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八六七の春  作者: 妙春
八六七の春
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八六七の春2

 とはいえ中学一年生の時に私の身に起こった〈金縛り体験〉は、これが最初で最後でした。寝不足明けのテストは散々な結果でしたが、お母さんからも一度は大目に見てもらえました。私はホラー現象のことなど忘却(ぼうきゃく)の彼方へ追いやり、束の間の平和な日々を取り戻していました。けれどもうすぐ夏休みに入ろうかというある頃。これまで順調だった学園生活──クラスでは一軍所属の人気者だった私の交友関係に、暗雲(あんうん)が垂れ込めます。


 それは一通のメールがきっかけでした。私が中学生の頃はまだガラケー全盛期でSNSも発達していなかったため、友人との連絡手段はもっぱらメールでした。ある時、友人の一人からこんなメールをもらいます。

『いつもきついこと言われてるの、傷つかない?』

 私は「? ? ?」となりました。なぜなら、身に覚えがなかったからです。後になって振り返ると、当時の私は〈イジられキャラ〉というやつだったらしいのですが、自覚は全くありませんでした。この時の私にはまだ、他人からの悪意をはね除ける力が備わっていて、誰かからの些細な一言で傷つくということはなかったのです。そのバリアは、大人になるにつれて失われていくこととなったけれど。当時はまだ、子どもらしい強さに守られていました。だから友人が何を言っているのかわからず、私は「全然!むしろ楽しいよ」とお返事をしました。ほんの数行の短いやり取りが、運命を狂わせる。私も、きっとメールをくれた彼女──モコちゃん──も決して悪くはない。だけど些細なすれ違いが、私のどん底の中学生活を決定付けました。ゆっくり、ゆっくり。私はまたスロープを下って行きました。


 このメールの翌日から、モコちゃんの様子はおかしくなりました。会うなり急に「部活の先輩に会った時、ちゃんと挨拶しなよ。先輩たちが、八六七ちゃんは無視するって噂してる」と怒られてしまいます。私とモコちゃんは、同じバトン部に所属しています。私は先輩への挨拶は、きちんとしているはずです。でもそういえば最近視力が悪くなってきて、だけど眼鏡をかけるのは格好悪いと思っていたから、そのまま裸眼で過ごしていました。廊下ですれ違った時に、先輩の顔が見えなかった可能性があります。

 私が「ごめん」と言うと、引き下がったモコちゃんの後ろ姿を見送り、泣きたいのを我慢しました。多分モコちゃんは私のためを思って言ってくれていた。でも幼かった私には、そんな彼女の気持ちは理解出来ませんでした。ただ「モコちゃんにきついことを言われた」という印象だけが、私の中に残ります。その日は一日中悲しい気持ちのまま過ごしました。

 放課後の部活へ行くまでの、わずかな空き時間。私はモコちゃんを含めたクラスのバトン部の子たちと一緒に、たわいないひと時を過ごしていました。顔は笑えていたと思うけれど、心は晴れていなかったから、敏感な人には、私の状態はわかってしまったのでしょう。浮かない様子の私を気遣って、ユカちゃんが私のことを構おうとしました。話の途中で突然ユカちゃんに携帯のカメラを向けられ、「八六七、こっち向いて」と言われた時、ついに涙が(せき)を切って溢れました。

 私が泣き始めると、ユカちゃんはカメラを下げて「今日ずっと様子おかしかったから」と言い、私の隣に陣取ります。「誰かにひどいことされたの?誰?」と詰め寄る彼女に、私は俯くしかありませんでした。

 ユカちゃんは美人で、クラスの一軍の中でもリーダー的な存在で、誰も彼女には逆らえません。強くて面白くて、私にはいつも優しかったけれど、たまにいじめを引き起こす子でした。私は頑なに口を割りませんでした。モコちゃんを悪者にすることを、咎める気持ちがありました。部活へ行く時間になっても、ユカちゃんとモコちゃんだけは、私の元から離れようとせず、「いじめたのは誰だ」とずっと問い詰められました。

 そのうち、誰かが呼んだらしい部活の先輩がやってきます。先輩は「口で言うのが辛いなら」と、クラス名簿を片手に順番に上からクラスメイトの名前を指さして、「該当者(がいとうしゃ)がいれば首を縦に振るように」と私に指示を出しました。先輩がモコちゃんのところに指をさしても、私は必死で首を振りました。結局犯人の名前を、誰かに打ち明けることはありませんでした。

 この一件以来、私とバトン部の子たち──つまりモコちゃんを含めたクラスの一軍の子たちと、私の間には溝が出来ました。モコちゃんからの「そんなに信用出来ないのか」という、無言の圧力が私に押しかかります。彼女は本当に私を泣かせた犯人の心当たりなんて、なかったのだと思います。私はなんと言えばよかったのでしょう。今でもこの複雑な想いを、上手に説明出来る気はしません。君のせいだと言えばよかった?君は何も悪くないのに?私は、君を悪者にすることは出来なかった。だって真実として、君は悪くなかったのだから。


 それからもモコちゃんの私への当たりは、きつくなる一方でした。ある時生徒が一人ずつ順番に、担任の安川常子(やすかわつねこ)先生と面談をするという機会がありました。その面談でモコちゃんは「特定の子だけにきつく当たるのをやめなさい」と常子先生から諭されたそうです。それでモコちゃんは、 常子先生が言っているのは、私との関係のことだと思ったらしく、面談後に「お前のせいで怒られた!」と私に怒りました。

 常子先生は、これからどんどん落ちぶれていく私の学生生活の中で、とても貴重な存在──六年間変わらず味方でいてくれた、数少ない大人の一人となった先生です。常子先生は夏休みの保護者面談で、私のお母さんに「松下さんのような子は、私は大好きなんです。でもああいう純粋な子は、うちみたいなスパルタ校は合わないかもしれません。転校も視野に入れてみては」と言ったそうで、先見の(めい)があった先生でした。

 ともあれ私は訳がわからず、その日の部活の時間中、ずっとトイレの個室に引きこもって大泣きしました。途中で部活を抜け出し様子を見にきたモコちゃんが、塀をのぼって私が引きこもっていた個室の中を覗き込みました。何を言われるのかと身構えていると、モコちゃんは私の泣き顔を確認した後、爆笑して部活に戻って行きました。私はそんな彼女の態度に、すごく傷つきました。

 どうしてでしょう?仲は良かったです。ガラケーの字数上限の一万字のメールをつくってお互いに送り合ったり、モコちゃんの妹のアコちゃんを含めた三人でショッピングに行ったこともありました。それなのに、どうして……?優しいはずの君が、どうして率先を切って、私に酷いことをするのでしょう?

 私とモコちゃんは、段々と距離を置くようになりました。でも、寂しかった。昔のように、仲良くしたいという気持ちがありました。私は冷たくされても、モコちゃんのことを嫌いにはなれませんでした。


 冬休みの終わりにあるモコちゃんのお誕生日に、「おめでとう。最近気まずかったけどごめんね」とメールを送ると、「八六七みたいな子はこれまでにいなかったから、どう接していいかわからない」と返事が返ってきました。だけど私はこのメールを見てもまだ、どうしてモコちゃんがいきなり私に冷たく当たるようになったのか、さっぱりわかりませんでした。仲直りっぽいことは出来たけれど、完全な和解は出来ませんでした。

 トドメになる一言を、私は自分から放った──「友達にきついことを言われるのが、私は楽しい」と、自ら言った──だからモコちゃんは私の望み通りに、きつい当たり方をしただけだった。「私にどう接していいかわからない」というモコちゃんの言葉に、偽りはなかった──その真実に私が気付くのは、これからずっと先のことになります。

 冬休み明けも、私はモコちゃんのいる一軍の子たちから隠れるようにして、ひっそりと教室の片隅で暮らしていました。私は色んなグループの子たちと仲良くしようと試みましたが、クラスの中ですっかり出来上がってしまっているグループを、途中で変えるのは難しいです。どれも上手くいかず、私はクラスに居場所を失くしていました。中には私がモコちゃんにいじめられているのだと勘違いして、必要以上に距離を置こうとする子もいました。私は別に、モコちゃんにいじめられたわけじゃない。小学校の時のように、明確な悪意を向けられたわけではないのに。

 けれど私の中には、これがユカちゃんでなくてよかったという思いもありました。私とユカちゃんも、以前ほどつるむことはなくなっていましたが、普通程度には仲が良かったため、クラス中が敵に回るということはありませんでした。それが唯一の救いでした。

 その後も六年間の学校生活の中で、私とモコちゃんは事あるごとに顔を合わせましたが、以前のように笑い合うことは二度とありませんでした。私は一年生の終わりにバトン部をやめました。中学二年生になると、モコちゃんとはクラスも別れます。二年生になってからもモコちゃんは、冬のはじめにある私の誕生日にプレゼントをくれましたが、私はモコちゃんの誕生日に「ごめん。お小遣いなくなったから来月まで待って」と言い、プレゼントを渡しませんでした。それきり疎遠になっていきました。天王星学園の在学中、私とモコちゃんの関係が修復されることはありませんでした。


 中学二年生になってからの私は、次第に友人をつくることをやめ、クラスで孤立するようになっていきました。〈中二病〉という言葉があるように、単純に難しい時期だったのだ、と言うことも出来るのでしょう。けれど本質的な問題はそこではなかったのだと、今になって思います。〈三四〉と絶縁状態になってしまっていること──これこそが私の全てを狂わせている、たった一つの根本的な原因でした。それ以外のことは恐らく全部、表層的なことに過ぎませんでした。三四との再会の日は近付いていました。新しい運命の出会いも。私はずっと元気がありませんでした。



***



 ところで私の事情が込み入ったことになってくる前に、私の生涯の相棒と呼ぶべき存在を紹介させてください。時は小学五年生の、引っ越しをした夏休みにまで遡ります。お父さんから、引っ越しをした記念に、家族でハワイ旅行へ行くか大きな犬を飼うかの、どちらか好きな方を選んで良いと言われました。私は大喜びで、毎日ワクワクどちらにしようかと考えていました。決められずに悩んでいたある夜、夢を見ました。夢の中の私はハワイにいて、大きなモールのようなところで、ショッキングピンクとミントグリーンのアイスクリームを食べようとしていました。口に含む直前で目が覚めてしまったため、食べられなかったのですが、私の答えは決まりました。──犬が欲しい。今思い返すと、私は夢を見ることによって、「ハワイへ行く」というもう一つの〈世界線〉を消失したのだと思います。

 それからの私は念入りに調べた犬種図鑑の中から、〈バーニーズ・マウンテン・ドッグ〉という、スイス出身の大型犬を見つけます。専門の犬舎が近所にあると知り、私たちはお父さんがお休みの日に、子犬を見に行くこととなりました。八匹産まれたうちの、三匹はブリーダーさんの元に種犬として残ることが決まっていて、五匹が貰い手を探していました。犬舎に置かれた、左のケージに丸みを帯びた三匹と、右のケージに華奢な二匹が入れられており、左側の三匹のうちから選ぶということは、満場一致で決まったのですが、三匹の見分けは、お父さんとお母さん、他の姉妹にはつきませんでした。けれど私ははっきりと「この子が良い」と、三匹のうちの一匹を選びました。この犬種は、足の模様が〈白・茶・黒〉の三色に分かれているのですが、その子は三匹の中で一番〈白いところ〉の分量が多かったのです。それがとても可愛いと思いました。

 これが私と愛犬・チョモランマの運命的な出会いでした。私に大きな愛を教えてくれた、最初の存在。この子がいなければ、私はこれから私の身に次々と起こる試練を、きっと乗り越えることが出来なかったでしょう。ハワイを選んでいたら、私は助からなかった。気付くのは、失ってからですが。チョモランマは、〈三四〉が一番最初に私に贈ってくれたプレゼントだったのでしょう。


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