もう少しだけここにいたい
冬休み最後の午後、曇り空はぼんやりと淡い光を落としていた。
街はまだ正月気分を引きずっていて、年始セールのポスターが店先を飾っている。それでも、日常がゆっくりと戻りつつある気配があった。
夏樹と美音は、約束通り、地元のカフェで再び向かい合っていた。
どちらともなく「行こうか」と決めた場所。年末の再会、初詣と続いたふたりの時間の、ひとつの終わりのような、けれど続きのような午後だった。
「久しぶりって感じは、しないね」
カップを両手で包みながら、美音が言った。
「うん。けど、またしばらくは会えないかもって考えると、変な感じ」
夏樹も笑みを浮かべながら、コーヒーをひと口啜った。
言葉の間に、沈黙が落ちる。その沈黙さえ、今は自然に思えた。
これまでだったら、少しの間が怖かった。言わなきゃ、繋がらないと思っていた。
けれど、今は何も言わなくても、そこにいてくれるという安心があった。
「バイト、どう?」
唐突に、美音が問いかけた。話題の流れというより、空気を壊さずに何かをつなぎとめるように。
「ああ、塾講。中学生の数学教えてる。年明けは受験生が多くてちょっとバタバタ」
夏樹は肩をすくめて、少しだけ疲れた顔を見せる。
「なんか、夏樹くんっぽいね。落ち着いてて、説明とか丁寧そう」
「え、そんなイメージ?」
「あるよ。高校のときから。あんまり騒がないし、無駄なこと言わないし」
夏樹は照れたように視線を外した。
美音のほうも、ふいに自分の言葉に気づいたのか、口元をおさえて笑う。
「バイト先には、同じ歳の子とか、いるの?」
何気ない質問だった。けれど、その一言に、ほんの少しの波が立つ。
「うん、いるよ。同じ大学の子もいて、休憩時間とかちょっと話したりはするかな」
「そっか」
それ以上は言わなかった。でも、ほんの一瞬だけ、笑顔の裏にある表情が揺れた気がした。
けれど、詮索はしない。
それは嫉妬と呼ぶにはまだ未熟で、だけど確かに胸をかすめた想いだった。
「美音は? バイト、あのカフェだけ?」
「うん、今は週に数回だけ。年末年始はちょっと混んでたけど、もう落ち着いてきた」
何の変哲もない会話が、ゆっくりと流れていく。
笑いあって、相づちを打って、時々沈黙が訪れて、それも含めて心地よかった。
けれど、どこかで誰かが言っていた。
関係が深まったように見えるのは、言葉の数じゃない。沈黙を共有できるようになったときだと。
だから今はきっと、ほんの少しだけ前に進んだのだと思う。
ふと、窓の外を見ると、雲間から一筋の光が差していた。
冬の午後の淡い陽射しが、街をぼやかすように照らしている。まるで、記憶の中の景色みたいに。
「……あと少しだけ、ここにいようか」
夏樹がそう呟いた。
美音は驚いたように夏樹を見つめたあと、微笑んで頷いた。
「うん。まだ帰りたくないな」
それだけで、満ち足りていた。
言葉にしない気持ちが、静かにその場に満ちていく。
2人の間には、いくつもの季節があった。
すれ違って、繋がって、また離れて。けれど、今この瞬間は、まるで時間が止まったようだった。
大きな出来事は起こらない。
ドラマチックな展開も、驚くようなセリフもない。
ただ、2人がここにいる。それだけが、なによりも意味を持っていた。
夕方になり、空は灰色のヴェールをまとい始める。
店を出るとき、美音がぽつりと呟いた。
「また、会おうね」
「うん。すぐにでも」
その言葉も、約束というより願いだった。
街は静かで、風の音がすこしだけ耳に残った。
すべてが、白昼夢のような午後だった。
その静けさを、2人はきっと、ずっと覚えている。




