1-4.
水面を蹴って進んでいくと、騒がしい世界が近づく。しかしまだもったいつけるように、顔を上げないまま、まっすぐ前に伸ばしていた腕を大きく回して、自分の力を水を通して加速度に変えていく。そしてその腕は腰のあたりまで来ると、空気の中を通ってまた前に急いで向かい、それに続いてもう片方の腕が同じ動作を始める。足と同じように、何も考えなくても、そうやって僕は切れ目なく水をかき分けていけた。腕を回すときは大きく、あまり肘を曲げないように(そう教わったけど、実際には、ある程度は仕方ない。特に前に戻す時)。右腕、左腕、そしてもう一度右腕を回すのに合わせて、僕は沈めていた顔を、鼻から息を吹き出しながら、右側を振り向くようにして上げた。透き通ったその世界では、騒がしさが何の障害もなく、僕の耳にまで到達した。目では、コースを区切る黄色と青のプラスチックの浮きの縞模様が、ついでに隣のコースからプールサイドまで全部が見渡せた。そしてまた僕は顔を潜らせる。そこはそこで騒がしかったけれど、まるで違う場所みたいだった。しかしだからどうということもなく、僕は泳ぐ。腕や足で体を前に進めて、右腕のストロークとともに呼吸して。何も考えないまま。せいぜい、思い出しているだけだ。しかしその思い出した経験や言葉と、今ここでの行動や体の動きにはかなりの隔たりがあるような気がする。まるで、騎手が馬に鞭とともにいくら言葉を浴びせても意味をなさないみたいに(そんな習慣があるのかは知らない。というか、馬を走らせるということについて僕は何も知らない)。少なくとも今では、別に習得するまでのそんな過程を必要とせずに、僕は自然に、勝手に、泳ぐことができたのだった。意識しなければならないのは、コースの端につくタイミングだけだった。僕は水中でくるりと宙返りをするようなターンができないし、タイムなんて今はどうでもいいので、突き出した手が壁に触れると(衝突に備えて手の平を前に向けていた)、縁に手をかけ、顔というか肩あたりから上を水面から出したまま、ぐいっと腕を使って体を引き寄せた。そして一つ大きく息をつきながら、縮めた体をコースに向けてもう一度躍り込ませる。大きくてしっとりとして気持ちのいい、しかしたぶん本当は無粋というか好ましくない状態を示しているざぶんという音は、顔を潜らせた水中に届く頃にはずいぶん輪郭をぼやけさせてしまう。また僕は最初の数ストロークは呼吸なしで泳ぎ、水面の上と下を行ったり来たりしながら、出発点を目指した。そして最初の出発点は次の出発点になり、また次の出発点になる。あるいは二十五メートル先の端部と同じように中継点でしかなくなる。僕は夢中になり、大喜びで、そんな延々と遠ざかっていくゴールに向かい続けた。まるで俊足の英雄を追いかける亀になったみたいに。こうして僕は無限に発散する過程の中にあった。逆なら収束しているところだろう。
もちろん無限とは行かないけれど、結局僕は、そのまま二百メートルぐらいを足をつかずに泳いだ。そんな距離を泳ぐのは初めてで、こんなにも息や体力を自分が続かせられるというのを、僕自身も初めて知った。ペースの配分なんか考えなかったし、そもそもどのくらい泳ぎ続けようという予定もなかったから、速度だとかストロークの周期だとかバタ足の形はめちゃくちゃに変動しまくって、最後に壁に両手をついた時には、呼吸はあまりにも激しく、早すぎて、自分でもうるさすぎると思うくらいだった。何というか、自分が経験したことのない領域に踏み込んで、別世界に来ているような気がした。やっとのことでいくらか落ち着き、周りを見回してみると、そこは泳ぎ始める前と何も変わっていなかった。時計を――コースのどこからでも確認できるように、馬鹿みたいに大きくて針も太いもの――見てみると、泳ぎ始めた時の位置はよく覚えていないけれど、どうやら十分にもだいぶ満たないくらいしか経っていないらしかった。
僕の頭がはっきりと思考できなくなったのは、息苦しさのせいだけではなかった。自分がこんなに疲れ果ててしまうほど夢中になっていた時間が一瞬でしかないというのが、信じられなかったからだ。こんなに、痛いくらいに胸が苦しくてもう身動きできないほど全身が疲れているというのに、たったこれだけの時間しか経っていなかったなんて!