表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/28

忙しさのなかに

冬休みが終わった初日、冬の朝はやけに白んでいて、吐く息すらもどこか慌ただしく見えた。


 夏樹は午前の講義を終えると、コンビニで買ったおにぎりを頬張りながら、駅前のバスに揺られて塾へと向かっていた。冬季講習の真っ只中、午後からは中学生の授業が詰まっており、週末も模試の対応などでびっしりとスケジュールが埋まっている。


 大学に戻ったことで、美音ともまた少し距離ができた。LINEのやり取りは続いていたし、電話も時々していた。けれど、冬休みのような”共有された時間”はなく、現実の忙しさの中に、ふたりの関係もまた紛れ込んでしまいそうな気がしていた。


 (何か、大切なものがこぼれ落ちていくみたいだ)


 そんな風に思う自分が、少しだけ怖かった。


 塾の入口をくぐると、すでに教室には講師や生徒の声が響いていた。ホワイトボードに書かれた予定表には、夏樹の名前がびっしりと並んでいる。


「夏樹くん、今日もフル出勤だねー」


 明るい声に顔を向けると、そこには花咲かながいた。ポニーテールに揺れるヘアゴムが印象的な彼女は、どんな相手にも自然に笑顔を向けるタイプの人間だった。


「うん。今日も2コマ続けて中三の英語と数学……」


「えらいえらい。私、夏樹くんにシフト変わってもらったから助かっちゃった。ありがとうね」


「ああ、別にいいよ。俺も空いてたし」


「そう言うと思った! でも今度、ご飯でもおごらせてよ。せっかく同じ大学なんだし、少しくらい仲良くしなきゃね?」


 そう言ってウインクまで飛ばしてくる彼女の軽やかさに、夏樹は少し笑ってしまう。どこまでもフラットな彼女の言動は、人を安心させる。


「じゃあ、今日のあと空いてたら行く?」


「行く行く!」


 その会話は、どこまでも何気ないものだった。



 授業後の教室は静まり返っていた。ホワイトボードを消し終え、コートを羽織った夏樹が休憩室に戻ると、すでにかなが待っていた。


 「お疲れー。じゃ、行こっか」


 ふたりで駅前のファミレスに入る。まだ時間が早いせいか、店内は空いていた。窓際の席に座り、メニューを開く。


「何でもいいよ。お礼だから!」


「じゃあ、遠慮なく……」


 注文を終えると、少しの沈黙が流れた。けれど、それは居心地の悪いものではない。


「ねえ、夏樹くんって、彼女いるの?」


 唐突な質問だったが、声色はどこまでも軽やかだった。


「……いないよ」


「そっか。でもなんか、そういう人いそうな雰囲気あるよ。こう、誰かを大事にしてそうっていうか」


 冗談のような本気のような言葉に、夏樹は少しだけ口元を緩めた。


「……大事にしたい人は、いるかな」


「おお、なるほど。それはもう……半分いるみたいなものじゃん」


「そうかもな」


 そう返しながら、ふと思い浮かんだのは美音の顔だった。冬休みのあの日、クリスマスツリーの前で見上げた彼女の瞳。あの夜の、微かなすれ違いさえも、今は大切な記憶の一部になっている。


 彼女の言った「特別」という言葉を、夏樹は今も胸の奥で反芻していた。


「その人、どんな子?」


 かなの質問に、夏樹は少しだけ考えたあと、ぽつりと答えた。


「……高校の頃、あんまり話さなかった子。けど、卒業してから偶然会って、それから少しずつ話すようになって。……気づいたら、その子とのやり取りが日常になってた」


「そっか。いいね、そういうの。なんか、丁寧に作られていく関係って、私、ちょっと憧れる」


 かなはそう言って、コップの水を一口飲んだ。


「でもさ、それって時々、不安になったりしない?」


「……不安?」


「うん。ほら、何かの拍子にすれ違ったり、連絡が減ったりしたら、それだけで崩れていきそうな……。そういう、細い糸みたいな感じ」


 彼女の言葉に、夏樹の心のどこかが静かに揺れた。まさに、今、自分が感じていたことだった。


「……あるかもな。毎日忙しくなって、それだけで何も変わってないのに、何かが離れていってる気がする時がある」


「ふふっ、やっぱり夏樹くん、真面目だなあ。でも、そういう人なら大丈夫だと思うよ。大事にしてる気持ちは、きっと伝わるから」


 それはどこまでもやわらかく、けれど確かに芯のある言葉だった。



 帰り道、冷たい風が頬を撫でる。駅のホームに並んで立ちながら、夏樹はふとスマートフォンを取り出した。まだ返せていなかった、美音からの「今日、寒かったね」というメッセージが届いている。


 (きっと、向こうも忙しいのかもしれない)


 そう思いながら、夏樹は短く返信を打つ。


 《こっちも寒かったよ。今週末、電話できたら嬉しい》


 指を止めることなく送信すると、胸の奥にわずかにあたたかさが灯る。


 冬の夜は、まだ長い。


 けれどその静けさの中で、ふたりの関係はまた少しずつ、次の季節へと歩みを進めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ