1-7.
とっくに数えるのはやめていたから何回目だかは全く分からないけど、五十メートルの往復を終えて、これは少し長めに休まないといけないなあと思いながら、しかし同時に体を縛り付ける疲労を感じることそのものが嬉しくなっていた時、自分がいたところを二つの針で確かめるためにコースの反対側を見上げると、今まさに水の中に沈んで、僕の方に向かってこようとしている黒い坊主頭が見えた。いや、単に水泳帽をかぶっていて二十五メートル離れていた上に水滴のついたゴーグル越しだったからそんな表現しかできない程度の情報しか見えなかったということなのだけれど。でも僕にとってはそれで十分というか、それ以上何が見えても同じだった。僕が独り占めしていたコースに現れたお客さんだったからだ。つまり、僕が気にしなければならない存在がそこにいる。
はっきりと、不愉快な感じがした。身勝手なのは分かっているけれど、意識して我慢しなければならないほどその感覚は明瞭に僕の中にあった。わくわくしていたのとは別の胸の高鳴りというか、もっと冷たい感じの鼓動を早める作用が働き始めて、僕の視界はさらに狭くなり、というか狭くしてしまおうという思いが強くなった。目を覆って考えるのもやめて、ただあの静かな世界に自分の体しかないという状態に落ち込んでしまおうと。でももちろんそれが無理なことは分かっている。泳ぐならコースの右端に寄って、すれ違えるようにしなければならない。ぶつからないように、腕が左に広がらないようにしなければならない。平泳ぎはほとんどできなくなるわけで、別にどうしてもそうやって泳ぎたかったわけではなかったから別に良かったのだけれど、何か釈然とせず、腹立たしいくらいだった。僕自身、こんな感じ方をしているのを自覚すると、明らかに過剰だし変だと思った。だから、僕はそんな気持ちに付き合うのをやめて、考えないでいるために、休憩を想定より短く切り上げて、水の中に逃げた。
僕はしばらく、文字通り脇目も振らなかった。たぶん、その世界に自分以外がいることを認めたくなかったんだろう。目を向けて、見てしまえばどうしても認めるしかないし、そうなったらまたあの僕の身勝手な感覚がいきり立ってしまうだろうから。しかし実際には、十秒ほどしかそんな時間は続かない。すれ違う時になれば、意識せずにはいられないから。
ところが自分でもあきれるほどびくびくして恐れていたそんな瞬間は、僕の意識を素通りしていった。いつまで経っても予想した感触や光景はなく、顔を前に向けてもそこには何もなかった、というか壁が思ったよりも遙かに近くまで迫っていて、誰もいなかった。そこで、できたての記憶の中にある、ストロークを続けながら、あのわずかな泡立ちが肌に触れて少しだけ水面と一緒に体が揺らされたような時がまさにそうだったのだと、あまりにも遅れて気がつく。
拍子抜けして僕は一気に冷静になり、自分が悪い感情をずっと抱いていたことが急に恥ずかしくなった。まるで約束した相手が来ないので腹を立てていたら、自分が時間をそもそも間違えていたと気づいたみたいに。僕は端でターンすると、そもそもそうしてはいたのだけれど、コースの隅にできるだけ体を寄せてまた泳ぎ始めた。また夢中で。今度は、自分の恥ずかしさを忘れようとしながら。
水の冷たさにはもう慣れきっていたからか、自分の顔の熱さがあまりにも強く感じられて、僕はそれにとがめられ続けているみたいだった。ほとんど目も閉じてしまいたい気分だったけれど、それではまっすぐに泳げないので、仕方なくいつも通りにしなければならなかった。何も考えられないまま、恥ずかしさで頭が塗りつぶされたような状態のまま、ただ泳ぎ続けて、最後の呼吸のために顔を上げたとき、僕は自分のものではない作用による音を、透明な空気の中で間近に聞いた。
それは体が水に落とされたり、水をかき分けたりするときの音だった。しかし、僕のそのときの動作には当てはまらないという以上に、何か異質な感じがした。その音が示す水のかき分け方、押しのけられたりはねたりする水の量、そしてきっとその原因になる体の使い方や形といったもの、そういう全部が、僕とは違っているような気がした。
僕はただ疑問とも言えないような淡く曖昧な感覚、つまりそれは好奇心とか不思議だと思う気持ちをごく薄くしたものだけで頭だか心を満たしながら、また水に潜らせた顔を、音のした方、つまり左側に向けた。
そして僕はそれを見た。つまり、まっすぐに僕の泳いできたのとは反対の方向に、今まさに泳ぎ進んでいるその姿を。緩やかに起伏する黒い流線形、そう、文字通りに(といってもこの言葉について辞書を引いたことがないから、こんな言い方が正しいのかは僕に確証はない)、まっすぐではないのに、流れていく水を全く邪魔することのない、膨らみを経て足の先端まで向かっていく滑らかなラインだった。目の前に現れたその姿に僕の息は止まり、自動的に体は動いたけれど、腕を回そうとしたところで壁に頭を押しとどめられたので、慌てて足をついた。