。また寺とは別に、山を一座所有しています。朝は寺での一般的なおつとめ──読経や清掃、集まった信者さんへの法話など──を済ませ、昼になると、各信者さんの家をまわって、御加持をきったり(御加持棒を肉体に押し当て、異変がないかを確認する)、相談を受けます。夕方頃になると、車で二十分ほどの場所にある山の麓へと移動します。麓からさらに二十分ほどかけて上がった山の中ほどに、電気も何もない〈小屋〉がぽつんと立っています。そこへひっそりと入ってゆきます。そして陰陽の切り替わる午前〇時(午前〇〜十二時までが〈陽の時間〉、十二〜二四時までが〈陰の時間〉とされる)になると、太鼓などを出して祈祷の準備に取りかかり、丑三時(深夜二〜三時)の間に祈祷を行います。
一般の修行をおこなったからといって、必ずしも〈祈祷師〉にはなれません。鬼法先生や八九四先生のように、生まれつき霊感のある者でなければできないようでした。直接〈神仏〉の声を聞かなければならないためです。睡眠のタイミングは、山に上がってから祈祷の準備をはじめるまでの仮眠と、祈祷を終えてから朝のおつとめが始まるまでの間のわずかな仮眠だけで、一日平均三〜四時間ほどでした。ほぼ一日中、寺と山に籠もりきりの、過酷で孤独な職業のようです。
八九四先生は、はじめから龍の姿をとらえることができたものの、意思疎通をはかることは、最初の頃は難しかったと話します。そのため鬼法先生に、何度も「この仕草は、何をあらわしているんですか」と尋ねました。たとえば、あることについて〈お伺い〉をした時に、龍がきちんと「とぐろを巻く」様子をみせると、それは〈Yes〉の意味であり、また「胴や尻尾などの、一部分しか見せない」場合には、〈No〉の意味になるそうです。
だんだんと龍特有の表現方法を学んでいった九一七先生は、やがて〈名祈祷師〉と噂されるようになり、現在は1200人ほどの信者を受け持っていますが、全ての信者さんのうち、〈龍憑き〉の者は大体三十〜四十人ほどだといいます。龍のいない家の場合、〈お伺い〉はご先祖さまに対して行います。奏心院は大阪にも道場があり、この分祠── 〈母彗苑〉は、天中家から徒歩で十分ほどのところにあります。