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嵐はいつもガラスの向こう  作者: 入江晶
1.日常から抜け出た先で
6/43

1-6.

 だってそういうものだから、水面の下に耳を入れればそこの静かさを絶えず聞くことができるから顔を出した時のくっきりした騒がしさの方が邪魔に感じてしまうようになっているし、床の格子模様では駒を動かしてゲームができるかもしれないから目を離せないんだけれど、それでも呼吸をしなければいけないわけで、そうやって顔を上げたときにずっと向こう、つまりプールの向こう岸まで見渡せるのが楽しみになるのは、その青くて静かな、まあ耳が一つ出ているから半分くらいしか静かではないかもしれないけど、とにかくそんな世界がずっと広く続いているのが分かるからだと思い、似たような感覚は実はたくさん経験していて、たとえば長い廊下とか、大きな道路に沿ってずっと先まで続いている並木道とか、都会の大きくて長い横断歩道でしか見られないような信号機の明かりがずうっと連なっているような眺めといった、目の届く限りどころか無限にどこまでも続くような、あるいは落っこちてしまいそうな気分にさせてくれるんだけど、まあ僕がそういうものを見るたびにくらくらしそうになりながらもわくわくするというのを誰かに分かってもらうのは無理なんだろうというのは知っているにしても、とにかくこんなにはっきり感じられるのはそれが間違いなく存在しているというか実際にそうだからなんだと思うし、泳ぎながらちらりと見えるその光景に対するこんな感じ方は珍しいくらいで、なんていうか、純粋なものとして、他に邪魔のない形で僕はそれを見ているみたいに、そんな気分は心の一番奥深くが体の感覚つまり一番外側とつながっているようで、きっと、あるいは間違いなくそうなのだけれど、だからと言って腕や足にはだんだん力が入らなくなるし、ひっきりなしに息を吐いて吸い込むのをやめるわけにも全くいかないし壁は迫ってくるから、透き通った感覚に心をどっぷり浸したままにできないのはもどかしいにしろ、実のところ物は考えようでもあって、喜びというか高揚した気持ち、正確にはそうさせてくれる環境に身を置きっぱなしでいるのと、一度失うというか離れてまたそこに向かうということを繰り返してそのたびにそれなりの新鮮さでいくらかは驚きを得るのとでは、もしかすると僕の中に起きる感情の量というかそれによってできあがった心の形みたいなものに意外なほど大きな違いがあるんじゃないかとも思ったりするから、こういうお預けみたいなことが実はむしろ最適な方法なんじゃないかという気もするし、体、つまり手足や肺を動かすことにぎりぎりまで夢中になってから、コースの端で肩より上を水から出してはあはあ言っていると、あんなに楽しんでいたはずなのに、ただ浮力を受けながら立っていればいいということには気楽さや心地よさをはっきり感じたりもするので、実のところ泳いでいる間とは違う形の開放感や高揚感がわいてくるのは間違いなく、こうやって僕はひっきりなしにいろんな、まるで色合いや刺激の違った感覚に次々にあるいは周期的に接して、心はあっちこっち跳ね回ってるみたいだったけれど、一番心地よかったんだか気持ちよかったのは、実はまさにそういう感覚の移り変わりが絶え間なく僕に起きてくれるということそのものかもしれなくて、一つ一つの楽しみがいつまでも続かないのだとしても、その先に代わる代わるまた楽しみがやってきてくれるのを僕は知っているから、息苦しさが和らいでくれるのを待っている間に素早く行ったり来たりする空気が喉を冷やしていくのまでなんだか嬉しくて、とにかくいろんなことのせいで勝手に僕はにやにや笑っていたりするのだけど、それは今僕が一人きりだからであって、そうじゃなかったらさすがにもうちょっと真面目な顔をしているというか作っていると思うし、どっちにしても僕はほとんど水の中にいるんだからそこでの僕の姿を気にする人なんていないわけで、そういうことからも自由だった僕は全く心配とは無縁で何も意識する必要もなく、ただ体を通して世界に触れてその感触で心を包んで、同時に何もかもから抜け出して、あるいはそうできなかったとしても全部が良い面しか向いていないし、さらにそうじゃなくても、すぐにそうなってくれるという間違えるはずがないと決まっている予感だと分かっていて、さらにそうじゃなくても予感の前兆なのだとは最初から知っているし、そしてさらにまたそうじゃなくても、予感の前兆の先触れとかなんとかと続けることもできるんだけどそれはこの辺でやめておいて、とにかく僕には今この場、僕のいるところで僕が感じるのは何もかもが慣れ親しんだものの再認識だったりあるいは全く初めてのことだったりもするけれど、どちらにしても少なくとも僕にとっては宝物みたいな経験になるだろうし、そのものでなくてもそこへ導いてくれると僕は全く疑う余地もなく確信していて、僕は足を床から離し、浮かび上がった体をまた一つの流れの中に向かわせ、同時に僕自身がその流れを作って、水の抵抗を自分の力に変える方法は体が知っているからただ僕が考えるのは、ああ息をしなきゃいけないなんて忘れられればいいのにというようなことくらいで、残念ながら忘れてみようとしても疲れているせいもあってすぐに静かな世界から顔をはみ出させないといけなくなるものだから、息を吸うたびに、内心ではああちくしょうと悪態の言葉が浮かんで、それでも楽しみは続いているか形を変えてながらも繰り返しているから顔は笑っていただろうし、笑うまでいかなくても目は笑うというかあまりのうれしさが表情を変えてしまうときみたいに大きく開かれていると思うけれど、そうやって顔を上げた時の視界が過剰なくらいにきらきらとしているのはゴーグルのせいで、そして顕微鏡で何かを拡大したような丸い細かな視野に区切られた半透明の図が見えたりもするし、そもそもそのゴーグルは僕と世界を明確に隔てているのだけど考えてみると実はすごく不思議で、僕がはっきりこの世界、青さとかずっと向こうがどうなっているかとかまでを見ることができるのは同時にこのゴーグルのおかげなわけだから、なんだか矛盾というか、人間が星を、間に何も、空気すら置かずに直接見ようとしても宇宙服やその中の空気が結局必要なのと同じで、まあこんな話を持ち出すまでもなく僕が空気の中の世界を眼鏡越しじゃないとぼやけた形としてしか見られないようにって言った方がいいのかもしれないけど、とにかくこういうことを考えると、僕の体そのものではない何かを世界を感じ取るために使っていたとしても、それが感覚を乱すとか不純物を混入させるとかそんなことは全く気にしなくていいんじゃないんだろうか、なぜならそういう介在するもの一切なしで世界を認識するなんて無理なんだから、世界そのものというか本質を追い求めるのは実はどこか無理があるようだから、あえて表層の領域でどう認識したか、するかを前提というか出発点の手前に置いてみようと思う。でもそれはまた別の機会にしないといけない、なぜなら僕が一人ではなくなったので。

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