三話
仕事の合間ができたので、日記の続きを読む事にした。
2頁目には『話すと言う事は自分を他者に伝えるだけでなく、自分が他者を知るためのものであると実感した。』と書かれ、『スケッチブック2頁』と書かれていた。私はスケッチブックの2頁目を開く。
一枚目と同じ構図の絵にウォーキングをしているであろう人が絵描き込まれている。私はその絵を見ながら、日記の続きを読んだ。
「話すと言う事は自分を他者に伝えるだけでなく、自分が他者を知るためのものであると実感した。
(スケッチブック2頁)
この間と同じ場所に座ってみた。
同じような天気だから、この間と対して違いはない。
同じ絵を描いても意味がないから、景色が変わるのを待つことにした。
太陽の角度が変わるだけでも、野良猫が現れるでも、人が通りすぎるのでも良い。何かが変わればそれで良いと思っていると、芹橋の方から夫婦だろう男女が歩いてきた。ウォーキング中のようで二人は特に何を話すでもなく目の前を通って行った。この二人とも私には目をくれる事もなく通りすぎただけだったが、次に通りかかった別の夫婦は『こんにちは。』と声をかけてくれた。
私も『こんにちは』と返したが、聞いていたかどうかも怪しい感じで通りすぎて行った。挨拶をする事の意味とはなんだったのだろう?
すれ違っただけの人に挨拶をしたとして返ってくる事の方が珍しい。
あの挨拶してくれた夫婦は私に何を期待したのだろうか?
『良い天気ですね。』くらい言えば、彼らは私ともう少し会話してくれたのだろうか?見ず知らずの私と会話するメリットはおそらく彼らにはないだろうから、やはり『そうですね。』ぐらいの無難な答えを返して通りすぎて行った事だろう。
そして私は景色が変わるのを待っていると、今度は60代くらいの女性が二人で歩いてきた。この二人は歩く事が目的なのかそれとも話す事が目的なのかわからないほど話している。話し声が大きすぎてその内容も丸聞こえだった。
まだ少し先にいるのに声だけは届いて、どうやらスーパーで卵が安く売られていた話をしているようだった。1人の女性が卵が安かった理由は発注ミスで大量に仕入れてしまったからではないかと言えばもう1人の女性は近くの養鶏場から安く仕入れられただけではないかと話している。
二人とも真相はきっと知らないし、真相を教えてくれる人もきっと現れないだろう。そこで私は考えた。
二人の女性はきっと真相などどうでも良いのだろう。
今、この瞬間を楽しめれば実際はどうであっても問題はないのだと。
二人が楽しそうに話しながら私の前を通りすぎる所を絵に描いてみた。
構図は一緒でも楽しそうな人が入るだけでまた違う景色になったように感じた。