時間はゆっくりと
冬休みが終わり、街に再び規則的な生活のリズムが戻ってきた。学生たちの足音が校門を満たし、電車の中にもほんの少しだけ緊張感のようなものが漂っている。だが、それは美音にとってどこか遠くの出来事のようだった。
彼女の時間は、まるで冬の陽だまりのように、ゆっくりと進んでいた。
「いらっしゃいませ」
カフェの制服に袖を通しながら、ふと指先に目を落とす。以前、初詣の帰りに駅のベンチで並んで座ったとき、美音の指先に触れそうになった夏樹の手の温度を思い出した。
あれから、何度かメッセージを送り合った。けれど、冬季講習で忙しいらしい彼の返信は、以前よりも簡素で、タイムラグもあった。
『ごめん、今バイト中だからあとで返信するね』
その「あとで」が、次の日の夜だったこともある。
仕方ないことだと、美音はわかっていた。彼は責任感が強くて、きっと生徒のことも真剣に考えているのだろう。けれど、心のどこかで、その文字の間に含まれる“余白”が、自分から遠ざかっていくように感じてしまう。
カップに注がれるコーヒーの香りがふわりと広がる。ガラス越しに見える街の通りには、まだうっすらと雪が残っていた。
「美音、なんか最近ぼんやりしてない?」
声をかけてきたのは、バイト先の先輩であり、親友の黒木菜緒だった。背筋の伸びた姿勢と、いつも整った髪型。言葉選びは率直で、でもいつも的を射ている。
「……そんなことないよ」
笑ってみせたけれど、その表情がどこか無理をしていることくらい、美音自身が一番よくわかっていた。
菜緒は少し眉をひそめ、近くの席に腰を下ろした。店内はこの時間帯になると客足も少なく、会話を交わすにはちょうどいい静けさがある。
「で? 彼氏とうまくいってないとか?」
「か、彼氏じゃないってば」
「じゃあ、好きな人?」
言葉に詰まった美音は、何も言わずにカウンターの木目を見つめた。
「ふーん、図星ってことで。ねえ、もやもやするくらいならさ、直接会って話した方がよくない? 文字と声だけじゃ、伝わらないこともあるでしょ」
ストレートな菜緒の言葉に、美音の胸が少しだけ痛んだ。けれど、その痛みの奥に、じんわりとあたたかい何かが広がっていく。
「……うん、春休みに会おうかなって思ってる」
「それでいいじゃん。いつまでも“いい感じ”って曖昧なままより、ちょっとずつ進んだ方が、きっと楽になるよ」
菜緒の言葉に、美音は小さくうなずいた。
その夜、美音は久しぶりにスマホを手に取り、送信ボタンに指を乗せた。
『春休み、どこか行こうよ』
シンプルなメッセージだったけれど、それにはたくさんの思いが込められていた。
返事はすぐには来なかった。けれど、返信の「既読」がついたその瞬間、胸の奥に波紋のような静かな広がりを感じた。




