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言葉の温度

春の風はまだ冷たく、けれど確かに季節は動いていた。


 部屋の窓を開けると、遠くで電車の音がかすかに聞こえた。大学の春休みに入ったばかりの美音は、ゆっくりとマグカップに紅茶を注ぎ、深く息を吐いた。


 夏樹と最後に会った日から、すでに一週間が過ぎていた。あの帰り道、何も言えなかった自分。夏樹の「大切だよ」という言葉を、何度も思い返しては、その温度を測るように心の中で反芻していた。


 結局、彼からは連絡はなかった。いや、なかったのではない。ただ、いつも通りの短い返信と、簡潔なスタンプ。それだけだった。


 きっと、何かが変わってしまったのだろう。だけどそれは、終わりではない気がした。


 スマートフォンを手に取り、美音はしばらく画面を見つめたあと、メッセージの作成画面を開いた。


「久しぶり。元気ですか?もし、まだ地元にいるなら……少しだけ、話せる時間がほしいです。」


 打ち終えた文章を何度も読み返し、指が送信ボタンの上で止まる。


 これが、何かを変えてしまうかもしれない。でも、変わらないままでは、あのときのままだ。


 送信——小さく震える指が、静かに決断を下した。


 *


 一方、塾の講師控え室では、夏樹がようやく春季講習の準備を終えたところだった。ホワイトボードにはびっしりと時間割が書かれ、彼のノートにも赤い文字で書き込みが並んでいた。


 けれど、頭の片隅にはいつも、美音の姿があった。


 あの別れの日、何もできなかった自分。言葉にできなかった気持ち。どれもが悔やまれた。あのとき、美音の目を見て、はっきりと言えたなら。


 「好きだ」と、ただ一言。


 けれど、その一言が、どうしても口にできなかった。


 LINEの通知が鳴った。画面には「椎名美音」の名前。


 久しぶりに見るその名前が、心の奥をゆっくりと揺らした。


 文面は、短く、けれど誠実だった。きっと、美音は今でも、真っすぐに自分と向き合おうとしてくれている。


 夏樹は深く息を吸い、返信を打ち始めた。


「元気だよ。春季講習の準備でバタバタしてたけど、ちょうど一段落したところ。地元にはもういないけど、来週また少し戻れるかもしれない。会おう。ちゃんと話したい。」


 文字を打ちながら、自分の中にある想いを整理していく。大切だと思っている。それは本当だ。でも、それだけでは足りないことも分かっていた。


 「会おう。ちゃんと話したい。」


 その一文に、込めた想いはきっと届くはずだ。


 *


 その夜、美音のもとに返信が届いた。


 画面を開く手が震える。


「元気だよ。春季講習の準備でバタバタしてたけど、ちょうど一段落したところ。地元にはもういないけど、来週また少し戻れるかもしれない。会おう。ちゃんと話したい。」


 胸の奥で、何かがほどけていく感覚がした。


 「ちゃんと話したい」——その言葉に、美音はようやく安堵を覚えた。あの日、すれ違った想いも、まだ繋ぎ直せるのかもしれない。


 少しだけ笑みがこぼれる。きっと春は、もうすぐそこまで来ている。


 *


 週末、春の空気が少し柔らかくなった頃。2人は再び、地元のカフェで会うことを決めた。


 そのとき、どんな言葉が交わされるのかはまだ分からない。けれど、ひとつ確かなのは——


 言葉にしなければ伝わらない想いがあるということ。


 そして、言葉にすれば、少しだけ近づけることもあるということ。


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