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触れられない気持ち

久しぶりに地元へと戻る列車の窓から、冬の光が差し込んでいた。車窓を流れる風景は白く、静かで、都会の喧騒とはあまりに対照的だった。静寂の中に身を置くことで、ようやく夏樹は自分の中に残っていた「揺れ」に気づく。


 美音に会うのは、ほんの数週間ぶりだというのに、どこか胸がざわついた。花咲かなの笑顔がふと脳裏に浮かぶ。その明るさと無邪気な視線。特別ではない、ただの同僚。そう割り切っているはずなのに、なぜか引っかかる。


 それでも、地元に帰る理由はひとつだった。美音に会うため——それだけで充分だった。


 駅前のロータリーで待っていた美音は、コートのポケットに手を入れ、小さく体を揺らしていた。寒さを紛らわすようなその仕草が、なぜか夏樹には遠く感じた。


「久しぶり」


「うん、久しぶりだね」


 ぎこちない挨拶を交わし、2人は並んで歩き出した。寒さに曇った空気の中、美音の足取りはどこか迷いを含んでいた。


 商店街を抜け、少し外れた公園のベンチに腰掛けた。会話は天気のこと、講習の忙しさ、他愛もないことばかり。けれど、どちらもその「他愛もない」がもどかしくてたまらなかった。


「……あのね」


 ふいに美音が口を開いた。声が震えていたのは、寒さのせいだけではないだろう。


「この前、電話で言ってた人。かなさん、って言ってたよね?」


 夏樹の肩が微かに強張る。返事をするより先に、美音の視線が夏樹を突き刺す。


「……SNS、見た。講習が終わったっていう投稿に写ってた。夏樹の隣に、楽しそうな顔して、笑ってて」


「……そうか」


 否定も肯定もなく、夏樹はうなずいた。ただそれだけだった。


 美音は、少しだけ顔を伏せた。


「別に責めてるわけじゃない。ただ……少し、心がざわついたの。なんでだろうって思って。夏樹は、特別って言ってくれた。でも、わたしは……」


 言葉が途切れる。彼女の瞳が、じっと夏樹を見つめる。


「わたしも、夏樹のことが……特別だって思ってる。でも、その気持ちが、ちゃんと届いてるのか、自信が持てなくて」


 夏樹は言葉を探した。美音の想いはまっすぐで、純粋だった。それに応える言葉が、自分の中からなかなか出てこない。塾のこと、時間のなさ、目の前の現実が、それを薄めてしまっていることに気づいていた。


「……ごめん、美音。最近、ちゃんと向き合えてなかったかもしれない。仕事が忙しくて、って言い訳かもしれないけど……」


 美音の表情が微かに歪んだ。


「じゃあ、わたしのこと、どう思ってるの?」


 投げかけられた問いは、予想よりも鋭かった。まるで、本音を試すようなまなざしが、夏樹を貫く。


「……大切だよ。でも、それが今どう向き合えばいいのか、正直わからなくなってる」


 その言葉は本音だった。だが、それは美音の望んでいた答えではなかった。


「……うん、わかった」


 それだけを言って、美音はベンチから立ち上がる。目を伏せたまま、数歩前に進んだその背中が、どこか小さく見えた。


 追いかけることも、手を伸ばすことも、できなかった。


 言葉にならない余白が、2人の間にできていた。


 ほんの小さなすれ違い。だけどそれは、積もった雪のように、静かに、しかし確かに2人の距離を覆っていく。


 その日の別れ際、言葉はなかった。ただ、手を振ることすらできなかった。冬の風が、2人の間を切り裂くように吹いていた。


 夏樹は胸の中に残った違和感を抱えたまま、帰りのバスに揺られた。


 美音もまた、一人歩く帰り道、どこかで落とした言葉を思い出すように、ゆっくりと、足元を見つめながら歩いた。


 触れられなかった気持ちは、今も、そこにあった。


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