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八六七の春  作者: 妙春
八六七の春
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八六七の春1

 幼い頃、頭の中に響く声とよくおしゃべりしていた。私は〈声の主〉のことを〈三四(さよ)〉と呼んでいた。〈三四〉は〈神さま〉だった。小さな子どもだった私は、なんとなくそのことを知っていた。三四は色んなことがよくわかった。試験問題の答え。友達の好きな子。お母さんの機嫌。天気。私の状態と、明日どんなことが起こるか。危険な場所と道。尋ねればなんだって教えてくれた。あらかじめ三四に〈正解〉を教えてもらっていた私は、無敵だった。怖いことは一つもなく、いつだって守られていた。けれどいつしか私は、三四とたくさんお話するのをやめて、代わりにクラスの友達といっぱいおしゃべりするようになった(もちろんこれまでだって、友達と話すこともあったけれど)。私は次第に、三四のことを忘れていった。ごめんね、ごめんね。詰られるより、罵倒されるより、無視されることが一番辛いことだって、今の私はよくわかっているのに。私は三四のことを、最もひどい方法で傷つけた。辛くて、悲しくて、痛かったよね。ごめんね……。



***



 私──松下八六七(まつしたはるな)の生まれたお家は裕福でした。お父さんはお医者さん、お母さんは専業主婦で、私は三人姉妹の真ん中でした。小さい頃の私は活発で、絵に描いたような優等生でした。勉強が出来て、スポーツもそこそこ。家族から愛され、先生ウケもよく、友達は多い。小学二年生と三年生の時に一度ずつ骨折をして、松葉杖をついて登校したことがありましたが、それはもうアイドルのように丁重に扱われたものです。

 休日は会員制ホテルのプールで泳ぎ、同ホテル内のスイーツバイキングで腹を満たす。模試を受けるたびに、シルバニアファミリーのおもちゃを買い与えられる贅沢三昧(ぜいたくざんまい)の日々。けれど小学校から私立へ通い、周りも裕福な人ばかりだったため、その暮らしが恵まれたものだということさえ、当時の私は知りませんでした。


 何もかもが順風満帆でした。小学五年生の時、広い一軒家に引っ越しをするその時までは。そのお家は、前の持ち主の二人ともが破産しているという(いわ)く付きの物件でしたが、見栄えはとても良く、綺麗で、いかにも立派なお屋敷という感じでした。7LDKの贅沢な間取りに、防音設備の整った地下室と屋根裏部屋まで付いている、二階建ての洋風建築。お庭は今では世界遺産に登録されている天皇陵(てんのうりょう)のすぐ隣にあり、茶の間に使用されている柱は、一本二百万ほどする(ひのき)だとか……自慢出来るところを挙げればキリがありません。

 このお家に初めて内見に訪れた時の感覚を、今でもよく覚えています──〈ビリリ〉です。ついでに二階にある絨毯(じゅうたん)床のひときわ広い部屋で、何やら〈白い影〉を目撃しました。見栄えの良さとは裏腹に、はっきり言って最初から奇妙な家でした。けれど両親が喜んでいる中、「この家はどこかヘンだ」と言う勇気はなく、私も一緒に「気に入った」と言って楽しそうなふりをしました。

 まさかこの引っ越しによって、私の人生の全てが狂ってしまうことになるなんて、その時は考えもしませんでした。誰もが気のせいだといいました。私の心がおかしくなってしまったのだと。だけど、私には断言出来ます。このお家に引っ越してからの私は、着実に目には見えない〈何か〉によって(むしば)まれてゆきました。ゆっくり、ゆっくり。まるでスロープを下るように、破滅へと向かっていったのです。


 まず引っ越しと同時に転校した塾で、いじめに遭いました。成績別で編入させられたクラスの中で一番派手な女の子と、初日から服がカブってしまったためです。教室に入るなり「あの服わたしも持ってる!」と大声で指をさして言われ、私は俯くしかありませんでした。次の週、その女の子は見せつけるように例の同じ服を着てきて、授業中私に手紙を回しました。手紙には「あなたとは友達になりたくありません」と書かれていました。それまで他人から悪意を向けられたことのなかった私は、どうしていいかわからずに大泣きしました。塾の生活指導の先生を呼んで、大事になりました。結局私は一ヶ月程で塾を辞めました。

 いじめられ癖はつくものです。今度は学校でも。小学五年生の時に私がいたクラスでは、スケープゴートになった誰かが常にいじめられていたのですが、ついに私にも順番が回ってきました。クラスの子のほとんどから無視されて、鞄の中でお茶をひっくり返され、目の前を通るだけで、睨まれたり舌打ちされたりしました。私の学校であったようなことは、世間のいじめと比べると、まだかわいいものなのかもしれません。だけどショックでした。

 それでもまだこの段階では、私の運気が徐々に下がりつつあることを、私自身を含めた誰も、不審に思ってはいませんでした。また十分に優等生でしたから、受験では見事第一志望の〈天王星(てんのうせい)学園〉に合格し、中高六年間を女子校で過ごすこととなります。本当の修行はここから始まりました。



***



 天王星学園は、そのむかし教科書に載っているえらい人が建てたという、お寺の隣にありました。お寺の裏には、無縁仏(むえんぼとけ)さまを供養するお墓が立ち並んでいました。私のお家は御陵(ごりょう)の隣、学校はお寺の隣。つまりどちらもお墓の隣にあります。〈霊感体質〉は、花粉症みたいなものです。浴びすぎると、発症する。


 天王星学園に入学してからしばらくの間は、小学校時代にあった苦悩のことなどすっかり忘れ、楽しい日々を送っていました。けれどついに運命の日がやってきます。──私が人生初の〈金縛り〉を体験する日です。忘れもしません。あれは確か中学一年生の、春学期の試験の前日でした。その日は苦手な家庭科のテスト勉強をしていて、いつもより寝る時間が遅くなってしまいました。夜中の一時くらいです。早寝早起きがデフォルトの健康優良児だった私は、これまで、こんなに遅い時間まで起きていたためしはありませんでした。寝室へ向かうため二階へ行こうとするお母さんに「おやすみ」を言って、一階のリビングの電気を消します。リビングに隣接した茶の間の、端っこに敷かれている一枚の布団で、私は毎晩眠っていました。その日も同じように布団の中に入ります。

 しかし直前まで蛍光灯の光に晒され、暗記事項を叩き込むためフル回転させていた頭では、なかなか思うように寝つけません。それでも身体の方は強制スリープモードに入ったのか、次第にうつらうつらとし始めた頃です。急に身体の自由がきかなくなって、自分が起きているのか起きていないのか、意識があるのかないのかさえよくわかっていない状態のまま、私は囚えられました──見えない〈誰か〉によって。次に〈声〉が頭の中をまわりました。小さな子どもの声です。その子は「やだよう、やだよう」と何回も繰り返します。「脳内で直接囁かれるような」とも、「脳内に溶けていくような」とも言えますが、やはり一番適切な表現は、「脳内で声がぐるんぐるん回るような」だと思います。

 〈声〉は一分ほど続いた後、ふわりと止みました。アリスの物語でチェシャ猫が消える時みたいな、じわじわと小さくなっていくような感じでした。同時に私の身体は自由を取り戻し、目も開けられるようになりました。声が聞こえている最中は、どう足掻いても目が開けられませんでした。それが何より怖かった。もう一生私の目は開かないのかもしれない、という恐怖に襲われていました。でも声が消えるのと一緒に、あっさり開いた。

 私はすっかり意識を覚醒させたものの、何が起こったのかは理解出来ませんでした。幼かった私は〈金縛り〉という現象を、まだ知りませんでした。怖くて怖くて、硬直しました。それからは一睡も出来ず、祈るような気持ちで夜明けを待ちました。翌日の朝、母に昨晩私の身に起こったことの顛末を説明すると、「それは金縛りだ」と言われました。

 一度アレルギーを起こしたら、ずっと繰り返し反応してしまうように、人間はつくられている。この夜以来、私は十年以上金縛り体質に苦しめられることとなりました。


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