2-1.
夢にまで見た日が来た。この二週間に、そんな夢を見たりはしなかったけれど。
そういえば、未来のことを夢で見たりする。しかしそのときには全くそうだとは分からない。そしてその夢のことなんてさっぱり忘れてしまった頃、ふと今の自分の目の前の光景について、それをどこかで見た覚えがあると気づく。そんな経験を何度もした。今回はそれが起きなかったわけだ。
こういう話が、聞いた人に笑われるようなことなのだと僕は実際に経験して知っていたので、一度しか話したことがない。隣にいる要馬(僕と同じで、変な名前だと思う。何か別の名前から切り取られたような)はその相手の一人で、そして一番大笑いした張本人だ。似たようなことは何度もあった。それなのによく一緒にいるしよく話すのはなぜなのだろう。普通考えないだろうし、特に、要馬自身は絶対に考えてないし考えたことがないし考えることもないと思う。それはもちろん、笑われた僕が何も言わない苦笑いで応えて、すぐに話題が移るからだ。そうやって済ませてくれるから、と言った方がいいかもしれない。僕は変わっていて、変だという。だけどそれは、夢の話題みたいな普通はしない話で現れてしまうのであって、普段学校にいたり遊んだりするときには問題にならないどころか見えることもない。だからきっと、要馬が僕の考えや経験を笑うだけで済ませ、僕が内心恥ずかしさを抱く以上に悩んだりしていても、彼にはどうでもいいし、少なくとも友人でいることにおいて問題はどこにもないんだろう。そしてもちろん、僕がこう考えていたとしても。
実のところ、夢にまで見たとは言いながら、不安の方が強かった気がする。二週間前と同じように僕(と、運転する母さん)だけが車に乗っていたなら、楽しみな気持ちしかなかったと思う。しかしそうではなくて、その原因は、間違いなく要馬だった。
昼ご飯を食べた後、家から出発して道案内をしていたときには、それが初めてだったからか思いのほか楽しく感じていたけれど、彼の家で要馬の姿を見た瞬間、その明るい、そして無遠慮で僕が目をつけて考え込むことには興味を示したりしないいつもの顔、表情が、そして一緒にプールに行く約束してからずっと抱いていた小さな不安が、はっきりと姿を現した。さながら、晴れた日にまぶしい日差しが落ちていたのに、小さくても分厚い雲に隠れたために、ふと暗くなってしまうように。雲のまるでないこの日の快晴の空ではそんなことはあり得ないけれど。でも僕は違った。
本当にいい天気で、探さなければ見つからないくらいの雲があるだけだった。その明るさで、家々の様々な色の屋根も、雑草交じりで刈り込んだ輪郭もはっきりしない植え込みの緑も、道路の灰色や白も、信号機の冷たいくらい鮮やかな光に架された屋根の灰色も、遠くに見えたり近くを通ったりする木々、河原、川面、欄干、もっと背が高かったり大きかったり遠かったり近かったりする建物、そういうものが、みんな鮮やかでくっきりして、なんていうか、息遣いまで感じられるみたいに生き生きとしているように見えた。僕自身も同じようにその中にいて、わくわくする気持ちに胸は持ち上げられようとしているのが分かった。しかしそれを感じ取りながらも受け入れられなかったのは、この感覚が僕だけのものでしかないとあまりにもはっきりと感じさせられていたからだ。
要馬は車に乗り込んでから、ずっとしゃべりまくっていた。僕の応答も必要とせずに。プールのこと、僕へのからかい、プールのこと、水泳の経験のこと、学校のこと、僕へのからかい、昼ご飯のこと、最近出たゲームと携帯電話(どっちも僕は持っていなかった)のこと、僕へのからかい、そんな調子で。僕の圧倒的に少ない応答と相槌だけでなぜこんなに続くのだろうと思うほど、そして、窓の外にはこれだけの眺め、そして次々に移り変わっていく映像があるのに、なぜ目を向けないのだろうと思うほど。そちらの方が面白そうに僕には見えた。僕がろくに盛り上げる返事もできないような会話に、なぜ退屈しないのだろうとすら思った。立場が逆ならそうなるんじゃないかとも。でもそんなことはあり得ないので、要馬の気持ちとかその理由は、結局分からなかった。