1-9.
頭の痛みはなかったか、どうでも良かった。水の中にいても、あるいは水の中にいるからかえってはっきり感じる、顔の熱さに比べたら。僕が壁に向かってもだえている(言い過ぎ? でもコースの縁に手をかけて、顔を水面の下に突っ込んだまま背中を丸めてぐらぐら揺れていたのだから、だいたいそんな感じだと思う)間に、波は遠ざかっていった。ようやく振り返ると、反対側に、最初目にしたときと同じように、彼女がいた。ただし、呼吸を整えて、泳ぎ出す準備をしているというところの。遠いし、水泳帽やゴーグルのせいもあって、妙にのっぺりしているような感じがした。何の印象も受けないような。そうとしか見えない彼女に僕が何か思うとすれば、自分一人だと思っていたコースに入られていたからといった、状況に関する理由が必要だった。だから、その状況の変化に慣れてしまえば、何とも思わなくなるのだろう。少なくとも、このときの僕はそう考えて、それまでの気持ちの動きの原因や、これからはもうそうなる理由はないのだということを納得しようとしていた。
いつ達成できたのか分からないけれど、すっかり僕は落ち着いて、彼女との距離感をちゃんと保てるようになった。つまり、おおよそ点対称の位置関係で、コースの真ん中あたりですれ違えるように。あんなに心が波打っていたのが嘘か夢だったみたいに、僕の気持ちはすっかり、いつの間にかちゃんと泳ぐことに集中できるようになっていた。つまり、端につくたびに立ち止まって振り返り、彼女の姿を確認して、位置や速さから、自分がいつ、どのくらいの力で泳ぎ出せばいいのかを計算するようになった。あえて遅く泳ぎ始めてからペースを上げて調整したり、あるいはその逆にしてみたりというような、思いのほか面白い遊びも見つけた。僕は全く自由自在に、好き放題ができた。のんびりしたり、大慌ての体でスピードを上げたり。しかもそれは、前や隣を行く彼女、ただごく普通に、だいたい同じようなペースで泳いでいる彼女は全く知らないことだ。僕はそれだけで得意になった。決してばれたりしないいたずらをしているような気分だったと思う。
僕と彼女との間の距離を伸び縮みさせるだけのことが、なぜそんなに楽しかったのかは分からない。しかしとにかく、そんな目的というか、ゲームのルールみたいなものができただけで、泳ぐのは楽しくなった。ただ泳ぐということから少し目がそれたことで、かえってそれを楽しめるというのは不思議だけれど、これが味付けというようなものなのかもしれない。ほんの少し、かどうかはともかく、違うものが付け加えられて、元の感じられ方が際立つなんて。
僕は泳ぎ続けた。彼女から付かず離れず、いやむしろ、付いたり離れたりしながら。もっとも、変わっていたのはどこですれ違うかということくらいだった。動く標的なんて言葉もあるけど、この場合は僕の方だけが動いていた。いや、どちらも動いていたけれど、相対的な位置関係としては。彼女の位置が動くのは、休憩する時だけだった。僕はコースの端でタイミングを見計らうために立ち止まりはしてもずっと水に浸かったまま泳ぎ続けたけれど、彼女の方は、だいたい二、三往復ごとにコースから出て休んでいた。そして彼女が戻ってくる頃(ちらちら様子を伺って察知した)になると、僕は反対側の端に向かい、あるいはそこで少し止まった。そうやって、彼女がまた入る場所を空けておき、戻ってきやすいようにする。まるで、宿泊客が外出中に、部屋を整えておくみたいに――僕が彼女のために何をしたわけでもないのだけれど。それでも、彼女が休んだりしている間も泳ぎ続けていたということと同じように、僕はこういう考えによって得意になっていた。やがてそのうち、だいたい僕が思った通りの時期に、彼女はコースに入るのだった。
時には、ベンチから立ち上がって歩いてくる姿が見えたりもする。今ではもう、僕はそんな彼女を待ち望んでいた。最初は邪魔者だったはずなのに、すっかり同じことを楽しみにして、その価値を知っている仲間になっていて、なんだかずっと前から、存在しない記憶の中にまでいたような気すらしてしまう。ずっと前の、スクールで試験を受けるためにコースには僕一人しかいなくて、同級生はプールサイドで並んで立てた膝を抱えて座り、先生はタイムの記録や合図のために立っている。そんな、何ヶ月かに一回の特別に静かだった瞬間、緊張ばかりしていた瞬間に、彼女もその背景のどこかにいたんじゃないかという感覚は、思ったよりも真剣に記憶を疑って確かめなければならないような気にさせられてしまう。ただし、彼女に対して得意になる気持ちはそれよりもずっと大きかったし、明瞭だった。