言葉になるまで
冬休みが近づくにつれ、大学のキャンパスには慌ただしさと緩やかな空気が混ざり合っていた。
中間レポート提出や冬休み前最後の講義に追われながらも、どこかで「もうすぐ一息つける」という安堵が漂っている。
けれど、美音の胸の中には、別の焦りがくすぶっていた。
(もう冬休みになっちゃう……)
講義帰りの電車に揺られながら、美音はスマートフォンを握りしめていた。画面を開いては閉じ、何度も送ろうとしては下書きを消す。
《冬休みって帰省するの?》
たったそれだけの一文が、どうしても送れなかった。
高校を卒業してから数か月。
夏、あの地元のカフェで偶然再会したときは、本当に驚いた。
ほとんど話したこともなかったのに、不思議と自然に言葉が交わせて、それがきっかけで連絡先を交換した。
それ以来、ぽつぽつと連絡を取り合っていた。
でも、それはまだ日々の断片をつなぐような短い会話ばかりで、ふたりの関係に名前はない。
(会いたいなって……思ってるの、私だけだったらどうしよう)
彼の声を聞いたのは、先週の夜だった。
あのときも、言えなかった。
今なら、まだ間に合う気がする。けれど、あと数日で冬休みが始まってしまう。
電車が最寄り駅に着くころ、ようやく美音は小さく息を吸って、スマホに指を添えた。
《もうすぐ冬休みだね。帰省するの?》
送信ボタンを押した瞬間、胸がドクンと脈打つ。まるで告白のような感覚だった。
*
そのころ、夏樹は大学の図書館の静かな窓際に座っていた。
講義の資料を読みながらも、集中しきれず、ふとスマートフォンを確認する。新着通知が一件。
《もうすぐ冬休みだね。帰省するの?》
画面に浮かんだその文字を見た瞬間、夏樹は思わず笑みを漏らした。
どこかそわそわした気持ちで、彼女からこの話題が出るのを待っていた。
「また会いたい」と言われたい自分がいた。けれど、それを言わせたくない気持ちも、どこかにあった。
スマホを握り、彼はゆっくりと返信を打つ。
《うん、22日くらいには帰る予定。そっちは?》
すぐに既読がつき、数分後、美音からの返信が届いた。
《22日か、私も地元で暇してると思うよ、久しぶりの地元楽しみだね》
その一文には、彼女らしい控えめな優しさがにじんでいた。
でも、そこにある微かな「期待」に、夏樹は気づいていた。
それはきっと、自分も同じように感じている気持ちだった。
(……言おう)
夏樹は深呼吸をしてから、スマホに指を滑らせた。
《もしよかったら、地元で会わない?》
送信。ほんの数秒が、やけに長く感じる。
返事が来なかったらどうしよう。忙しいって言われたら?
そんな不安が一瞬頭をよぎったが、スマホの画面がすぐに光る。
《……うん。会いたいって、私も思ってた》
たったそれだけの返事に、胸がじんわりと温かくなる。
冬の空気の中で、初めて交わされた「また会いたい」という気持ち。
それがふたりのあいだに、確かな何かを灯した。
*
夜、美音はベッドの上で布団にくるまりながら、スマホの画面を何度も見返していた。
《……うん。会いたいって、私も思ってた》
送った後、恥ずかしくてすぐに画面を閉じてしまったけれど、今はその言葉を何度も読み返している。
思えば、初めて会話らしい会話をしたのは、あのカフェだった。
卒業間際の春、近所のカフェで偶然隣の席に座った夏樹と、注文を待つあいだに少し話した。
そのときも、妙に自然で心地よかった。
今も変わらない。少し不器用で、でもまっすぐで、優しい声が、彼の言葉にはある。
(次に会えたら、もっと話せるかな)
そして、ちゃんと笑って、「会えてよかった」と言えるだろうか。
冬の夜、暖房の音だけが部屋を満たしている。
けれど心は、春が近づいてくるようなぬくもりで包まれていた。
(やっと言えた)
それだけで、今夜は少しだけぐっすり眠れそうだった。