1-5.
確かに、僕の体は泳ぎを止めると、すぐに回復し始めているのが分かった。元通りになるにはまだ、もう少し、あるいはもうしばらく時間がかかるだろうけれど。はあ、はあ、と深く、そして急激な呼吸をするたびに、まるで空気が体に染み渡っていくのが感じられるみたいに、だんだんと体は楽になって、意識も明瞭になってきた。つまり僕の疲労やそれが原因になっていた麻痺は、その程度だったわけだ。このことが分かると、なんだかあんなにショックを受けていたのが恥ずかしくなってきた。さながら、大雨の日に学校から帰って家の鍵を開けようとしてランドセルを探っても見つからず、胸の奥から寒気が全身に広がって青ざめ、泣きそうになって地団駄の一つも踏んでしまい、嗚咽なんだかうめいてるんだか分からない声まで上げて、ため息をつきながら無駄だと知っているのにランドセルのポケットにもう一度手を突っ込んでみたら、なぜかあっさりとプラスチック、そして金属のひんやりした感触が指に触れて、素知らぬ顔で取り出されて目の前に鍵が現れる、そんな時の間抜けで情けない気持ちみたいに。しかし今は全く後を引かなかったから、すぐに忘れてしまえた。というか、泳ぐことへのわくわくする期待が、そしてそれがこんなに気持ちのいい形で現実になってくれたのだといううれしさが胸を満たして、暗かったり沈んだりするような気持ちを、さっさと追い払ってしまった。だからわずかな休憩のあと、僕はまた一度大きく息を吐いて、そしてそれ以上に大きく吸い込んでから、水の中へと沈み込み、青白い世界を満たす静けさをしっかりと聞き取りながら、胸が躍るのに任せて、壁を蹴ったのだった。
二回目に泳ぎ始めてからは、案の定というか、息が最初よりも続かず、百メートルで限界だった。そしてまた少しばかりの休憩の後、百メートル。何も考えないままの全力のペースではなく、疲労を意識しながら。それでも体力を絞り出すような苦しさが後半にはずっと続いて、あと少しだと自分に言い聞かせていた。次からは、一往復ごとに休憩するようになった。全速力(全泳力?)でタイムを計ってみたり、クロール以外にも一通り泳いでみたり(好きになれない背泳ぎと、苦手なバタフライは少しだけ)、できる限り姿勢や形に気をつけてお行儀良くしてみたりした。そうやって泳いでいると、夢中なままというほどではなく、ある程度は今の自分を冷静に眺めることもできた。そして、こんなに楽しかったっけと思ってしまった。正直に言えば、スクールに通っている間は面倒だという気持ちがかなり大きかったのだから。確かに泳ぐことそのものが苦痛だったというわけではなかったけれど、いざこんなにも大喜びな気分を味わってみると、不思議だとも思ってしまった。ただこうやって自由にやりたい放題にしているというだけで、こんなにも変わるのかと。
僕は何に引っかかったりもせず、あるのは僕だけの時間だった。この区切られた長さ二十五メートルで幅が二メートルくらいの空間には、ほとんど僕の頭の中の言葉と体の感覚しかないようなものだった。自分一人の時間をそうやって続けていると、延々と自分自身との会話ばかりしてしまう。別にかっこつけているわけではなくて、本当に、文字通りに僕は僕に言葉を発して僕に答えていた。