夜の隙間に灯る声
十一月の終わり、夜の冷え込みが一段と増してきた。
街はすっかり冬の装いを纏い、窓を閉め切っていても、外の冷気がじわじわと部屋に忍び込んでくる。
佐々木夏樹は、自室のベッドに寝転びながら、スマートフォンの画面を見つめていた。
通話中の表示の下には「通話時間:12分34秒」の数字。
けれど、体感ではまだ5分も話していないような、不思議な感覚だった。
「……そっちも、寒い?」
スマホから聴こえる声。
少しだけ、くぐもっているけれど、どこか安心する響きがあった。
「うん。さっき窓ちょっと開けてたら、冷気がすごくてさ。手がかじかんで文字打つのも辛い」
「わかる、それ。私、今日カイロ買ったもん。駅で」
「カイロ、もうそんな季節か……」
「うん。ほんと、あっという間だよね」
美音の声は、どこか眠たげだった。
時間はもうすぐ23時。いつもならLINEのやり取りで終わる時間帯に、今夜は「電話しようか」という言葉が自然に出てきた。
通話のきっかけは、美音からの一言だった。
《ちょっとだけ話そ?声、聞きたいかも》
いつもなら、文字だけのやり取りで満足していた。
けれど、この一週間、何かが少しずつ変わってきた気がしていた。
言葉の端に滲む、互いの感情。伝わらないようで、伝えたいようで、でも踏み込めないもどかしさ。
「文化祭、ほんとは……来てほしかった」
ふいに、美音がぽつりとこぼした。
夏樹の胸の奥で、何かがゆっくりと動いた。
「ごめん」
「ううん、責めてるわけじゃないよ。ただ、ちょっとだけ……期待してたのかも」
「俺も、行きたかった。けど、タイミング悪くて……」
「うん、知ってる。それに、わかってたよ。そんな簡単なことじゃないのも。でも……」
言葉が続かなかった。
電話の向こうで、美音が何かを言いかけてやめたのが、静寂で分かった。
(このまま何も言わなければ、いつもの距離に戻れる。でも)
「俺さ」
「……うん?」
「最近、よく思い出すんだよ。卒業式の教室。窓から光が差してて、美音が窓際にいて――あの時、声かけてよかったって」
「……それ、ずるい」
スマホ越しの声が、少し震えたように聞こえた。
怒っているわけでも、笑っているわけでもない。ただ、胸の奥のどこかに触れたような、そんな言葉だった。
「ごめん、変なこと言った」
「ううん。……でも、そういうの、今聞くと……なんか、嬉しいかも」
しばらく、言葉が途切れた。
互いの呼吸音だけが、静かな夜の中に溶けていく。
外の気温は5度を下回っていた。
けれど、夏樹の胸の奥には、不思議なあたたかさが灯っていた。
画面越しの彼女の存在が、遠いようで近い。声が、ただそれだけで心を満たしていく。
「またさ、話そう。電話」
「うん。……次は、もっと長く話したいな」
それは、ほんのわずかに心を開いたふたりの、ささやかな約束。
言葉にしなくても、お互いが少しずつ歩み寄っていることを感じていた。
通話終了の画面に切り替わると、部屋の静けさが戻ってくる。
でも、不思議と寂しさはなかった。
冬の始まり。
冷たい空気の中で、確かに心を温めてくれる声が、そこにあった。