二十六話
「12月を師走という。年末に向けて慌ただしくなること等が由来とする説もある。
走り回るほど慌てる事もなくなってきているが、流れゆく人を見ているといつもより駆け足になっているように思う。
気温が下がってきた。秋も終わり冬に向かっていく。
なんだか地球温暖化の影響によって気温の変化がおかしかったりするが、急激に変化するようになってきた。
夏場に急にゲリラ豪雨がくるといった感じだったが、今ではゲリラ豪雨なんて言葉も使わないくらい当たり前の感じになってきている。
地球温暖化の影響で天候の変化が起こってきている。今はひどい天気と思っているが時間がたてばこれも普通になってきているのだろう。
冬になっても寒くないのはある意味嬉しいが、日本人的に感じるこれこそが冬といった風景を見る事ができないというのも寂しいなと思った。
とにかく気温が下がってきた。ベンチに座って絵を描いている手も少し凍えてきた。
けやき道を歩いている人たちも少し歩くペースが速いように感じる。
少しずつ色鮮やかだった街なかの花や草も色を変えてきている。絵を描いている側からすれば景色が変わるのは嬉しいが鮮やかな色よりも暗い色が増えていくというのもむなしいなと感じる。
落葉で覆われたけやき道を歩くのも悪くない。
少し寒くなってくると体調も悪く感じる。頭の痛みというのもあるが全体的に体が重い気がする。
頭の痛みに関しては理由がわかっているが、気分的な部分もあるだろう。
冬場に布団から出たくないと思うのと一緒の感覚だろう。
医者の話では冬場は血管関係の病気を持っている人は注意が必要らしい。
寒さで血管が収縮しているのが温かい所に入ると一気に広がったりすると血流が強くなったりするらしい。
動脈瘤を抱える私は崖の端に立ってギリギリ持ちこたえている状態らしく危険らしい。
そもそもがいつ爆発するかわからない爆弾を抱えているわけだが、天候や気温などの外部的要因で変化をもたらされるとして対応できるわけもない。
色々な事があったこの年ももうすぐ終わる。準備した事も形となり人に任せる事も出来た。
私が描いた絵でスケッチブックに描かずにしっかりとした画材で描いたものたちが私の残したいと思った風景を後世に伝えてくれる。
変わらずに存在する物などないのかもしれない。でも、変わって欲しくないものもある。
昔なら失われるものは名にも残せずに失われただろう。だが、時代は進み写真に映像に残す事が可能となってきた。私はあえて写真や映像ではなく絵で残そうと思った。
プロではないから価値のある絵にはならないが、それでも『こんな風景があった』と誰かに伝えられる事ができるなら本望だ。
いつか誰かが振り返った時に私の描いた絵を見て懐かしいと感じてほしい。
いつか誰かが思い出を語るのに絵を見ながら笑って泣いて欲しい。
私がその光景を目にする事ができなくても、誰かの役に立てるように頑張ろう。
前回の日記のように人知れず役に立てるような存在になろうと思っている。
今年の終わりに向かって皆が走り回っているのを見ながら私は一人で過去に向かって走り出し、そして未来を夢見てまた一歩を踏み出したのだ。」