二十四話
「トンネルを抜けると・・・といった言葉には希望と不安がこもっている。
私はけやき道の木々でできたトンネルを眺めた。
今日は珍しくけやき道のベンチに座って日記の方を書いている。
大体一日の終わりにまとめて書いていたが今日はそんな気分だった。
秋の空を眺めながら変わりゆく葉っぱの色や雲の形をスケッチブックに描いたりしていた。
たまに歩いては適当にベンチに座ってあたりを見渡したりしていた。
木々の間からこぼれる木漏れ日が幻想的な風景に見える。
けやき道を覆うように葉が生い茂っておりトンネルのように見える場所がある。
歩けば数秒で抜ける事ができる葉っぱのトンネルは眺めるだけならどこまでも続いて見える。
雪国に向かうトンネルの文章が有名だが、こうしてトンネルの入り口に立つとどこに通じているのか、この先に何があるのかと期待と不安の入り混じったような感覚になる。
自分の行きつく先は知っている。最近になっても実感すらない死への道を歩いている。
脳にできた動脈瘤は少しずつ大きくなっていると医者は言っていた。
いつ死ぬのかはわからないが、まだまだ生きていける気がする。
どこへでも歩き続けられる気がする。木漏れ日で照らされた道なら走って行くこともできるような気さえする。実際にそんな勇気はないからゆっくりと歩いているわけだが、いつまでも続くと思った瞬間だった。
だが、その瞬間はそう長くは続かなかった・・・・・・
急に頭痛を感じてその場から動けなくなったのだ。今までに感じた事のない痛み・・・・これはヤバいと思っても声を出すこともできなかった。
幸いな事にたまたま通りかかった人が救急車を呼んでくれて、病院に搬送された。
色々な検査を受けたが動脈瘤には問題はなかった。逆に言うと、動脈瘤の大きさに対して今までに頭痛を感じた事がなかった事の方が珍しいといわれてしまった。
そんな事を言われても私にはどうしようもないが、この頭痛が本来感じるべき痛みだと知ると実感していなかった死が一歩一歩と近づいているのを感じた。
『私は死ぬ』と思うと怖いが、それも遠い未来ではないと思っていただけに絶望する程の恐怖は感じなかったが、終わりが近づいていると感じると切ない気持ちになった。
トンネルの先にある希望でもなければ絶望ですらない。
ただ私が死ぬという現実だけなのだ。
そう考えるとやらなければいけない事と残しておきたい事が鮮明に浮かんできたような気がした。」
故人はきっと強がっていたのではないかと思う。自分しか読まないはずの日記に対して、なぜそこまで虚勢を張らなければいけないのかわからないが、少なくともこの日記には故人のやらなければいけないと思う事と残したいと思ったことが記されているのだと思うと今まで以上に興味がわいたのであった。




