六話
「ただベンチに座り、絵を描いているだけだ。
他の人から見たら、私は暇を持て余した老人の娯楽を楽しんでいるように見えるだろう。
だが、同じ場所にいるという事は昨日とは違う事、一昨日とは違う事、過去とは違う事を直感的にわかるようになる事を意味していた。
何をわけのわからない事を言っているんだと思われるだろうが、難しい事ではない。
例えば、花が咲くのを楽しみに観察していれば新芽の数が増えた事や蕾のふくらみが大きくなっている事に気づくだろう。
その感覚と似たようなもので、私は昨日とは違う景色を感じていた。
ごみを片付けたのにすっきりとしない感じ、どこかにまだごみが落ちているのではないかという疑念。
こんなことは言いたくないが片づけても片づけられた事すら気づかずにまたごみを捨てるやからがいる。
捨ててしまえば自分はすっきりとするだろうが、捨てられた場所には多くの『嫌な思い』が蓄積していく。
『汚い』・『誰が捨てたんだ』・『クズめ』・『誰か拾えよ』とそんな言葉にならないし、しない思いが溜まっていくだろう。
私はそういう『嫌な思い』を抱えて、ベンチで絵を描いていた。
この景色がいいかもしれないと思っても、見えない場所にはごみがあるのではないかと思うといい景色ではなくなり、またいい景色を探す作業に戻ってしまう。疑い始めればきりがないのは十分わかっているがどうしても考えてしまう。
私は立ち上がり、今日は準備していた袋に近くの隠れたごみを入れ始めた。
自己満足と言ってしまえばそれまでの話だが、やらずにはいられなかった。
そうしていると、ウォーキング中の人が
『ゴミ拾いをしてくださってるんですか?』と声をかけてきた。
私は気になってしまいましてと答えると、その人達もごみが捨てられている事に嫌な思いをしていたようだ。
ごみをポイ捨てしている人を見た事もあるらしい。でも、ごみのポイ捨てぐらいで警察を呼ぶのかと疑問に思ったり、警察が来るまでに捨てた奴はどこかに行ってしまって捕まえる事も出来ないと考えると通報する意味もないのではないかと思ったりしたようだ。
特に高齢者や女性が若い人に注意して何か怖い目に合うのではと思ってしまうのは仕方ない事だと思う。
正当な指摘をして逆上した男に殴られて人が死んだなんてニュースも見た事がある。
正しい事を言ってるのに危険な目に合う世の中にも文句を言いたいが、悪い事をしておいて注意されたら逆ぎれするような人達をもっと厳しく取り締まってほしいと私は思う。
そこからよくわからない状態になった。
ウォーキングの人達がゴミ拾いを手伝ってくれることになり、拾っていると別のウォーキングの人がさらに手伝ってくれるようになり、その輪がどんどん広がって、気づけば40人くらいでけやき道を大掃除する事態になっていた。
私はびっくりした。
でもそれ以上に人の輪とはこんなにも簡単に広がっていくのかと感激もした。
私の自己満足をきっかけとした小さな一歩は、40人以上を動員した芹川のけやき道大掃除という大きな集団行動になったのだ。みんな嫌々やっているわけではなく、楽しそうにごみを拾っている。
中には参加する事もなく通り過ぎていくだけの人もいたが、別に強制参加ではないしそういう人達も『ありがとうございます』などと言って通り過ぎていく。
気が付けば市の指定ゴミ袋15袋分くらいのごみが集まってみんな満足げな顔をしている。
こんなにたくさんのごみがあった事に驚いたが、それ以上に私も満足感があった。
そんな中で定期的にごみを拾おうと呼びかける人や気づいたごみをすぐに拾えるようにしようといった話し合いをしている人がいた。私はそこまで参加するつもりもなかったが、この場所に座っていればまた手伝ってもいいと思った。
人間関係も必要ないと思って連絡を取らなくなったり、嫌われていると思った人に話しかけなくなったりして、人を捨ててきた過去がある。でも、今日のように何気ない事で一緒に行動したり、楽しいと感じる事を共有したり、次の約束をする事によって人間関係を繋ぎ留めたりすることの大事さを感じた。
人としての生活は誰かと共にあるからこそ充実して、そして成り立つものなのだ。
拒絶するばかりで、人を遠ざけていた私は家族じゃなくても、友人じゃなくても、知人でもなくても全く知らない人でも誰とでもつながる事ができると思うと、捨てるよりも大事に持っていたり繋がっている事が大事なんだと思って、この人たちの笑顔を絵に残す事にした。(スケッチブック5頁)」
スケッチブックの次の頁を見ると笑顔でごみを拾う人達の絵が描かれていた。
そういえば、少し前になるが清掃会社という仕事の中で研修目的で清掃ボランティアに参加した事があった。
その場所も芹川のけやき道だったような気がする。
あの清掃ボランティアが、この故人のごみ拾いから始まったのかと思うとこの人は実はすごい人だったのではないかと思いながら、作業に戻った。