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好きといえない

返ってこない返信を、何度も確認してしまう癖がついた。


 既読はついている。けれど、そこから先の言葉が来ない。


 その沈黙の意味を、夏樹は何度も考えた。返す言葉が見つからないのか。そもそも、もう返すべき言葉がないと思われてしまったのか。ひとつ、またひとつと可能性を挙げては、ため息と共に打ち消していく。


 春季講習の準備が本格化し、日々のスケジュールは息もつかせぬほどに詰まっていた。それでも、手を動かしながら頭の片隅で考えてしまうのは、やはり彼女のことだった。


 あの日、美音の瞳に浮かんでいたもの。


 不安、怒り、寂しさ。どれも正しくて、けれどすべてではなかった気がしていた。


 あの時、もう少しちゃんと向き合えていたら。


 そう思うたび、胸の奥が痛んだ。手の届く距離にいたはずの想いが、少しずつ、確かに遠ざかっていくのを感じていた。


 何かを言葉にするには、あまりに遅く、そして早すぎた。



 一方、美音もまた、変わらぬ日常の中に取り残されていた。


 カフェの扉を開けると、まだ冬の名残を感じる冷たい風が、ベルの音と共に入り込んできた。カウンターに立ちながら、空いたマグカップを洗うその手に、力がこもる。


 返信はなかった。けれど、美音は催促することも、再び問いかけることもしなかった。


 あの日の言葉が、自分の中でくすぶっているのを感じていた。夏樹の「大切だよ」という言葉。それは嘘ではなかったと信じている。でも、そう信じることで、自分をごまかしているのかもしれないという不安もあった。


 今、彼が何を思っているのか、自分はどうしたいのか。


 わからないまま、時間だけが過ぎていく。


「……また、考えごと?」


 菜緒の声が後ろからかけられる。彼女の変わらぬテンポが、今はどこか心地よかった。


「うん、ちょっとね」


「返事、まだ?」


 その言葉に、美音は小さくうなずいた。


「しばらくしてから、来るかもしれないし、来ないかもしれない。でも……待つのって、結構疲れるんだね」


「そうだね。でも、美音はちゃんと伝えたでしょ?それだけで、少しは変われたんじゃない?」


 菜緒の声には、責める響きはなかった。ただ、静かに寄り添うように言葉が落ちてくる。


「……変わりたい、って思ってたけど。あの時、ちょっと怖かった。夏樹が、わたしと違うところにいる気がして」


「うん、それはあるかもね。でもさ、離れてる時間って、ちゃんと考える時間にもなるんだよ」


 そう言って、菜緒はウィンクをひとつして、カウンターの奥へと戻っていった。



 講習後の帰り道、夏樹は塾の裏手にある小さな公園に足を運んだ。


 昼間の喧騒が嘘のように、辺りは静かで、遠く街灯がぼんやりと地面を照らしていた。


 ベンチに腰を下ろし、スマートフォンを取り出す。LINEの画面には、美音とのやりとりが表示されたまま。最後に送られてきたメッセージの時間は、もう一週間以上も前だった。


 ふと、彼女の表情が脳裏に浮かぶ。ベンチに座っていたときの、不安げなまなざし。言葉を選ぶように、慎重に紡いでいた彼女の声。


 美音は、ちゃんと伝えようとしてくれていた。


 それに対して、自分は、どれだけの想いを返せていただろう。


 心の中では、ちゃんと「好きだ」と思っていた。けれど、その気持ちを言葉にして伝えることができなかった。


 「大切だよ」——それは本当のことだった。でも、その先の一歩を踏み出す勇気が、今の自分には足りなかった。


 ふいに、夜風が吹き抜ける。


 その風の中に、遠く離れた美音の姿を感じた。



 そして、美音もまた、布団の中でスマートフォンを手にしていた。画面は暗いまま、指だけがかすかに動く。


 メッセージを書いては消し、書いては消す。


 たった一言、「どうしてる?」と聞けばいい。それだけのことが、今はできなかった。


 言葉が、まだ彼の心に届く場所にあるのか。それを確かめるのが、ただ怖かった。


 でも、どこかで信じている自分もいた。


 彼がちゃんと、自分の気持ちを考えてくれていること。あの日の言葉が、嘘ではないこと。


 今はまだ、余白の中にいる。


 けれど、その余白は、いつかまたふたりを繋ぐ糸になるかもしれない。



 動きのない日々の中で、互いに言葉を失ったまま、それでも心は同じ場所を向いている。


 静かな夜が、その距離を包むように、ただそっと流れていった。


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