光の中で
カフェの扉を開けたとき、外の空気はすっかり冬の冷たさをまとっていた。吐く息が白くなり、夜空には星の代わりに街灯とイルミネーションが輝いていた。
「……寒いね」
美音がコートの襟元を掴んで小さく笑う。その声に、夏樹は「うん」と頷いた。
並んで歩き出した二人。駅前へ向かう歩道は、冬休み前の夜らしく、どこか浮かれた空気に包まれていた。けれど、二人の間には、まだ言葉にしきれない距離があった。
「なんかさ、ずっとメッセージとか電話だったから……こうやって並んで歩くの、変な感じ」
夏樹が、ふとそんなことを口にする。美音は頷きながら、小さく笑った。
「うん。ちょっと緊張してる。なんでだろうね。ずっと話してたのに」
「だよな……俺も」
ぎこちない沈黙。それを埋めるように、街の喧騒が流れていく。通り過ぎるカップルの笑い声、タクシーのクラクション、コンビニの自動ドアの音。
そんな日常の音のなかで、二人の心音だけが妙に大きく感じられた。
*
駅前のロータリーに近づくと、あの木が視界に入ってきた。
この街の冬を象徴する、大きなクリスマスツリー。
年末が近づくたびに飾られるその木は、無数の電球に照らされて、まるで星をまとったように輝いていた。
「……きれい」
思わず漏らした美音の声は、風に乗って消えていくようだった。
「毎年見てるはずなんだけどな。今日のは、なんか違って見える」
「うん、俺もそう思った」
気づけば、肩と肩が少し近づいていた。けれどその距離も、どこか気を遣うように、自然には縮まらなかった。
「そういえばさ」
夏樹が、ふと話題を変えた。
「美音って、大学で仲いい人とかいるの?」
「うん、まあね。学科が女子多いから、グループで動くこと多くて」
「そっか」
美音も逆に聞き返す。
「夏樹は? 同じ学部の人とかと仲いいの?」
「うん、いるけど……でもなんか、みんな自由って感じ。俺はどっちかっていうと、ひとりで図書館いることのほうが多いかな」
「へえ、真面目なんだ」
美音が笑いながら言う。その笑顔に、夏樹はちくりとした感情を覚える。
(誰と一緒にいるんだろう、普段。どんなふうに笑ってるんだろう)
ふと、心に小さな影が差す。
「でも、最近よく一緒にいる子とかもいてさ。なんか、美音に話してないこと多いなって思った」
「……そっか」
美音の声に少しだけ棘があった。それに気づいた夏樹が、慌てて言葉を探す。
「いや、別にそういうんじゃなくて。男の友達とかだし。ただ、ほら、美音のことって……なんか、特別だから」
その言葉に、美音ははっと顔を上げた。
夏樹は言ってしまった自分に驚いて、急に視線を逸らす。けれど、もう遅かった。
(特別って……)
その一言は、ただの言い間違いでも、照れ隠しでもなく、確かに彼の心から出たものだった。
だけど、そのとき——
「わぁ……すごい。やっぱり綺麗だね、このツリー」
美音が顔を上げ、まるでそれまでの会話を聞いていなかったように、ツリーを見上げて言った。
「毎年見てるのに、なんでだろう。今日のは……うん、違って見える」
その言葉は、夏樹の小さな告白未満の言葉を、光の中に紛れさせた。
彼女の視線はイルミネーションに奪われていた。だがそれは、嫌な意味ではなかった。
(今じゃないんだな)
夏樹は、胸にしまうようにひとつ息を吐いた。
*
「ねぇ」
駅前のベンチに並んで座りながら、美音がぽつりと口を開いた。
「またさ、電話しよ?」
「うん、しよう」
「……クリスマスとか、お正月とか、色々あるけどさ。それでも、少しでも話せたらうれしいなって」
「俺も。……ていうか、美音から誘ってくれるの、珍しいね」
「たまには、ね」
ちょっとだけ頬を膨らませて見せる彼女に、夏樹は笑った。
ツリーの明かりが二人の横顔を優しく照らしている。
白く染まりはじめた夜の街で、二人は確かに一歩、距離を近づけていた。
そしてそれは、光のようにかすかで、でも確かに存在していた。